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自分の欲が大切な人を傷つけないか考える

起きてLINEを開くと「一人旅に来てるけど何したら良いか分からない、寂しくて会いたい」と友人から連絡が来ていて、どう返したらいいか悩んでしまった。私だって会いたいけど、冷静に考えて会いに行ける状況ではないと分かっているからだ。

「小池都知事が今朝、過労で入院した」というニュースを見た。普段、政治等無頓着すぎるほどの私は、朝の情報番組で流れるさわりの出来事しか知らないけれど、私自身普段から基本的な感染対策は実施している。外で誰かとご飯を食べるということもしていない。だからこそ、「都の代表として、もっとコロナ終息に向け国と連携を図り、円滑にコロナ収束への道を早く作ってほしい」と悪態すらついていた。それでも「小池都知事入院」の字を見た時、とにかく心が痛んだのだ。


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都知事は家族でもないし友人でもない、一方的に私が知っているだけだけど。

誰かが傷ついたり崩れたりしないと、悲しみの存在をどこか遠い場所のことの様に思い、現実として認識出来ない自分が情けなくなったのだ。そして人任せな自分に腹が立って、そして悲しかったのだ。人が傷ついてからでは遅いのに。

今の社会はあまりに不公平が過ぎる。それは金銭面・精神面と両者に言えることで。本来苦しみの大きさを比較することは可笑しいことだけど、その中でも私は少しのダメージがありながらも傷が浅い方なのだろう。働けている、外には出づらいけどそれなりに充実感を得られる生活が出来ているのだから。


そんな私が今出来ることは?

コロナが流行り初めた時は毎日の様に考えていたのに、慣れてしまったがためその考えを思い浮かべなくなっていた。慣れは怖い。初めよりも遥かに多くの人が犠牲になっているのに、慣れてしまうとそれ以上に自分の欲求を我慢できなくなってしまう。人に会いたい、お酒を飲みたい、そんな欲に。

今一度、私が今出来ることをよく考えると一つの答えとして浮かんだことは、初心を持ち続ける必要性だった。良いことだけに使われる「初志貫徹」ではなく、良くない時でもその気持ちは持ち続けていた。友達と会いたい。でも今はそのタイミングじゃないし、我慢できないことはないはずなのだ。だって会わないことは今、友達を守る方法にもなるのだから。冷静さを持ちつつ、物事を判断するには慣れてしまった感覚ではなく、初心の感覚を持ち続ける必要があると思うのだ。


もっと考えよう。

本当に自分がしようとしていることは大切な人を守れることなのか。大切を守れる行動をしよう。


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