【ドラマで見る女性と時代】その4の拾 『光る君へ』~世の中のために貴族を振った女・まひろ~(2024年)
一緒に都を出よう、寄り添って生きるにはそれしかない、藤原を捨てる、おまえと一緒ならやっていける、おまえと会うために俺は生まれてきたのだ。
道長は駆け落ちへと誘う言葉の数々と熱い想いをまひろにぶつける。
しかし、あなたのことは大好きだけど、都で偉くなってより良い政をするのがあなたの使命、それを死ぬまで都でずっと見ているから、と切実に訴え道長を振り切るまひろだった。
※見出し画像は、京都にある廬山寺の写真です。
「 海の見える遠くの国へ 」とは言ってほしくなかった
率直に書くと、今回の道長とまひろの肝となるシーンにはあまり感動できなかった。
その原因のきっかけは、二人が結ばれる様子が、一瞬でも流れてしまった予告映像。
ああ、とうとうここで一度密かに結ばれるのね、どんなやりとりでそこに至るのかしら、とちょっと俯瞰して観てしまった。
そして、なんだか期待外れだった。
都を捨てて二人で一緒に、という道長の真剣な気持ちはもちろん伝わってくる。
しかし、それと同時に、藤原氏の一員として背負ってしまっている重荷をひしひしと感じてしまった道長が、そこから逃れるべく都を離れることを必死で実現したいようにも見えた。
もっと早くそうすべきだった、との彼の言葉には、藤原氏としての現実味を帯びる前にこんな家を断ち切れば良かった、そんな後悔も滲んでいた。
道長が口にした、「 海が見える国へ行こう 」との言葉。
もともと「 海が見える国 」は、前回悲しい末路を遂げた直秀がまひろに告げたキーワードだ。
都よりもっともっと広い世界を知っていた直秀。
都の外は面白いぞ、都の外には海がある、海の向こうには華の国がある、海には漁師がおり、山にはきこりがおり、華の国と商いをする商人もいる。
都山に囲まれた鳥かごだ、俺は鳥かごを出て、あの山を越えて行く。
彼が「 海が見える国 」をまひろに語った時、眩しそう遠くを見る目には光が映り輝いていた。彼の視線の先にある都を囲む山の向こうに、本当に海が広がっている気がした。
「 海!見たことないわ……! 」「 山の向こうの海のあるところ…… 」と、まひろは未知の光景に強い興味をそそられていた。
一緒に行くか、との直秀のささやかな切ない告白に、行っちゃおうかな…とつぶやき、揺れる心まで見せた。
直秀をはっきりと好きだったのではないけれど、まひろを少しでも動かそうとするほど、海を知る直秀の語りは魅力的だったのだ。
一方で、道長が何をどう言おうとも、まひろが頷くことはなかった。
遠くの国で二人で暮らしても、自分は幸せかもしれないけれど、世の中は変わらない、都で道長が出世して世の中を変える、それが道長の使命だ、自分は遠くの国へは行かない、と最後はきっぱりと言い放つ。
情にほだされることなく、真剣に世の中のことを考える。
道長は逃げてはいけない人なのだとまひろは分かっていた。
彼女の聡明さ、先見の明が現れた場面だ。
どんな意図で道長はその同じ言葉を言ったのか。というより、脚本としてどのような意図で言わせたのか。
絶対に直秀を連想する。
だからといって、直秀のまひろへの想いをなぞらえて叶えようとする道長、という姿を狙ったわけでもないだろう。
道長としては、それくらい遠くへ二人で行こう、という単純な意味だったのかもしれない。
海を、都以外の世の中を知り広い視野と心を持つ直秀と、自分の立場から逃れたい気持ちでだだをこねているようにも見える道長。
同じ「 海が見える国 」と言わせたら、世間知らずな道長の稚拙さを強く感じとってしまい、まひろの興味を一瞬でも魅了した直秀に軍配が上がってしまった。
この違いを狙って言わせたのだろうか。
それに、海が見える国という言葉は、まひろと直秀の思い出の中のものとして大切にしまっておいてほしかった。
直秀のために。
と、そんな気分もある。
直秀は、漫画、ドラマのみでなくリアルにも存在しがちな、『 主人公が心を許し、それなりに主人公と近しい立場にいるのに、なかなか振り向いてもらえないイイ男 』である。
道長とまひろのやりとりよりも、そんな彼への同情が、わたしの中で盛り上がってしまったのだった。
服を着ている方がそそられると思うべき?
