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ぼくらの会社が「マネージャーなし」でもうまく機能している理由

「しばらく、新卒を採るのはやめませんか?」

5年前のある日、マネージャーのひとりがぼくにこう言いました。

当時、ぼくらの会社は崩壊寸前でした。マネージャーたちは日々のマネジメント業務に疲弊しきって、そのしわ寄せが、いちばん弱いメンバーを苦しめていたのです。

せっかく入社してくれた新卒社員が、1年以内にやめてしまっていた。

5人採用した新卒のうち、2人がやめてしまったという感じ。大きな会社からすれば普通かもしれませんが、ぼくが組織の再生を目指して新卒採用をはじめたこともあり、そのショックは大きくて。

きちんと育ててあげられないのに、新卒を採り続ける意味ってあるの? 残っているメンバーが気持ちよく働ける会社にするのが先なんじゃないか? 社内ではそんな声が上がりはじめていました。

こんな状況を受けて、ぼくらは大規模な組織改革に踏み切りました。

いま、ぼくらの会社には「役職」がほぼありません。

役員以外は、部長も、課長も、マネージャーもいない。ただそれぞれのメンバーに「役割」があるだけです。

そのような「フラット」な組織に変えて、さまざまな制度を整備したことで、いまは確実に組織が改善しているのを感じています。

対外的な成果も見えはじめています。昨年は「心理的安全性AWARD2022」にてゴールドリングを受賞することができました。

ぼくらがなぜ組織崩壊のピンチに陥り、フラットな組織にたどり着いたのか?

今回はそんなお話をします。組織運営やマネジメントに悩んでいる方、特に成長中の会社にいる方にとって、少しでも参考になればうれしいです。

対等な立場だった「戦友」が、いきなり「上司」に

組織崩壊がおきてしまった5年前。ぼくは社長ではなく「取締役」の立場でしたが、そこから見えていた景色をお話しします。

ぼくらは20年ほど前に、名古屋で創業した会社です。最初は数人のベンチャー企業だったのですが、社員数が50人を超えたころから、なにもかも社長が決定する体制に限界がきはじめました。

それから、組織形態の試行錯誤が始まりました。毎年のように、グループやリーダーの変更をしていたのですが、なかなか機能せず、リーダーのやることも、組織課題も増えるばかりで。

そこで、きちんと指示系統がわかるように「ピラミッド型」の組織を目指しました。

会長や社長といったトップがいて、その下に役員やシニアリーダー、マネージャーがいる。縦割りの「役職」で仕事をする組織です。指示系統がはっきりしているので、本来ならスピーディーに組織が動くはずでした。

しかし、ぼくらの場合は、それもうまくいっていませんでした。

ぼくらは同じ世代で固まってできた会社です。20年前「これからはWEBの時代だ!」と、同じ志をもつ若いメンバーが集まって。みんなモノづくりに対して熱くて、たくさんケンカもしたし、いろんな困難を乗り越えて成長してきました。

いわば「戦友」みたいな存在です。だからこそ「どちらのほうが偉い」みたいな感覚が、どうしても合わなかった。

しかしピラミッド組織だと、構造上「役職」に人をあてざるを得ません。

それで当時は、半ば強引に役職をつけてしまっていました。部署の分け方も、適性や本人のキャリアを考えず、売り上げや業務の種類などの「ハード面」だけをみて判断していました。

すると、メンバーたちにとっては「それまで一緒にワイワイ騒いでいた仲間が、なんか急に偉そうになった」みたいな印象になってしまいます。

マネージャーとしても「本当はモノづくりが好きなのに、いきなりマネジメントをやらされて、めちゃくちゃ忙しいうえに文句を言われる」みたいになってしまう。

メンバーもマネージャーもすごくがんばってくれていたのに、そういう深層心理をぼくら役員陣がきちんと考えられず、上司と部下がギクシャクしてしまっていたんです。

たとえば、上司との1on1。

会社からは「自分のキャリアプランやプライベート、仕事で行きづまってることを上司に相談しろ」と言われます。でも「ギクシャクしている上司に対して、そんなことは話したくない」という人が出てきていたんです。

