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未読スルーに対して率直に思うこと

LINEの既読をつけない人が苦手です。

「既読スルーに悩む人」の特集が、あらゆるニュース番組で組まれていた頃を覚えていますか。きっと今も悩んでいる人達はいると思うけど、あの頃よりケアが充実していて人数は減ったんじゃないかと思います。そんな中で私は、LINEの既読すらつけない人=未読スルーをする人が正直かなり苦手です。

本当はわかっています。何小さいこと気にしてんだよ、と。でもその行為をされた時の寂しさ・虚しさは否定できません。返信が欲しいなんて頼んでいないし、そもそも私も既読スルーをよくするから人に偉く言えるわけじゃないけれど、既読すらつけないっていうのは、ただ寂しいです。

わざわざ「既読になったかな?」なんて確認することはなく、ただLINEを送ろうとしてトークに飛んだときに、既読になっていないことに気がついた時。無視されている、とかそんなことを思うわけじゃなく、ただ寂しさがすぐそこにあります。

一体なぜ私はこんな気持ちを抱えるのか、今回は考えてみました。

いろんな記事を読んでみると、未読スルーの理由は、①忙しい②駆け引きをしている③埋もれてしまっている④興味がない⑤メッセージ内容に怒っている⑥即レスして「暇だ」と思われたくない が大きな理由だそうです。多分、私が未読スルーをマイナスに感じるのにはこの上記理由が本当の理由ではないと、納得ができていないからだと思います。

①忙しい→既読がつけられないほどの忙しさの不思議
②駆け引きをしている→その手間の不思議
③埋もれてしまっている→赤の数字という分かりやすいポイントをスルーしてしまう不思議
④興味がない→興味がないなら既読をつける方が後々楽
⑤メッセージの内容→解決した方がお互い楽
⑥「暇だ」と思われたくない→そのプライドが不思議

等々、私は全てにおいて理解ができないでいる頭の硬さです。例えば「LINEをわざわざ開かなくてもホーム上で見ることができるから読んだつもりだった」はよく聞きますが、でも赤の数字は消えないだろう、と。それを気しないのか、と。絶対気がついているだろう、と。未読スルーをしてしまう誠意ある可能性は、スマホを無くした・データが飛んだ、がせいぜいだろうと。それかどうしようもないほど悩んだ末の人間関係のもつれだろうと。私はそこまで考えてしまいます。

要は殆どの場合「面倒」ってことじゃないのかな。既読スルーをする私が言えることではないと分かった上でただ、一つだけはっきりと言えることは、友人でも家族でも大切だと思っている人に少し距離を置かれる・その手間が面倒だと思われている、そう過剰に感じ取ってしまうことが「寂しさ」になってしまうのだろうと思っています。

つまり、私からの愛情の方が大きいんだな、と感じ取ることが苦しいです。私は上手く関係を作れた友人たちは、皆横一列で大好きです。みんなが大切。でもきっとその考え方って偏っていて「親友」という言葉が存在する以上、友人の中でもランクが存在するのが一般的でしょう。その見えないランクに私は怯えているのかもしれません。あぁ、私はこの人にとってあまり大切じゃないのかもしれない、なんて思ってしまう。だから既読をつけない人が苦手なんだと思います。

そしてそう思うとその人に対して、私の中でも横一列が崩れそうになる瞬間があります。でもそうはしたくなくて「気にしてもしょうがない」って言ってしまうけど。人に厳しくて、自分に甘いのかもしれません。でも、私の中の人に対しての想いがこんなことで崩れそうになる瞬間が何よりも嫌いです。

人は自分を大切にしてくれない人よりも、大切にしてくれる人の方が大切にできるに決まってる。無慈悲の心は簡単じゃないから。そう思い始めてしまう自分に嫌悪感を覚えてしまうので、私はLINEの既読をつけない人が苦手です。

こんな話を「未読スルー張本人」に話したら「え!ごめん!繊細!めんど!」と笑って言われたけど、未読スルーをしないでいてくれるようになったから、やっぱり私は私の友達が大好きなようです。


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