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日常のメロンパンに順位はいらない。

メロンパンが好きだ。そう言うと、たいていの人が続きとして、『どこのメロンパンが一番おいしいか』みたいな話を期待する。

どうして『好き』だけじゃダメなんだろう。

ちなみに、梨も好きだし、梨も同じ。
梨といえば、幸水とか二十世紀とかですよね、どれが好きなんですか?という返しをよくされる。
正直いって、梨なら何でもい。
甘味が薄い、触感がちょっとやわらかすぎる、と個別に感想を持つことはあるけど、総じて梨ならおいしくて幸せという結論で終わる。
同じ幸水だって、味がイイのもちょっといまいちなのもある。

なお、梨味をうたうアイスなどの加工品はわたしに視野に入ってこない。
梨そのものが大好きだから。


そんなわけで、メロンパンや梨が『好き』という以上に語るものは特にないのだ。


そんなわたしがある日の情報番組のメロンパン特集を見たら、がっかりしてしまった。
超一流のパン職人とアシスタントのお二人がいろんなメロンパンを食べ比べして、順位をつけていた。
わたしも、しっとり系のメロンパンよりは外側の皮サクサクが好みだし、クリーム入りは基本的に食べない。
けれど、この二人の好みに合わないものがディスられるような扱いを目にして、残念な気持ちになってしまった。

どのメロンパンだって、そのメーカーの人が一生懸命開発して、これなら買ってもらえるという自信作を世に送り出している。
売れなければニーズがないことにはなるけど、ごくごく一部の人のジャッジで優劣を定めることにモヤモヤしたのだ。


だいたい、食べ物の判断ほど曖昧なものはない。
チェーン店のメニューを一流の料理人の方々が食して評価する番組があるけど、あれだって同じものを褒める人もいればダメ出しをする人もいる。


仕事の営業成績やコンテスト的なもので順位がつくのは仕方ない。
でも、日常の中にいちいち細かい順位や優劣はいらない。
自分の好みはこれだけど、でもアレも美味しい。それで足りること。

友達と好みを明かしあうのは楽しいだろうし、教えてもらったものを食べてみるのも世界が広がる。
でも、誰かのジャッジメントは、いらない。

全部違って全部いい、でかまわない。
敗者はいらない、みんな勝者。

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