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『影裏』のメイキング、「GHOST of 影裏」について

メイキングを担当した『影裏』のDVD/Blu-rayの発売情報(2020年8月5日発売!)が告知されました。先日の『前田建設ファンタジー営業部』の記事でも書いたように、メイキングに込めた想いや意図を伝える上で、noteがとても機能し得ると思いまして、ちょっと書いてみます。

前回の記事でも書きましたが、メイキングを作るにあたって自分の中で三つのことを決めてディレクションしています。再掲になりますが読んでいただければと思います。

1)作り手として面白いと思う事をする。これは表現をする上で当然と言えば当然なのですが、撮影に一ヶ月、編集や整音作業などの完パケに二ヶ月。一本の作品に対して三ヶ月近くの時間を要しています。そうなるともう愛情無くして続けていくことは出来ません。どんなに撮影がきつかったとしても、素材の撮れ高(好きな言葉では無いですが)が悪かったとしても、何度もラッシュを見て、写っている素材が何を語っているか、編集でどう繋げばより雄弁な意味を与えられるかをひたすら見極めます。何度もラッシュを見てると次第に、写っている役者やスタッフの事が好きで好きで堪らなくなります。愛情を持って仕事を出来る所まで行ったらそれだけで100点の出来だと思っています。

2)1分間のシークエンスに4つ以上のアイディアを入れる。これは映画脚本を書く上でフランソワ・トリュフォーが言っていた言葉なのですが、メイキング・ドキュメンタリーの撮影や編集・構成作業においても可能な限り取り入れるようにしています。メイキングの素材というのは役者が芝居しているものを本編カメラとは異なるポジションから撮ったものがほとんどです。極端に言うと「ただ撮っただけ」の素材になりかねません。そうならないようにフレームの中に2つ以上の「意味」を取り入れるようにしています。例えば「芝居と監督の演出」「芝居と照明の妙」「カメラワークと導線」などです。そこを意識しているとフレームに緊張感や必然性が生まれ、編集時の構成で3つ目の意味が生まれ、MA整音作業で4つ目の意味が生まれます。後のあらゆる可能性を作るために(直感的な場合もありますが)フレームに意味を与えていきます。そうする事で多層的な物語を描けます。

3)本編の物語とは別に、独自の物語やテーマを立ち上げる。これは私が表現する上でのモチベーションというか、入口と出口で異なる風景を見せたい、見たいと思ってのことです。他のメイキングを見ないので分かりませんが、「撮影日誌」や「舞台裏」に徹したメイキングではなく、あくまでもそこに別の物語があり、苦悩や葛藤があって、それらを乗り越えていく。多くの映画作品と同じように「起承転結」でメイキング・ドキュメンタリーを語る。多少なりとも時間を割いて観てもらうのだから、本編とは別の感動を味わってもらえるように心掛けています。

では。

【ストーリー】

今野秋一(綾野剛)は、会社の転勤をきっかけに移り住んだ岩手・盛岡で、同僚の日浅典博(松田龍平)と出会う。彼との遅れてきた青春の日々に、言いようのない心地よさを感じていた。しかし、ある日を境に連絡が途絶えてしまう。数か月後、会社帰りに同僚に呼び止められ、日浅が行方不明になり死んでしまったかもしれないと聞く。そして、自分が見てきた彼とは全く違う別の顔が見えてくるー。

【メイキング「GHOST of  影裏」について】

 撮影は2018年の8月に岩手県の盛岡を中心に行いました。この年は台風が多くて撮影が大幅に乱れてしまい、かなり入り組んだスケジュールになった気がします。『ミュージアム』でもご一緒した大友監督で、ミニマムな体制で監督の地元で撮影するということもあって楽しみにしていたのですが、メイキングで参加する上で一つ心配がありました。起伏の少ない物語なのでどういう視点でメイキングを描けばいいかが難しい、という事でした。澤井香織さんが書いた脚本の緊張感というか強度は凄まじいものがあって、初読時は研ぎ澄まされたナイフのようだなという感想を抱いたのですが、これをいざ撮影という風に読むとあくまでも文体としての強度であり、現場が芝居がどのように進行していくのかが想像しにくいものでした。

ただ、この脚本は進行する上で具体こそ書いていないけれど、表情や声にすら出さない感情の渦があり、具体で示さない事により、受け手の解釈で、より深度のあるものに昇華する可能性のある脚本でした。

ここから「GHOST of 影裏」の内容に触れていきたいと思います。

 まずはメイキングの構成に関してですが、正直撮影時は全く読み切れず編集のタイミングでラッシュを見て組み立てていこうと思っていました。前述したように、描かれている芝居や現場は濃密なものではあったのですが、それがなかなか表象として立ち現れない(事件性の見えない)現場だったので、足掛かりがなく、果たしてどうしたものかと途方に暮れていました。が、初号試写で完成した『影裏』を観て恐れ慄いたのは、「空虚な巨大さ」といいますか、大きな物語は起こっていないはずなのにとんでもない事が起こっている感じというか。大友さんは完成インタビュー時に「とにかく感情の底知れなさ、感情の爆発するような渦を描く」という事を言っていて、この言葉を聞いてメイキングの軸足が出来上がりました。

