先生が泣いた日:We're Not Good Enough
学生だった頃は先生が泣く姿を見たことは一度もなかった。
単にそんな機会がなかっただけなのかもしれないが、今、自分が高校教師をしていて思うのは、あの先生たちも職員室で、帰りの車中で、家で、生徒の見えないところで、泣いていたのだろう。
私が教師になろうと決めたのはいつだったのか思い出せないが、やる限りは一生懸命にやろうと決めた出来事はあった。こちらに書いている。
結婚してアメリカに戻って来て以来、私立高校で歴史と科学を主に教えているが、小さい学校なので教師各自が穿くワラジは何足にもなる。英語も教えるし、コミュニケーション学や人類学の選択科目も教えることがある。自分の得意分野や専門分野は幅広く教えて欲しい、と言ってくれる学校なので、高校教師といえど1教科だけを教えなくてもいいのは、私のような飽きっぽくて毎年同じ授業をしたくない教師にとっては本当にありがたい(1教科専門の先生方もたくさんいます)。
誰かに “シマの仕事ってどんなん?” と聞かれたら、“退屈で面白くない〜って言う日は全くない仕事” と答えるほど、毎日生徒との時間が楽しい。
片道1時間以上の通勤は大変だし、正直ウマの合わない大人もいるし、学校のシステムが気に入らない、という不満ももちろんあるけれど、この仕事は心から好きだ。
そんな学校大好きな私が生徒の前で涙を流したことが一度だけある。
ある年に一気に留学生の生徒が増え、さらには英語がまだ覚束ない初級・中級クラスの生徒が多くなったために、私も英語強化クラスを教えることになった。
7−8人ほどの9年生はたどたどしい英語ながらも一生懸命に勉強し、楽しく学んでいた。その子達は9年生の一般学級の授業を履修できる語学力がまだついておらず、他の生徒たちが歴史や文学の授業を取っている間は、英語の文法やリーディングやリスニングの授業を取っていた。
彼らの教室は半地下にある図書室の隣の小さな部屋で、他の9年生の教室からは離れていた。教室の設備はきちんと整っており、窓もあり明るい部屋だったけれど、まるで隔離されているかのような状態だった。
彼らがほぼ半日同じ教室に留まり、クラス外の生徒と顔をあわせ友達になる機会がないのが不憫になり、1週目の終わりに校長先生に掛け合ってみたけれど、今はそこしか空きがなく、どこかの教室があいたらそちらに動かすよ、と言われた。
そしてそのまま小さな半地下の教室で1学期が終わろうとしていた。
1学期があと2週間で終わろうとしていたその日、9年生は課外授業で学校に来ていなかった。なのでその日は留学生クラスの授業を3階にある9年生の歴史教室ですることにした。教室には絵画や地図や本がたくさんあり、留学生クラスの壁に貼ってある文法のチャートや発音記号や“質問文の作り方”などのポスターとは全く違う様相だった。
生徒たちが私の後をついてぞろぞろと入室した時に、ちょっと緊張したのが伝わった。
みんな黙り込み、落ち着かない様子でモジモジしている。
“好きな席に座っていいよ!”と明るい声で促しても誰も椅子を引かない。
どうしたのだろうか、と彼らの表情を見ていると1人の女子生徒が小さく言った。
We are not good enough yet
自分たちがこの席に座るにはまだ語学力が足らず、この素敵な教室は自分たちにはふさわしくない、と言ったのだ。周りの生徒はニコニコしていたが、皆同意して、
Noooo, not good enough と繰り返した。
それを聞いた時私は溢れて来た涙を止められなかった。そしてこれを書いている今でも涙が溢れてくる。
生徒たちは、先生どうしたの?とオロオロしたが、私は涙を止められず醜い顔と震える声でやっとやっと
That’s NOT true (そんなことは絶対ない) と返すのが精一杯だった。
それからどうやって授業をしたのか、しなかったのか、は覚えていない。
ただ彼らの寂しいような、諦めたような、仕方ないさと受け入れたような、複雑な顔を今もよく思い出す。
授業後に泣き顔のまま校長室に駆け込んで教室を変えてくれるようお願いした。
まだ来たばかりで何が正しいのかもよくわからない9年生のために、校長先生に彼らの思いを伝えることは自分の使命のような気持ちだった。
こんなに切ない思いをさせてはいけない、不公平だ、と泣きながらお願いした。
残念ながらそれでも教室に空きがないことには変わりなく、半地下の教室から抜け出ることが出来たのは翌年だったが、それまでの間はスケジュールを組み替えて留学生クラスが3階の9年生と休み時間や美術クラスなどで行き来できるよう配慮してくれた。
彼らは英語の上達に必要な第一歩・・・コミュニティの一員になり社会の一部として認識され、名前を呼ばれ、友達を作り、共に行動するという経験が出来、10年生には全員留学生クラスを卒業した。
今、私が教える9年生・10年生のクラスには色んな生徒が座っている。
皆んな同じではない。
でもどんな個性もクラスの一員として十分以上にふさわしい。
あの9年生留学生クラスの生徒は全員アメリカの大学に進学した。その何人かは自国でビジネスを始め、また何人かはアメリカの大学院に進んだ。
そしてそのうちの1人、中国からの留学生だったブライアンが来年度から我が校の教師になるのが先日決まった。彼の担当は ”ビギナーの英語強化クラス” だ。
この夢のような出来事に、先生はまた泣いた。
シマフィー
山あり谷ありの留学生を見て学ぶ大人のエッセイ(マガジン:教師シマリスから2本)
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