見出し画像

無意識の独り言。「飛行機乗りたい」

「飛行機乗りたい」


え?と先輩に聞き返されてしまうほど、無意識に私はそう呟いていたらしい。無自覚の独り言ほど本心を表す言葉はそうはない。考えなければいけないことを取っ払っても尚、体に残っている言葉だから「飛行機に乗りたい」と心と体全てが熱望してしまっているようだ。と言っても最後に飛行機に乗ったのはつい最近で3月8日の話。

私は何かと少し体が疲弊していると感じれば「自分へのご褒美」というワードを使用しすぐに飛行機に飛び乗る人間で、食や物へ興味が注がれない。むしろその喜びを感じるために生きている。他視点からはよく「気楽で趣味に充実してて楽しそう」と言われてきた。自分自身でも思いついたら躊躇うことなく旅立つ事が出来てしまうかなりエアリーな性格はとても好きなところ。嫌味を込められ揶揄されることもあるけれど、そんなことを気にする時間が勿体ないと思えるようになるほど一点集中型でもある。


〜〜〜


私にとってのご褒美は「旅行」だけれども、その基準は当然人それぞれで、私はこれを周囲に尋ねるのが好きだ。

「疲れた時の自分へのご褒美は何?」

1人の友人は「漫画の大人買い」と答え、子供の頃に憧れていたと言う。また別の友人は「岩盤浴」と答え、汗を流すとスッキリすると言った。この答えを聞くだけでなんとなくその人の性格や、背景が垣間見える気がしてなかなかに面白いのだが、逆に私の「旅行」はあまりにも普通すぎて面白味がない。ただそこに「ひとり」と付け加えると、割と良いリアクションをされる。「一人で旅行に行って楽しいの?」「寂しくない?」なんてこと言われるのはもう慣れてしまってそれに対しての模範解答も頭のなかで既に出来上がっている程だ。


そして今、このご褒美を実行することを公言すると、かなりナンセンス的な視線を向けられてしまうことが悲しい点で。だから誰にも言わずこっそり行ってこっそり帰ってきて普通に職場復帰するという。まるで大罪を犯しているような奇妙な感覚を覚える。それってどうなのかなって思うけれど、人間の命が危ぶまれる今、致し方ないと自らを落ち着けるしか策がない。そんなわけで、今年も大好きな空港に行ける機会は残念ながら少なさそうだ。


でも今シーズン、ファイターズ主催の試合が4月と5月に合計5戦あり、6月には交流戦で巨人と3戦予定されているというのが唯一の救いで、私の心は大きく荒れることなく平穏で満たされるだろう。ただ、都道府県を跨ぐことを白い目で見られる中で、東京ドームに一万人以上が集うことに対して少しその視線が柔らかくなることは不思議だ。この地を離れずに一ヶ所に集まることはギリギリ良くて、この地を離れること自体は絶対NGという、分かるような分からないような基準を目の前で提示される度に、旅行が趣味の人間の生き甲斐への希望は薄れてしまう。上手くヒラリとかわせる理由も見つからないからだ。


今、バーチャル旅行の開発促進が盛んでよく番組に取り上げられるのを見るけれど、映像の綺麗さに感動はするがやっぱり私は満足する出来なかった。旅行気分を味わうというテーマには到底届かない。それは自分の足でその地へ赴き、頭・感情で実感する、身体中をフルで使い五感を満たすことで旅の意味を見いだしているからだ。いくら技術が進んでもリモートの旅行は限られたスペースの視覚しか得る事が出来ないから旅行というジャンルに括る事が出来ない。だからリモートで欲を我慢をする事も出来ないのだ。


そんな風にして、せっかく生まれてきた物を批判してしまうような心のズルイ人間になってしまっている最近。コロナで思い通りにならないことへの苛立ちの逃し方が分からない。でも、コロナで批判的なことを言う生活からいい加減に逸脱しなければいけないとは思っている。


新しい物を受け入れる強さが今の私には最も必要だ。

画像1


とはいえ、非現実的な時間を得られる旅行。

早くその日が訪れますようにと願うばかりだ。


この記事が参加している募集

#おうち時間を工夫で楽しく

95,469件

#最近の学び

181,685件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?