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川崎のサッカー小僧よ永遠に!中村憲剛選手引退に寄せて。【日本代表編】

シゲクです。

2010年5月10日に岡田武史監督から「2010年南アフリカワールドカップ日本代表」のメンバーが発表され、川崎フロンターレからは中村憲剛選手、稲本潤一選手、川島永嗣選手が選出されました。

フロンターレから3人の選手が選ばれたこともあり、2010年5月24日、私は初めて友人と共に「日本代表」の試合を現地で観戦しました。埼玉スタジアム2002にも初めて足を運びましたが、韓国を相手にした試合結果は0-2の敗戦でした。


去る2020年11月4日、今季限りでの「引退」を表明した川崎フロンターレ所属の中村憲剛選手についての記事を書きました。

予想以上の反響に驚きましたが、「川崎フロンターレと中村憲剛選手」が記事の中心だったこともあり、「日本代表と中村憲剛選手」については全く触れていなかったことを思い出しました。

そんな時、「note」「#サッカー日本代表観戦記」というお題企画が始まったことを目にして今回の記事を書いています。


先ほど触れた2010年5月24日の韓国戦では、中村選手は後半から出場しています。「日本代表」として世界と戦う中村選手は、等々力競技場で見る中村選手の姿よりも少し遠い存在に感じたことを記憶しています。


2010年南アフリカワールドカップ日本代表

GK
川口能活(磐田)
楢崎正剛(名古屋)
川島永嗣(川崎F)
DF
中澤佑二(横浜FM)
田中マルクス闘莉王(名古屋)
駒野友一(磐田)
岩政大樹(鹿島)
今野泰幸(F東京)
長友佑都(F東京)
内田篤人(鹿島)
MF
中村俊輔(横浜FM)
稲本潤一(川崎F)
遠藤保仁(G大阪)
中村憲剛(川崎F)
松井大輔(グルノーブル)
阿部勇樹(浦和)
長谷部誠(ボルフスブルク)
本田圭佑(CSKAモスクワ)
FW
玉田圭司(名古屋)
大久保嘉人(神戸)
矢野貴章(新潟)
岡崎慎司(清水)
森本貴幸(カターニア)


メンバー表にはフロンターレで2013年~2015年まで3年連続得点王を獲得することになる大久保嘉人選手の名前があります。


稲本潤一選手といえば、2012年のフロンターレの商店街挨拶回りで母親が手を振ってもらった選手です。


2016年~2017年にフロンターレに在籍していた森本貴幸選手の名前もあります。


8月に現役を引退された内田篤人選手の名前もあります。


中村俊輔選手と松井大輔選手といえば、三浦知良選手と中村選手もスタメン出場した9月23日の川崎フロンターレと横浜FCが対戦した等々力での試合が記憶に新しいところです。



2020年の今、このメンバー表を見ると「2000年代の日本代表」「2010年代の日本代表」の移行期であったのではないかと改めて思います。

今現在「日本代表と言えば誰?」という質問をされた時に上位に名前が挙がってくるであろう本田圭佑選手、長谷部誠選手、長友佑都選手、遠藤保仁選手の名前もあります。

2001年~2019年まで「日本代表」は埼玉スタジアムの試合では25勝9分3敗という成績を残しています。3敗しかしていない中での1敗を現地で見たというのは今思えば貴重な機会でした。

私自身は2010年~2019年まで、埼玉スタジアムにあまり良い印象を持っていませんでした。中村選手が出場した「日本代表」が敗戦したスタジアムとして長く記憶に残っていたからです。

しかし今は、2019年10月26日のルヴァンカップ決勝でフロンターレが勝利したスタジアムとして記憶されています。


中村憲剛選手は、「等々力から世界へ」という姿を初めて私に見せてくれた選手です。

現在フロンターレ所属の「日本代表」選手といえば、大島僚太選手や田中碧選手などの名前が浮かびます。

「日本代表」の2020年11月オーストリア遠征では森保一監督の下、フロンターレに在籍していた選手では川島永嗣選手、板倉滉選手、三好康児選手、久保建英選手が招集されています。


11月13日のパナマ戦、11月18日のメキシコ戦での「日本代表」の勝利を期待しています。

私が生きているうちに「日本代表」ワールドカップ優勝オリンピック金メダルを獲得する姿を見たいものです。そのメンバーの中にフロンターレ所属や在籍していた選手がいてくれたら、更に嬉しいことです。


今日は、この辺で失礼します。




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