あなたとは行かない、とはっきり言われているのに、それでもまひろを強く抱き締めながら「行こう」と告げる道長。
この「行こう」は、絶対に二人で都を出たいという揺るがぬ想いとあわせて、まひろの言うとおりであるのを心の底では解っていて、それでもあえて叶えたい、行こうと言いたいのだという悲壮な響き持ち合わせていた。
この切ないシーンの次が、突如として事が始まる二人となっている。
その前から固く抱き締め合って想いを確かめていたとはいえ、行こう、行かない、行こうからのコレはちょっとよくわからない。
まひろは理性的で意思の固い女。
愛し合っているから当然こうなるでしょ?とも思いにくい流れで、結ばれてはならない人に身体を捧げるに至ったまひろの心理がよくわからない。
もうちょっと、
「 そんなに行けぬと申すのなら、せめて遠くの国にいる俺達の夢を見せてくれないか? 」
と道長が耳元で色っぽく囁くとか、
「 この想いは本物です。ずっと都で道長様を見守り続ける証が欲しいのなら、私でよければ喜んで差し上げます 」
と、道長を三郎と思っていた頃の強気なまひろに戻って自分から申し出るとか。
そこに至るワンクッションの何かが欲しかった。
あんな廃墟でしか結ばれることができない二人なのか、と切ないものがある。
だからこそ、あの日あの場所で結び付いておかねばならないことをもうちょっとはっきり示してほしかった。
そして、事が始まり、そして事後。
どちらの場面も二人は衣をまとっていた。
ずっとこの格好だった………のだろうか?
そもそも、この時代の人達は、事に及ぶ際に全部脱いでいたのか?
ちょっとだけ調べてみたけど、その辺りはよくわからなかった。
セックス&バイオレンスでギリギリに攻めている脚本、そのギリギリとはどこなのか。
結局ここ止まりか?肌を見せるのはやっぱりNGで、あれが日曜夜8時の限界値なんだろうか……?とNHKの放送コードの方が気になってしまっていた。
いや、むしろ着たままの方が色っぽいと思え、ということだろうか。
壁もろくになく外から丸見えの廃屋の場面。
そこで二人が衣をはだけるのも変だし、着たままもそれはそれで色気があるでしょう、と、放送コードとの兼ね合いの絶妙な設定だと誉め称えるべきなのかもしれない。
平安史上最高級にカッコいい女・まひろ
そんなわけで、冷静に見ていたあまり、この逢瀬が始まってからの一連のシーンにほとんど感動できなかった。
けれど、懸命かつ芯が通ったまひろという女子に、あらためて惚れ惚れしている。
なお、今回最も心打たれたのは、道長の和歌に対してまひろが漢詩で返し、最後には道長が漢詩で気持ちを伝えるやりとり。
和歌は想いを言葉に託す、その一方で漢詩は志を表す。
そんなふうにドラマでは紹介されていた。
和歌の恋文に対して、漢詩。
まひろの漢らしさに痺れたし、最後はまひろの意図を理解したような道長の漢詩に胸アツってやつだった。
俺はおまえを求めているのだ、という道長の志を漢詩で真っ直ぐに言われたからこそ、意思の強いまひろも動かされてしまったのだろう。
それでも、とうとう都を出ることをまひろは断り続けた。
子供の頃からずっと好きだった。
山中で直秀たちの亡骸を埋め泥まみれの姿で大泣きする姿に、貴族ながらもまっとうな『 人の心 』を持っている人だとわかったから、もっともっと大好きになった。
そんな大好きな人は、この世を正しく導くために必要な人で、自分だけ独占してはいけない。
自分の幸せより、世の中のために、叶うはずの恋心を捨てる決意をして道長の言葉を振り切ったまひろ。
愛されて、結ばれて嬉しい、けれど一緒にはなれず悲しい。
そんな胸を引き裂かれるような残酷な幸せの道を自ら選んだのだった。
頭が良く、物事を正しく見つめ、死ぬほど好きな男の誘いも自分の欲を殺して世の中の為に断る。
………なんて格好いいんだろう、まひろって女は。
そんな彼女なら、扇子で口許をおおって笑うだけの女子たちの中で、天下人から心底愛される唯一無二の存在に相応しいと納得できる。
以上が、第十話『 月夜の陰謀 』感想であります。
前話の感想です。
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