給与制度への不満

給与を決める評価制度も、うまく回っていませんでした。

ぼくが代表になる少し前に、会社には「自己申告型の給与制度」が導入されていました。メンバーが自分の希望給与を、上司に直接申請する制度です。

ところが、関係がギクシャクしたまま制度だけ導入してしまったので「上司に希望給与を知られたくない」というメンバーもいました。

ただでさえ忙しいマネージャーたちに、制度導入の準備や1on1の研修という負担が増えてしまった。さらに問題だったのは、経営陣とマネージャーたちとの連携ができていないまま、制度を導入してしまったことでした。

マネージャーたちが役員に「この若手の給料を10万円上げたい」とプレゼンをしても、それが通らない

当時の役員陣は、正直なところまったく現場を見られていませんでした。プロジェクトミーティングにも参加していなくて、評価のときに見ているのは、マネージャーによるプレゼンの出来栄えだけ。

そのため現場のがんばりが伝わらず「そんなに簡単に給料は上げられないぞ」と、はね返してしまっていたのです。

「自己申告型給与制度」というと聞こえはいいですが、運用はまったくできておらず、ぜんぜん血が通っていない状態でした。

権限委譲ではなく「放置」してしまった

上司と部下の関係性がギクシャクする。給与のことで毎回もめてしまう……。このような問題の根本にあるのは「ピラミッド型組織の機能不全」でした。

当時、マネージャーはひとりで30人もの部下を抱えていました。

従業員数は100人弱。それが3チームに分かれていて、それぞれにマネージャーがいる形です。

マネージャーの役割は、チーム全体の売上目標の達成、メンバーの育成や採用、さらにお給料まで面倒を見ることです。適切な目標を立てて、評価して、クリアできるようにサポートし、最終的な給与のための評価もする。

当時は評価方法もすごく細かくて、業務を点数化したり、何百円単位で給与を調整しないといけませんでした。

これを一人ひとり、30人分やるのはかなり骨の折れる仕事です。それに加えて、部署の売上数字への責任も背負い、日々のプロジェクト管理まで気をつかっていました。

もはや「30人の会社」を運営しているようなものでした。

経営側がもっとマネージャーをサポートできればよかったのですが、それもできていませんでした。「自分の部署のことは、マネージャーが責任を持たないといかん」と、切り分けてしまっていた。

「権限委譲」という言葉に甘えて、実際は「放置」してしまっていたのです。

その結果、いちばん弱い立場のメンバーに、いちばん目が行き届かなくなってしまい、かなりのストレスや不満が溜まってしまっていました。

情報が上まで正確に伝わらない

もう一つの機能不全は、情報が経営陣まで正確に上がってこないことです。

会長、社長、取締役、またその下の役職者、マネージャー、リーダー、サブリーダー……。そういうピラミッド構造で、下から伝言ゲームのように情報が上がってくる。

で、社長や会長レベルに届くころには、すっかり正確な情報ではなくなってしまうんです。

そのとき取締役だったぼくも含めて、経営陣は現場のことをあまりわかっていませんでした。現場の会議に参加したりして「情報を拾いにいく」という発想も、当時はできていなかった。

そしてぼく自身も、上の顔色をみて行動してしまう……ほんとうにダメな中間管理職でした。

「上司とか部下とか、もうやめよう」

このような組織の問題が「新卒がすぐに辞めてしまう」「古株のメンバーからも退職の話が出てくる」という形で表面化していました。

これはもう構造から変えないと、絶対に同じようなコンフリクトが起きてしまう。

そこで社長も交代し、大きな組織改革をすることになったのです。

幹部陣を中心に、みんなで組織やマネジメントの本を読んで、方向を模索していきました。ティール組織やホラクラシー組織、心理的安全性などの言葉もこのころに知りました。

そうして出した結論が「上司とか部下とか、もうやめよう」ということでした。役職を撤廃し、みんなが対等な立ち位置のもと「役割」で仕事をする組織に変えたのです。

当時の社内は賛否両論でした。

社内には「役職」にプライドをもつメンバーも当然いました。ある程度の年次を重ねて役職もあった人からは「正直、この会社でのキャリアが見えなくなった。自分は何をやっていけばいいんですか?」と言われました。

