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十二夜事件

「ところで隣の女性は?」

野村香織の目線の先には派手な蛍光色のウインドパーカをすっぽり被った女性が鎮座している。ミックスナッツを音を立てて齧る品の無い女性、名前は『リク』彼女に関して今語るべきことは何もない。

「妹だよ」
「聞いたこと無いけど」
「じゃあ姉」
「内海くん、デリケートな話なの」

リクはバーテンに『柑橘系でなんか爽やかな感じのやつ』を注文し、ナッツの油が染み付いた手で携帯ゲームに興じ始めた。リクは今日、ここのお代を払うつもりは無い。僕もそうだ。

「帰る?」

僕の提案に野村香織は舌打ちで返答。バーテンに空のグラスを示し、人差し指と中指を立てる。どうやら長居する覚悟が出来たようだ。彼女は鞄から大きなタブレットを取り出し、あるSNSのユーザーページを映し出した。ファッションを基調としたフォトジェニックが櫛比に並ぶ、アカウント名は『カオリ』フォロワー数は五桁。被写体は全て、目の前に座る野村香織だ。

「随分人気者なんだね」
「これ、私だと思う?」
「思うも何も、名前も姿も何もかも君だ」
「でも私じゃない、ここに写ってる女は。何もかも私なこの女は……女ですらない。彼の名前は夏目雫。私の元交際相手。内海くんにお願いしたいことはこれ。この男から私を取り戻してほしい」

面白そうな案件だ。これが探偵物語なら、僕はタイトルを『十二夜事件』と名付けよう。しかし実際僕は探偵じゃ無いし、他人の問題を解決する気も更々無い。退屈しのぎの夜跨ぎ、目的は飽くまでそれだ。

ハイネケンを口に含み、腕時計を見やる。忙しない秒針が、草臥れた短針が、堅実な長針が間もなく重なる。僕は静かにその時を待つ。

……さて、夜を跨いだ。
十二夜事件が始まった。

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