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名前=自分:名前を正しく覚えてもらうことの大切さ

昨年秋に公開されたトム・ハンクス主演のSF映画 "Finch" ーー既にご覧になられた方も多いだろう。

私たち夫婦は公開された時から観ようか、観ようか、と毎週末のように言い合っていたのだが、結局は昨夜まで延ばし延ばしにしまっていた。
というのも、アポカリプス後の地球、トム・ハンクス、ロボット、犬、という設定だけで悲しくて、寂しくて、泣いてしまうだろうとわかっていたから。

まだ観ていない方のためにあらすじは控えるが、この映画を観ながら、以前教えた・現在も私のクラスにいる留学生の子供たちのことを考えていた。(*アメリカの私立校で教師をしています)

エンジニアであるFinch(ハンクス)に彼の死後、飼い犬Goodyearの面倒を見るべく作られたロボットは組み込まれた知識は沢山あるものの、喋り方はたどたどしく、Finchが発する言葉を繰り返しながら自己のボキャブラリーや思考を広げていく。
ロボットは前半は短く平坦な発音で、理解できる言葉も限られており、喋る・聞くの力は”初心者”レベル。だが、経験や学習を繰り返すごとに、色んな所作や機転をきかせたり先回りして考えたりする”成長”を見せ、映画の最後では繊細さや共感なども身についたひとりの人間のように描かれている。

最初のうちは”やれ”と言われることしか出来なくて、ちょっと成長するとやらないでいいことも試してみる。そして段々と言葉で表現されなくても表情や空気を読んでどんな行動をするかの判断をつけるロボットがさりげなくも面白おかしく描かれているが、意図してか、せずか、まるでよその国からやってきてホストの国の言語や文化を習得しているような描写になっている。

こんな経験を若かった頃の私もしたなぁ、そして私の生徒たちも体験しているなぁ、とこのロボットを追いながら考えていた。

映画の中盤でロボットが自身の名前を選び、それ以降 ”Jeff” と呼ばれるようになったのを境にFinchとJeffの関係も少しずつ変わっていく。そのシーンを観た時に、何年か前にELL(English Language Learners)という英語教科のクラスで文学を教えたときのことを思い出していた。

登場人物や作者の名前やニックネームについての文化的背景を説明した後、自分達の名前の話をした。
アジアからの留学生のほとんどが英語名を使っているのは、もちろん”アメリカでの自分”というアイデンティティを確立する意味もあるが、母語の名前を正しく呼んで貰えないというこちら側の問題から来ていることが多い。

中国の名前はシラブル(音節)がひとつかふたつしかないのにローマ字表記では発音が英語と異なるために、タイの生徒は名前が長いために、日本の名前はシラブルが多いために、正しい発音でフルネームを呼んでもらえる機会は本当に少ない。
スペルや音から変な単語と似ていたりすると誤解されたり恥ずかしい思いを避けるために英語名をつけることもある。
例えば TAKESHI さんが タ・ケ・シさんではなく TAKE SHIT(テイクシット・うんこする)さんみたいだと笑われることもある。

その日、韓国からの留学生が(17歳)が ”間違えた発音で呼ばれることに慣れているからもうこれでいい” と笑った時 
私は本当に悲しくなり、”名前はあなた自身の存在と同じなのだから時間がかかっても必ず正しく呼んでもらいなさい” ときつく言った。

彼はもう2年も!間違った名前で呼ばれていて、もうそれが彼のアイデンティティになりつつあったのが良くない、と感じたからだ。

留学生たちは自国では成績優秀な子も多いけれど、誰もがアメリカに来てから挫折や屈辱感を味わう経験をする。まるでロボットのJeffのようにしか簡単で短いやり取りしか出来ず、自分の思っていることを伝えられるまでに時間がかかる子もいる。そんな子を小さな子供のように扱う大人も多い。

"きちんと” 意見や考えを伝えることができないと個人として社会から認識してもらえない。”自分の” 言葉で話せないのは自分がいないのと同じだからだ。
語彙が足りない・誰かの真似を繰り返すしか出来ない・表現に時間がかかる、そんな段階にいる彼らは残念ながらなかなか年相応の対応をしてもらえない。
その上、名前までもちゃんと覚えてもらえないなんて、これは自分という人間の価値や在り方に大きく影響する。

私もFinchのようにJeff達の発言や行動にイライラしたり笑ったりハラハラしたりしている。そしていつか彼らが語学と表現力とコミュニケーション力をグングン伸ばして大人になり社会に貢献することを期待している。

英語名でも本名でも、”これが自分だ” と感じる正しい名前を正しく呼ばれ、その名と共に生きることは彼らがここで自分という未来を作るために必要なことだと信じている。
その未来を応援する大人が出来ることは難しくても、時間がかかっても、隠れて練習しても、間違えて恥ずかしい思いをしても、必ず正しい名前で彼らを呼んであげることだ。

私も長い間Jeffだった。今は正しい名前で自分らしくやっている。

シマフィー 

アメリカに暮らす留学生のことを書いた記事、たくさんあります


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