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穢れで遊ぶ子どもたち


 回想。「君は性格が悪い」と私に言った、くま先生のこと。

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 私は中学時代の記憶が殆どありません。教室の隅で小説を読み、学業を終えては部活をサボり、晴れた日には近くの河川敷で読書、雨の日は図書館通い。夕方六時を頃合いに運動部のユニフォームを適当に汚し、家に帰るの繰り返しです。だから記憶に残るような特徴的な思い出がないのです。

 くま先生は英語教師で、授業の始まりには必ずビートルズを流す変わり者でした。学年主任も請け負っており熊みたいな風貌から女学生に『くま先生』と持て囃されていました。

 私は授業が好きでした。授業の時間だけ私は私という個性を無くす事が出来たからです。この時間だけは、飽くまで皆が平等な授業を受ける『生徒』でいられる。だから私は休み時間が嫌いでした。嫌が応にも『私』という存在を意識させられるからです。

 三年生になり、私はくま先生の受け持つクラスの生徒になりました。それで、確か夏休み前だったと思います。人権作文を提出する機会がありました。私はその作文に、こんな内容の文章を書きました。


少年法は撤廃すべきである。私たち未成年は理性を自覚し、少年法の庇護を明確に理解している。法が犯罪の免罪符にある現状を肯定すべきでは無い。私たち少年少女はあなた方大人が思うほど純真無垢に美しい存在じゃ無い。時にあなた方以上に残酷で打算的な存在であることを成年諸氏は知るべきだ。あなた方の蒙昧な視座が学校という機関を聖域化しており、その聖域化が学校内に蔓延る犯罪の幇助隠匿に結びついている。私たち少年少女は喜んで犯罪を犯す。学校は聖域であり、法が私たちを守ってくれるからだ。大人よ、私たちの犯罪を消してくれてありがとう。私たちのいじめをいじりに変えてくれてありがとう。今日も私たちは穢れで遊ぶ。楽しいからだ。


 反抗期が過ぎますね。少年法の機能の一端しか知らない、無知な学生の文章です。家でも学校でも体裁としての優等生を保っていた当時の私は、色々と限界を迎えていました。つまるところこの作文が精一杯の反抗期、その結実だったわけです。私はこの作文を書くことで、誰かに叱って欲しかったのかも知れません。性悪な性格を指摘してほしかったのかもしれません。今となってはよく覚えていません。

 夏休み直前、終業式の後の教室で、くま先生は言いました。「短いシカ、放課後職員室に」心臓がドキリとしました。そもそも学校で名前を呼ばれた経験が殆ど無かったので、その点にも驚いたのかも知れません。起立、気をつけ、礼、着席、掃除の時間です。箒を掃く頭の中には、嫌な考えばかりが浮かんできました。

 きっと人権作文の件だ。怒られるだろうか。叱られるだろうか。説教だろうか。呼び出しだろうか。もしかして停学?退学?……たかだか人権作文で何を考えてるんだって話ですが、当時の私にしては大事件でした。何よりコミュニケーションの才能が無かった私にとって、先生と話す、なんて行為はハードルを何段も飛び越えた試練の様に感ぜられたのです。掃除を終え、元通りになった教室で、私は椅子に座ったまま動けなくなってしまいました。

 このまま帰っちゃおうか、忘れてましたで済むだろうか、お腹が痛いと嘘をつこうか、塾があるのを忘れてたと言おうか……あれこれ言い訳を考えてる内に、次第に頭は動かなくなりました。無味乾燥な時間だけが刻々と過ぎていきます。そして日が落ち始めた頃、くま先生が教室に顔を出したのです。

 「お、いたいた」くま先生は怒りもせず単調にそう言いました。そして私の前の席にどかりと腰を下ろし、私の書いた作文を机に広げました。あぁ、やっぱり……私はもう泣きそうになりながら、それでも沈黙するしかできませんでした。そんな私の心内を露知らず、くま先生は容赦なく口を開きます。

「これ、市のコンクールに出していい?」くま先生はそう言いました。「学年で何人か選出するんだけど、短いシカが良いならこれ出そう思って」
 私は眉間を寄せました。「え、何でですか」思いの外、素直に言葉を吐き出せました。緊張よりも純粋な疑問が勝ったかもしれません。
「うん、僕はこれいいなって思ったから。一番尖った文章だったし。こういうの、大人になると中々書けないんだよ」くま先生は終始穏やかな口調です。

 私はくま先生の言葉を信じていませんでした。人に褒められるのも随分久々に感じるし、猜疑心だけで育ってきたような子どもです。私は直前に感じていた恐怖を余所に、半場つっかかるような口調で言いました。

「これは駄文です。青くて滑稽で、子供っぽい文章です。全然良くないです。それに……」そこで私は言葉を詰まらせました。「透けて見えます、作者の性格の悪さが」

 するとくま先生は何かに気付いたような口調で「あぁ、そういう。ふん、そっかそっか……」そして掌に弛んだ顎をのせて、何かを探すように天井を見つめだしました。

 その間私はと言うと、自己嫌悪タイムです。折角褒めてくれた先生の言葉を真っ直ぐに受け止められない自分の幼稚な性格に……まるで子供だな、そう考えていました。私は内省の最中、くま先生の顔を観察していました。髭を蓄えて、眉毛が太くて、短く刈り込んだ髪の毛、体型は体育会系なのに、脆弱な文化人を思わせる風貌……こんな顔をしていたのか、私が思った矢先です。くま先生はその大きな瞳で私の目を見据えました。私は直ぐに反らしまします。そして静寂です。先生は口を開きません。言いたいことは決まってるように思えます、でも口を開かない理由は……私が目を反らしてるからだ、感覚的にそう思いました。だからちっぽけな勇気を持って先生の目を覗いたのです。黒々として大きな、くま先生の目を。

「君は性格が悪い。それで何がいけない?」くま先生は言いました。「文章には人の心が現れる。性格が悪い君の心、僕は美しいと思うよ」私は何も答えません。「君はこれから先、沢山の知識を得て賢くなるだろう。沢山の経験を経て為人も変わるだろう。きっと未来、立派になった君は今の君を思い返して、青かったなぁ、未熟だったなぁ、性格が悪かったなぁ、なんて思うかも知れない」くま先生は穏やかに、でもきっぱりとした口調で断言した。「でも今、僕が美しいと思うのは、今の君の心だよ」

 そして。

 コンクールに提出された私の作文は賞に擦りもせず、無様に無冠の作文となりました。その後の私は相も変わらず根暗で友達も出来ませんでしたが、以前ほど学校で息苦しさを感じなくなったと思います。あと、ビートルズを聴き漁るようになりました。これが私の中学生の記憶、その殆ど全てです。


 そして年月が流れ。

 私、短いシカは……。

 ……。




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 無事⭐︎Dancin'all night⭐︎シカになりました。薄皮一枚のプライドを持ち、考えたくない諸問題を後回しにして、嫌なことから積極的に逃げ出す情けない大人に無事成長しました。

 あの頃、先生が美しいと言ってくれた心はもうここには無いかもしれません。今の私は軽佻浮薄な一人の大人として、軽々と人生を謳歌しています。「それで何がいけない?」さぁ、何がいけないのでしょう。私は何の考えもなしに、今日もビートルズを聞くのです。



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