構成としては、大きく7つに分かれており、多くのフィクション作品と同様に、引きや物語上の緩急を描く事を心がけました。

オープニング / chapter.1 今野秋一 / chapter.2 日浅典博 / chapter.3 ドキュメンタリー / chapter.4 小さいもの/大きいもの / chapter.5 匿名の人 / last chapter 小さい名前

長文になりますが、各章ごとに主題・テーマについて書いていきます。

【オープニング】

 本編では、綾野剛が演じる主人公・今野秋一が、元同僚で親友の日浅典博(松田龍平)が行方不明になったと聞かされるところから始まり、以降の描写は主に今野による回想という形で物語が進みます。「震災によって失われた名前」を軸に、当時放送されていたラジオで行方不明者として読み上げられていた数多の名前や、新聞紙面に記載された死者の氏名。メイキングタイトルにある「GHOST」とは、震災によって失われた誇大な数の名前の中の小さな一人「日浅」を描く事を提示しています。

【chapter.1 今野秋一】

 綾野のクランクインの様子や、初日インタビューを交えながら脚本について、監督について、自身の役についてを描きます。並行して、『影裏』という作品が岩手県の盛岡で撮影された事や、原作についての監督インタビューを交えながら、作品背景を語る導入部として機能する章立てでもあります。メイキングでは著作権の関係で楽曲の流れている場面を使えなかったのが残念でしたが、一ノ関にあるジャズ喫茶「ベイシー」で、綾野と松田が共演するシーン(この日が松田の初日でした)で流れていたWEATHER REPORTの「black market」がもう本当に素晴らしくて!一応リンク貼りますが、リンクで聴く音源の10倍、いやもうベイシーという空間全体が鳴っているような、すごい音像の素晴らしいお店です。気になった方は是非。(こんなドキュメンタリーも公開されるみたいです。)

【chapter.2 日浅典博】

 ここから松田が演じる日浅典博の章に変わります。脚本の時点では日浅という人間がどういう人物なのか読み切れないという事を、初日インタビューで答えます。後のインタビューで確信に変わるのですが、あくまでも今野の回想(今野が思う・見ている日浅)という描き方をしているから、主体性が見えにくいんじゃないか、でも人と人の繋がりで全てを理解するなんて事は出来ないじゃないですかと、シンプルな言葉で「人とは」を紡ぎあげるのはさすがだなと思いました。見える所と見えない所の表裏というのはまさに映画『影裏』が描いているテーマです。監督からは「特に何の準備もせずに入って来て」と言われ、実際になんの準備もせずにゆるりと現場に入ったら、思ってたよりも緊張感がなくなっていて「焦った」という話はとても面白く、魅力的だなと思いました。『影裏』の撮影スタンスとしては、基本的にはシーンの頭からお尻までを通しで芝居をして、2カメ体制で何回戦かを撮影する方法が取られました。そうする事で、俳優の緊張感に途切れが生じないということや、感情の流れを作れるという利点があります。俳優の演技を主体にカメラマンがどう切り取るかという方法を取っていました。

今回、最も驚いたのは大友さんが具体的な演出というものを役者に告げないという事でした。この意図は後のインタビューで判明したのですが、「up to you=君にまかせる」という強い意志で持って可能な限り役者から滲み出てくるものを邪魔せずに、彼らの生活や感情に寄り添い、観察するように、NHKにいた頃のドキュメンタリーを撮っているような気分で撮影をしていたと述べます。このドキュメンタリーという言葉を得た事で、私の中で一本の筋道が通りました。「誰も見向きもせず、捜索願いも出されないまま行方不明になった友人の名前を探して、小さい名前を発見するまでのドキュメンタリー」として描けると確信しました。この名前を探すという作業は非常にスリリングで、本編とは別の緊張感や展開の読めなさを生み出しています。

【chapter.3 ドキュメンタリー】

 ドキュメンタリーという側面が最も反映されたシーンが、「今野が日浅の身を案じながら増水した川の様子を不安げに見つめるシーン」です。

影裏ーnote

メインビジュアルでも使われている綾野剛のカットは、実は脚本上にも予定表にもなくて、前日の台風の影響で増水した撮影現場の目前にある川の様相を見た大友さんが、当日に急遽追加したシーンなのでした。予定に無かったにも関わらず、川の荒々しさを自らの内に閉じ込めるような芝居をした綾野剛はやはり凄まじいです。この「綾野の身体反射」は、ダイナーにおける「救急車のサイレンの方を向いてしまう」という場面でも特筆すべきものがあります。これらにおいて綾野は「(撮影中に)起こった事全て受け入れようって思っちゃう」と述べており、現実に起こっている事と芝居との間に境目を作らずにいかに居たかがよく分かるエピソードだと思います。

実際に起こっている事象を受け入れて、フィクション・映画に落とし込むという姿勢でいました。

川で佇む綾野は、不意に地面を這うものの存在に気づきます。小さな蟻です。ここで綾野の視野が、大きな激流の川からミクロな蟻の生命に移り変わります。その大から小への視線の移り変わりはメイキングのテーマでもあります。