そういう感じなので、恥ずかしながら「フラットな組織にしたかった」わけではないんです。「みんなマネジメントに対して未熟だったから、苦肉の策としてフラットにした」というのがきっかけでした。

100人のメンバー全員と、半年に5回、直接面談

いまは、社長のぼくと副社長2人、計3人の役員が、すべてのメンバーと「直接」給与面談をしています。

これまで給与を管理していたマネージャーがいなくなったからです。

しかも100名近くいる全社員と、半年で約5回も面談しています

半期の給与を決めるために、メンバー1人あたり2〜3回面談します。さらに3ヶ月たったタイミングで、現時点での達成具合をきく面談をして、半年が終わったら最後に振り返りの面談をします。

……正直、超大変です。

うちは5月末決算なので、最近までちょうど面談の時期でした。約3週間、ほかの仕事がほぼできないぐらい忙しかったです。

でも、それだけの労力をかける意味はあると思っています。

このやり方なら、現場の声が経営陣にダイレクトに届きます。面談をはじめてから「ぼくはこれまで、現場のことを全然わかっていなかったんだな」と感じる瞬間が何度もあって、とても反省しました。

誰かひとりに負担が集中しない仕組み

「そんなことをしてたら、今度は役員に負担が集中するんじゃないか?」と思われるかもしれませんが、そこは大丈夫。

マネジメントの役割を細分化して、分散させているからです。

役職を撤廃してから、ぼくらは「ユニット制」の組織になりました。

メンバーたちはそれぞれの目指したいキャリアによって、職種別に分かれた6〜8人ほどの「ユニット」に所属します。

ユニットには一応「リーダー」のような人はいます。ただし、彼らはメンバーを評価したり、給与決定に関わることはいっさいありません。

プロジェクトが始まれば、その都度チームをつくり、プロジェクトマネージャー(PM)を中心に業務を進めます。そのなかで壁にぶつかったり、キャリアの悩みが生まれたりしたときは、それぞれの「ユニット」のメンバーに相談してもらいます。

おなじ職種の先輩なら、キャリアのアドバイスも的確にできる。

しかも、先輩から給与評価をされるわけではないので、変に気を遣わずに悩みを相談できるのです。

このユニット制が、ぼくらにはとてもフィットしました。「ユニットは、もはや家族みたいな存在になってる」と言ってくれる人もいます。

給与に関する評価は、役員が直接おこなう。
プロジェクトの進行は、PMが責任をもつ。
スキル面、キャリア面のサポートは、各ユニットでおこなう。

このようにマネジメントの役割を分散させたことで、特定の誰かに負担が集中することなく、一人ひとりのメンバーにきちんと目が行き届くようになったのです。

会社も、メンバーたちから評価されている

給与面談は、会社がメンバーから評価されるタイミングでもあると思っています。

以前までは面談のタイミングで、よく「辞めたいです」と切り出されていました。「こういうところに対して思うところがあって、もう次の会社に行くことに決めたので」と、面談の場で急に言われる……。

人が辞めていくというのは本当に悲しいです。ひとつ、またひとつとデスクが空いていく。送別会のあとオフィスに戻ると、なんとも言えない切なさがこみあげてくる。お通夜から戻ってきたときのような気分になります。

だからいまだに、面談の時期になると緊張します。

会社の活動に、メンバーたちがどれだけ満足しているのか、審判される感覚なんです。

最近は、面談でポジティブな報告をしてくれる人も増えてきました。なかには「あのとき面談で茂森さんがかけてくれた言葉のおかげで、この1年やってこれました」と言ってくれる人もいて、とてもうれしかったです。

メンバーに高く評価してもらえる会社であり続けないといけない。

この緊張感を肌で感じられるのは、とても貴重な機会だと思っています。

マネージャーがいなくても判断できる理由

「そうは言っても、社内で意見が割れたとき、マネージャーなしでどう解決するのか?」「決めてくれる人がいないと、みんな路頭に迷うんじゃないか?」と思われるかもしれません。

