しぶたに
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「よくやっている」と思うために
数十分、早めに起きる。
豆乳を飲み、お湯を沸かして珈琲を淹れる。「薄毛に無調整豆乳が効く!」という兄からの突拍子もない情報。信じちゃいないけど、まあとりあえず何でもやってみるのが一番。
Google documentを開き、珈琲を飲みながら昨日あった出来事を数行の日記として残しておく。
作り置きのおかずを詰めてお弁当をつくり、納豆で朝食を食べる。
「あぁ、おれよくやってるなぁ」
そう思う。
「忘れてしまった」ように見えるものも、ぜんぶ残っている
日曜日の朝7時。
いつもの時間にむっくりと起きて、クローゼットから毛布を取り出す。
ニトリで買った涼しいベッドマットの冷たさが、ようやく分かる。真夏の日には「買ったけど何も冷たくないやんけ!」って思ってたのに。ちゃんと冷やしてくれてたんやね君、ありがとう。
「今日はこのマットを洗濯して、クローゼットに片付けよう」
頭のなかでぼんやり考えながら、好きな芸人さんのラジオをかけて二度寝する。二度寝が
孤独な自分と、孤独じゃない自分の橋渡し
時たま、発作のように強烈に怖くなることがある。
孤独感と、それによる不安感。
「自分は独り」という事実に気づくことが怖い。
その事実は自分の中では変更の効かないことで、僕はどうにかこうにかその事実から目を逸らして生きている、というような感覚。
だから誰かが自分の元から去っていったりすると発作がでる。強烈な孤独と不安を感じる。
心がずしんと重たくなって、朝ベッドから起き上がれない。目を閉じて、
書くことは、生きることに自覚的になること
ずっと書くことを仕事にしたかった。
そうすることで、真剣に生きることができると思っていた。
だらだらSNSから情報を受け取って、将来に不安になって、今を蔑ろにする。
定期的に「これからどうしよう?自分は何をしたいんだろう?」なんて考えてる。
どこにも自分の軸がないような気がした。強い風が吹くとふわっと飛んでしまう。そして偶然着地した場所で「ここで頑張ろう!」と意気込んで、また少し時間が経てば強
”自分の強み”ってなんだろう。「自分はここにいる」と叫んでいるだけの日々から
「消えてしまいたい」と思ったことがある。
自分のやりたいことをしたくて、会社を退職してなりふり構わず行動した。でもけっきょく前に進めなくなってしまった時だった。
「これだけ行動してきたのに、けっきょくこれは自分のやりたいことじゃない…!」
これまでのぜんぶが無駄になった気がした。引っ越ししたてで、電気が開通していない部屋。カーテンの無い窓から月明かりを見て、ちょっとだけ泣いた。
あれから、3
味の薄い親子丼を食べながら思うこと
「親子丼ならすぐ作れるよ」ということで、メニューに書かれていない親子丼を注文した。
白っぽい見た目。頼んだものを間違えたのかと思った。
80歳を超えた店主のおばちゃんはどこか忘れっぽい。でも3回目に会ったぼくのことは「いつか会ったことがある」ぐらいには覚えてくれていた。
「お客さんがだれもいないね。昔はもっと昼間も人が多かったん?」
「いやー、昼間は日によって違うよ。昔は夜に大勢で宴会してくれ
もう一歩、自分にとっての『良い場所』に近づいてみる
白川町に来て5ヶ月が経った。
「もう半年だね」とよく言われるけど、まだ5ヶ月。
半年とか1年とか、区切りが良いタイミングが近いとなんでもかんでも四捨五入してそこに含まれてしまうのは、なんだか寂しい。
「半年経って、移住生活どう?」
この質問に、うまく答えることができない。
都市部から田舎に移ったからって、人生が変わるわけじゃない。
毎日決められた時間に職場に行って、室内でパソコンをカタカタし
嫌なことを、素直に「嫌だ」と思える自分でいたい
仕事で嫌なことがあった。
ほんとはそんなこと、いつだって、誰にだってあるはずなんだけど。その時に「嫌だ」と素直に感じている自分がどこか新鮮で。
ぼくはこれまで、自分の心の声を聞かないように、あるいは聞こえたとしても本心とは別の言葉に変換するようにしていた。
