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とにかく心身不調で追い詰められてる女の話

ここ一週間ほど、びっくりするくらい気力がわかない。
noteも書けない。書くのがいやになった、飽きた、書くことが無い、というわけじゃない。断じて違う。
これまで生きて来て味わったことのない、まったく別物の気分。

気力が出ないとは、何と恐ろしいものだろう。
鬱病の気配ともたぶん異なる。
気力を潰されてることに、思い当たるふしがいくつもあるからだ。

4月頃から、人の都合に振り回されてわたしの生活ペースが崩されまくっているうえに、思うようにやりたいこと(その主なものは断捨離と物書き)が進まないこと。


そこへ、最近始まったマンション工事。

バルコニーやら玄関外の廊下やら、あちらこちらに足場と養生が張り巡らされている。
細かい鉄格子と繊細な蜘蛛の巣で建物が完全包囲されているようなものだ。
部屋にいても、工事の騒音、作業員の方の足音、物音、話し声が絶え間なく響いている。窓も開けられやしない。
これはHSPじゃなくてもメンタルをやられる。

仕方ないから外出する時間を増やした。
出かけている間は楽しい。
けれど、毎日毎日出かけていたら疲れてしまった。休息がとれないのだから、当然の結果である。
それに、ずっと外出していても家のことが回らず、それはそれでストレスがすさまじく溜まってゆく。


さらにさらに、かなしいことに体調不良。

歯医者、皮膚科、と地味に通院が続き、左目の症状にも不安を抱えて眼科も受診。
結局、飛蚊症で大事には至らず。すごくすごくほっとした。
二年くらい前にも、右目にはっきりと飛蚊症の症状があらわれた。その時に眼科の先生から、原因は早い話が『老化』と説明された。
今回も、
「結局、左目も『老い』ってことですよね?」
「まあ、平たく言ってしまうとそうですね」
「防ぐ方法はないんですか?」
「まあ、若返る薬はないですからねぇ(笑)」
「要するに、規則正しく健康的に暮らして老化を少しでも遅らせるしかないってことですよね?(笑)」
「そうなりますね!(笑)」
と、そんなやりとりを展開した。

そして、「これが更年期ってやつなんだろうか」という自覚症状。
前から疲れやすいだるい云々はあったものの、主に過労によるものだった。

それが、ここ数ヶ月ではっきりと、「更年期」という文字が頭をよぎるような謎の不調が目立つようになった。
これがホットフラッシュってやつかという体の異変、これが不定愁訴ってやつかという無力感。

もともとPMSやPMSで長年毎月苦しんできて、ようやく解放されつつあると思いきや、今度はザ・更年期でまた調子を崩す。
女って、どうしてこんなにも面倒にできているのだろう?
生まれ変わったら絶対男になる。
超売れっ子じゃなくていいから、世界のあちこちを飛び回って写真を撮る高身長のイケメンカメラマンに生まれ変わるんだ。
そんな決意をしながら自分を慰めている。

それでも、書くことと写真は好きだからnoteはそれなりに作れていた。


そこに、追い打ちをかけるように気になる症状がさらに勃発。

写真を撮っていたら、腰を痛めた。
どれだけ運動不足なんだ、わたしは。
と、まぁそれはまだ笑い話で済む。

それ以外に、明らかに体が異変を起こしている。
異変すぎて書きたくない。

マンション工事も原因かもしれない。外に出れば多少は症状が和らぐし、今日は比較的工事が静かだったから、眠気にまかせて午後は身体を休めたら、幾分かよくなった。
ただ、あんまりな症状なので早く病院に行くべきだ。
更年期の一言で、自分で勝手に片付けちゃダメなやつ。
死ぬかもしれない、とまで思った。
人はいつか死ぬ、いつ死ぬかなんてわからないとはいえ、やっぱりまだ絶対死にたくはない。

この一週間ほど、諸々のことに加えて、この体の不調に心身が追い詰められている。


─── そう、たった十日くらい前までは、こんなカラダじゃなかった。
更年期はともかく、工事の騒音から逃れるために比較的元気に外出もできた。
それが、いきなり糸がぷっつり切れたように体が故障を訴えている。

病院に絶対に行かないわけじゃない。
まだ行きたくない。
今、行きたくない、というか行けない。
行ってる場合じゃない。
今のタイミングで通院なんて増やしたら、本気で発狂する。
発狂している場合でもない。

家の中のあれもこれも、本当は5月末頃までにスッキリさせる予定だったのだ。
それが、4月から妨害されまくって、あげく工事だの体調不良だので何もできないまんま。
マジでそんなの冗談じゃない、そんな気分。

長生きしたいとは思わない。
人生100年なんて無理がある。
年金がなくなるからいつまでも働いて経済的に自立するための、そしてそのためにいつまでも健康を保つための、そんな恐ろしいキャッチフレーズに乗りたくはない。

でも、健康でいることは何よりも大事だ。
最近宝くじを買ったけど、そりゃ当たったらめちゃくちゃウレシイけど、、、正直、お金よりも健康な体と元気な心が欲しい。
ついでに言うと、心から愛し合える人が欲しい。

もっともっと若いころ、わたしは80歳まで生きると思ってた。
それが、無理をしながら生きて来たから、無理がたたって寿命が70歳に縮んだと切実に感じている。

でも、なんかもう、それで充分だ、上出来だ。
あと10年くらいは、まだまだそれなりには思うように生きて。
60歳を過ぎたら、それこそ余生を穏やかに楽しむつもりで、日々の衣食住のありがたさを噛み締めながら、今日も無事でした、と一日をしめくくって。65歳くらいまでに両親の墓じまいをして。

そんなふうに、やりたいと思ったことをちゃんとやってから、いつ命を終えてもいいように暮らしてゆきたい。
そのために、今できる片付けをしたいのだ。
今すぐ死ぬから、片づけたいんじゃない。
この人生でしょうがなかったけどまあよかった、と思えるように、
そんなふうにこれからを生きられるように、今を整えたいだけなのだ。
体調不良を起こしているのもきっと、心身の断捨離。
急にいくつかのことに興味をなくてしまったのも、
あちこちの不調が噴出してるのも、
整える時期を今迎えていて、これ以上身体を壊したりしないよう、なるべく老いは遅らせるよう、気をつけて暮らすことを肝に銘じる意味があるのだ。


と、あんなにも書けなかったnoteがここまで書けた。

いつものことだけど、書けばどことなく気力が湧いてくる。
そしてあれもこれも書きたくなる。いいか悪いかわからないけど、これはわたしのクセだ。
なのに、たいてい家の事に追われる時間になってしまって、書くことを止めるというストレスが生まれる。
毎度のことだが、これがわたしを追い詰める障害だ。


とにかく、わたしの場合書けば何かが解消される。

それが、書くという行動までたどりつけない、すそんな気力のなさはやっぱり怖い。

幸い、今日から少し生活リズムが落ち着きそうだ。


健康的な暮らしをしよう。
とにかく、早く寝よう。



それにしても、長く生きば生きるほど、抱えるものや必要な心がけが増えて大変だよな。維持するだけで大変なのだ。

心療内科の先生が言ってた。
「SNSでは皆さんイイコトしか仰らないので、皆さん元気で輝いているように見えますが、実際には色々抱えてらっしゃるものですよ」


ほんと、そう思う。


写真撮ってる時間は、好き

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