でも、ぼくらは大丈夫でした。壁にぶつかっても、自分で考えて行動できるメンバーが育ってくれています。

それは、組織改革と同時に「CI(コーポレートアイデンティティ)」をつくっていたからです。

改革を期に刷新したCI

CI づくりのプロジェクトは、現場のメンバーが主導して進めてくれました。制作プロセスもnoteにまとまっていて、思い入れをもって取り組んでくれたのが伝わってきます。

もちろん、形だけのコピーではありません。

この言葉が会社の採用基準や、制作のプレイスタイルにもなっています。

特に「仲間となって」という言葉は大切にしています。社内のメンバーだけでなく、社外のお客さんとも深く関わり「仲間」になって、いいモノを作っていく。この方針に賛同していただけないお客さんは、どんなに大きな案件でも、お断りするようにしています。

最近も、1億円近い売上のお仕事を、こちらから意図的に手放しました。大きな決断でしたが、違和感をもったままメンバーに働いてもらうことのほうが、大きな損失だと判断しました。

M&Aのときも、親会社の中京テレビさんがこの言葉に共感してくれるかどうかは、大きな判断基準になりました。

社内でも、CI に共感したうえで働いてもらうことが、組織を強くすると思っています。むしろ共感できない人は、去ってもらったほうが幸せなんじゃないか、と。

だからこそ、大規模な組織改編も乗り越えられました。

大切にしてきた価値観を「CI」という形にして共有したことで、決断を迷わなくなったのです。

スタッフが意見を伝えてくれるようになった

それに、決してぼくひとりでなんでも決めているわけではありません。

ぼくに決断をうながしてくれるのは、周りのメンバーたちなんです。

CI ができてからは特に、どんどん意見を言ってくれるようになりました。「茂森さん、これ、ミッションやバリューに反してないですか?」「本当にいいんですか?」と。

もちろん決断の責任はぼくがとります。でも、ぼくがひとりですべてをジャッジしているわけではありません。そんな能力はぼくにはないと思っています。

みんなの拠り所になる哲学ができたおかげで、メンバーが現場の違和感をぼくにあげて「判断してくれ」と言ってくれる。だから進んでいるだけです。メンバーとCI が働いてくれて、ぼくは実質、なにもしていないような感じです。

今後は、ぼくらのスタイルに共感してくれるお客さんをもっと増やして、現場のみんながやりやすい環境をつくっていきたいです。

そうすることでより「いいモノ」がつくれるし、いい仕事ができる時間を増やすことが、メンバーみんなの幸せと成長を後押しするのではないかと思っています。

組織は、つねに変わり続けないといけない

会社は、変わり続けることで強くなります。

うちはこれまでの20年で、代表が2度も変わっています。なかなか珍しいことですが、それは外部環境の変化に合わせて、会社も柔軟に変化してきたから。

初代の社長は熱い職人気質のエンジニアで、うちの会社に「いいモノづくり」の精神を根付かせてくれました。

2代目の社長は、どベンチャーだった会社をトップダウンで引っ張って、大きく成長させてくれました。安心して働ける会社の基盤も整えてくれました。

どちらも、会社にとって必要な道のりでした。

時代や会社のフェーズによって「正しさ」は変わっていきます。

いまのフラットで自律的な組織体制は、当時のぼくらの状況下でたまたま生まれたものだったかもしれない。でも、変化の激しいこれからの時代を生き抜くには最善の選択だったと、いまは思っています。

ただ「ずっとこのままでいい」とは思わないし、他の会社がみんなフラットになるべきだとも思いません。

たとえばなにか有事の際には、トップダウンで力強く組織を動かしたほうがいいでしょう。ぼくの価値観が、時代にそぐわなくなることだってあるかもしれません。

そのときはぼくも、先代たちのように潔く引退するつもりです。

経営に正解なんてないですが、そうやって「変化を恐れないこと」こそが、成長し続けるたったひとつの方法だと思うのです。

最後に、メンバーのみんなへ。

ここまで大きく組織体制を変えたのは、創業以来、初めてでした。不安とか、不信感もあったと思います。それでもいまの会社があるのは、ぼくのよくわからない決定を、みんなが協力して「正解」にしてくれたおかげです。

信じて受け入れてくれて、本当にありがとう。

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