たとえば嫌いな人がいても「嫌いじゃないけど苦手なんよなあの人」という風に。
苦手というのはつまり、問題は相手にではなく「そう感じている自分
自分を変えるのではなく、広げていく
連休が終わっていく。
何にも予定を入れない日々。近くの山に登って、本とお茶と珈琲を買って、本を読んだりノートに文章を書いて。
何にも予定を入れていないのにどんどん減っていくお金に不安を感じていたけど、急須も買ったからこれで来客があったらお茶を振舞うことができる。
お茶は住んでいる地域の特産品だから、これぐらいはできるようにならないと。
何度かお茶屋さんに通っているうちに、店主の方はぼくに対して
春の陽気と、今と、書くこと
近所で開かれたマルシェに行ってきた。
春の陽気と山、芝生の広場。
「この町に来て良かった」と、この町に来てからいちばんはっきりと思う瞬間だった。
どこを見ても新緑と青空が広がっていて、鮮やかな春の色をいくらでも身体に取り入れることができる。
山を彩る木は、落ち着いた濃い緑と今生まれたばかりのような鮮やかな緑が、なんの規則性もなく混ざり合う。針葉樹と広葉樹。その中で時折混ざるピンクは、桜かな。
何も目指さない生き方をしてみたい
年齢を重ね、欲が削ぎ落されていく。
「もっとすごいことをしたい」
「もっと認められたい」
「もっと結果を出したい」
そういうあれこれに急かされていた20代前半のぼくなら、今のぼくを見てイライラするんだと思う。
あの時のぼくが求めていたものは、本当はあんまり意味の無いものだったのかもしれない。
同時に、じゃあ何が自分にとって意味のあることなんだろうと不安になる。
一つのことに傾ける情熱も、何が
前向きでも後ろ向きでもなく、主体的に
春になり、29歳になった。
今年はどんな一年になるんだろう。期待というほど前向きなものではなく、不安というほど後ろ向きなものでもない。
ただ、季節が変わり、ひとつ年を取った。その少しの変化への対応にあたふたしていたら、きっと3月も終わってしまうんだと思う。
今年から、自分の求めているものを探して田舎に移住してきた。
『穏やかで自由な時間』
たとえば、個人が営むこだわりの本屋さん。静かで、ゆっ
こころの奥に届く言葉を探しながら
なにを書いても、正確に自分の心情を捉えることができない時がある。
言葉なんて不完全な入れ物なんだから、それは当然のことかもしれない。でもぼくはもっと、もっと自分の言葉に期待している。
その期待通りに日々が進んでいかないことに、不安を感じているのかもしれない。
文章を書いていて、いつも思う。
「悩みじゃなくて、もっと出来事を書くことができたら良いのに」
*
自分のこころには薄い膜が張ってある
地域に引っ越しました
岐阜県に来て、一ヶ月が経とうとしています。
地域おこし協力隊としてやってきて、メディアの編集やライティングに関わる仕事。
特定の場所に行きたかったというよりは、地域で暮らしながら文章を書く仕事がしたかったんですね。
地域で暮らす、というのはぼくにとって一つの目的で。
この町に来た時点で、ひとつの目的が果たされると思っていました。
でも、ぜんぜん違って。
この町で暮らすためには、この町で暮らし続
気持ちの波に飲み込まれないように
人にはそれぞれ気持ちの波があって。
ぼくはそれが比較的短いスパンで上下運動を繰り返す。落ち着いたり沈んだり。今は比較的落ち着いている期間。
こういう時はあまり不安を感じないし、未来に対して希望的な視点を持っていられる。
落ち着くために、不安を感じた時はそれを深掘るようにしていて。
どうして不安を感じているのか。どうなるのが不安なのか。それは本当に不安なことなのか。
そうやって言葉という形にしない
感情のリハビリを始めます
行動する前に、効率性を考えてしまう。
行ってみたいお店を見つけたとしても、
「同じようなお店でもっと近い場所があるし…」
「行ってもお金を使うだけだし、家でやりたいことをしてよう」
とか。自分でこんなことを書いていてしょうもない男だなと思う。
ぼくには、絶対にやりたいことというのが無くて。
何かを思いついても、それを実行に移すための感情のエネルギーがなかなか溜まっていかない。
もたもたしている