【chapter.4 小さいもの/大きいもの】

 本作には「志戸前川・葛根田川・米内川」の三つの川が登場します。この章では大きなものから小さなものへの視線の移り変わりを用いて、昆虫図鑑のように川や山に棲む生き物の紹介をしながら、背景で行われている撮影を描きます。川も、人間も、魚も、昆虫も、釣りも、映画づくりも。あらゆる営みが同等に行われている。そのような視点で描いています。

米内川での撮影で一つの主題が浮かび上がります。本編のラストシーン「釣りに来ていた今野が(いないはずの)日浅と目が合う」場面で、果たして今野はどのような反応をするのか?日浅は幽霊なのか?ここで綾野が投げかける疑問で浮かび上がるのは「見えないものをどう描くか」という事です。東日本大震災を経て人の死というものをどのように受け入れて私たちは生きていくのかを、このシークエンスでは投げかけています。ここで松田はクランクアップを迎えたのですが、その後のインタビューでこのシークエンスについて答えます。

私「川で佇んでいる様子が『もののけ姫』みたいでした」

松田「『姫』の方?」

私「いや笑、カタカタって首を振る方の、こだま?でしたっけ」

松田「意識はしてました」

私「やはり笑 でも、このシーンの日浅は果して幽霊なんでしょうか?」

松田は幽霊だと断言はしないですが、人間はそもそも様々な視点によって築かれているわけで「これ一つ」というものは無いんじゃないか。印象だって人それぞれで。だから幽霊かどうかじゃなくて、今野からは日浅が見えたってだけなんじゃないか。そもそも実体なんてない、というのは一つの核心だと思いました。このシーンの演出で大友さんは、震災被害者は、犠牲になった大切な人の「不在の実感」が出来なかったという話を綾野に投げかけます。これは『影裏』が描いているもう一つの物語、「突然いなくなった親友の痕跡や気配を探す」という側面が出てきます。あいつは確かにいた、その実感を探す物語だとメイキングでは結論付けています。

このメイキングでは、それぞれのchapterで生じる疑問や発見が、次のchapterに引き継がれていき、一本の川の流れのように進んでいく構成を取っています。そこには物語としての「必然」があり、そうあるべくしてそうあるという「運命」のようなものを描けたらという考えがありました。

【chapter.5 匿名の人】

 この章では、安田 顕・中村倫也・筒井真理子・國村 隼などのキャスト紹介的な意味合いもありますが、ただそれだけだと前述したような「必然」性がなくつまらないものになってしまいます。そうならないように、今野と日浅の一人一人を丁寧に描くことで、それ以外の他者にも同様に人生があるという事を想像させる、感じさせる事は出来ないかと考えていました。東日本大震災という誰もが経験した出来事の中に、多くの「私」がいる。タイトル「匿名の人」とは、「私」も含めた全ての人を指しており、これにはchapter.4「小さいもの/大きいもの」と同じ狙いがあります。

【Last chapter 小さい名前】

 震災から四年後、徐々に日常を取り戻しつつある今野の生活の中に、ふと日浅の名前が埋もれていた事を思い出し、探す。『影裏』は決して派手な物語ではないけれど、紙面に「日浅典博」と書かれた小さな名前が、今野にとってどれほど大きな意味を持つか。人が人を想うという事を「GHOST of 影裏」では描きました。

長々となってしまいましたが、以上が「GHOST of 影裏」についてになります。

編集期間はまさにコロナ禍の真っ只中で、『影裏』とは別に『前田建設ファンタジー営業部』の編集も並行して行っていました。2月19日に前田の打ち合わせがあって、その頃はまだ豪華客船で感染者が出ていた状況で、担当Pの方は映画の公開に影響があって興行があまり伸びなかったと仰ってました。その、影響は終わった、みたいな口ぶりに驚いたのを覚えています。僕はコロナが怖かったので当時からマスクを手放しませんでしたが、まだ人それぞれの温度感がある時期でした。それから二ヶ月後に緊急事態宣言が出ます。それまでずっと引き篭って編集をしていたのに、もっと長い期間引き篭る事態になって大変ではあったのですが、なんというか、じっと命と向き合う時間で、今までにないほど集中して物語を紡いだ静かな時間でした。私の抱える孤独や怒り、家族への想い、これからこの時代を生きていくという事が、『影裏』と『前田建設ファンタジー営業部』の二作品には注がれています。そういう面でもコロナ禍でしか描き得ない「記録」になっているとも思いますので、ご興味ありましたら是非ご覧ください。


私の事業紹介で恐縮ですが、下記ホームページにドキュメンタリーに特化した事業「MOM&DAVID」について書いています。大切な相手へ、自分の思いや記憶を伝えて残すための超ミニマムなドキュメンタリーを制作しています。被写体は「あなた」で、観客は「あなたの大切な人」です。人間とは?という問いを人類史・アーカイブの目線から、個という最小単位でもって描く試みです。「MOM&DAVID」については改めてnoteにも書きますが、ご興味ありましたら覗いて頂けると嬉しいです。

志子田勇(MOM&DAVID)





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