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恋する対象が趣味の私
今日は朝8時30分に起きて9時にテレビをつけた。理由はシンプルで、有原先発を観るため。結果は4回3失点。
ついこの間まで観戦しに行こうと思えば行けたのに、今では時差の存在する場所、テレビの画面上でしか観ることが出来ない。髭を生やした赤いユニフォームの有原は、知らない選手のようで。それでも真っ直ぐな眼差しは変わらずだ。
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昨日久しぶりに日ハムが勝ち星を手にしたけれど、ファンとして日々の試合を観て気持ちが落ち込む連敗期間だった。とくに3日前のドラ1ルーキー伊藤投手の悔しそうな顔には本当に心が痛み、それはもらい泣きしそうになるほどで。なんだろう、姉目線で擁護したくなる姿だった。
ファンは日常の中の娯楽、喜びとして応援をする。例え応援ユニフォームを着ていても着ていなくても、みんな同じ思いで選手に期待をしてしまう。なかなか噛み合わないチームにヤキモキしても私にはどうすることも出来ないと分かりつつも、更なる期待をしてしまう自身に「もっと気楽に応援しようよ」と声をかける日も少なくない。
「趣味が充実していて羨ましい」とよく言われるけれど、充実しすぎているとソレに首を絞められることになる点では警告レベルだ。趣味は心を癒す時間として一般的に紹介されるけれども、感情がそこだけに集中してしまう人間にとっては、その大きすぎる反動に耐えきれなくなってしまう時もある。だから気持ちをいろんなところに分散させようと、恋愛が存在しているのかもしれない。
恋愛には大きなエネルギーが必要らしい。人と人との関係だから当たり前なのだけれど、自分の思い通りに決してならないから溝が発生し、その修復のためのエネルギーを放出し続けて二人で幸せを描いていくらしいけれど、私にとっての恋愛エナジーは全て趣味エナジーへと変換されるから、楽しそうに見えている時とそうでない時の波が激しくなってしまうのだ。誰かが恋人の相談をすることと、私が趣味の相談をすることはある意味同じなのだ。
私が人と違うのは、恋をする対象が違うことだけ。
そんなわけで、昨日とりあえず1勝を手にした姿を見て、張り詰めていた心が少し緩んだ夜だった。来週の今頃は東京ドームでスタメン紹介待ちしているくらい。これほど1週間を待ち遠しく思うこともそうそうないだろう。
1週間できるだけ穏やかな波を育てていたい。
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