フルーツサンドを食べて幸せだと笑える私
心を救う甘いものを作ることが私の楽しみの一つでもあるけれど、クリスマスや誕生日とかそういうイベントではない普通の日にもデザートを買うときがたまにある。
仕事中にどうしてもフルーツサンドが食べたくなった。平日の日常で食べたくなる事があまりない。そんなフルーツサンドを食べたくて食べたくて、キーボードのミス打ちが増量。昼休憩に職場近くにあるサンドウィッチ屋さんに販売しているお店があるから買いに出かけた。
2つ入りで300円。
旅行と野球観戦以外全くお金を回さない私にしたら、美味しいと理解している生食パンならまだしも、それ以外のパンで300円はとても高級で。なんでもない金曜日に、いつも通りに出社して仕事をしているだけで何も特別なことをしてるわけじゃないのに。フルーツサンドを食べるだけで幸せな気持ちになる事ができる。「昼間からこんな贅沢をしてしまっていいのだろうか」という少しの後ろめたさがあり、自然に逆らうかの如く気持ちよく感じてしまう。
おそらく美味しさと優越感でニヤけていたであろう、そんな私を見て先輩が「今日も楽しそうだね」と笑っていた。
〜〜〜
職場での私はチームの中では一番の年下で、調子の良い子供のように先輩達からは見えているのだろう。いつも「楽しそう」「充実してるね」「いいな〜」と言われるけれど、そんなのあくまでも外面だけなのだ。心の中にはいつまでもぐずぐずで泣き虫な私が住んでいるけれど、それでも人との繋がりを断つ事は出来なかった。それまで手放したら将来本当に一人になってしまうから。それだけは嫌だったから、私は自らの意思で今のキャラクターに進んでなったのだ。
だから「今日も楽しそうだね」は最高の褒め言葉。
作って生まれたキャラクターに対して違和感を自身でも感じることはなくなるほど、心地の良い「私」を作る事ができた。生まれた時からそうであったと錯覚しそうになるけれど、私はなりたい自分をイメージしてそこに合わせて自身をコントロールして「私」を生み出した。心の底に元々の沢山批判され続けた学生の頃の私を仕舞い込んで、今の「私」を生きている。
本心、本音、本物。そこからは遠い場所にいる私だけど、甘いものを食べて喜べてしまうことは本心だ。今の職場が好きなのも本音だし、今の自分の方が好きなことも本音なのだ。遠いけれども一番素直に胸を張って「その通り!」と言えるのだ。
嫌な事があってもそれなりにダメージを回避して生活できているのは「自分が好きな自分であり続けたい」その思いが人一倍強いからかもしれない。
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