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自分を変えるのではなく、広げていく

連休が終わっていく。
何にも予定を入れない日々。近くの山に登って、本とお茶と珈琲を買って、本を読んだりノートに文章を書いて。

何にも予定を入れていないのにどんどん減っていくお金に不安を感じていたけど、急須も買ったからこれで来客があったらお茶を振舞うことができる。
お茶は住んでいる地域の特産品だから、これぐらいはできるようにならないと。

地域の茶畑


何度かお茶屋さんに通っているうちに、店主の方はぼくに対して優しくなった気がする。
時間をかけて接客してくれるし、忙しい時間帯でも気にかけてくれる。

この町に来て四か月が経った。少しは町に馴染んできたんだろうか。
分からない。でも、「あの人に会いにお店に行こう」と思うことは増えた。

そんなことの繰り返しでお金はどんどん減っていくわけだけど、そうやって人は『自分という人間の枠組み』を広げていくんだと思う。


本屋さんで、いつもとはまったく違う本を手に取る。
ある人のことを思い浮かべながら、この本を読めばその人にもう少し近づけるんじゃないかと思いながら。

そんな自分に気づいて、ハッとする。少し嬉しくなるし、これで本当に近づけるのかと少し不安にもなる。


他人を想うことが、自分の枠組みを広げるきっかけになる。あるいは結果として広がらなくても、自分に選択肢と想いをくれる。

そうやってまたお金が減っていく。でもその小さな本屋さんのことも好きだから、それで良いんだと思う。


ぼくは昔から、ほとんど広がりを持たない人間だった。
社会人になってからの友人はほとんどおらず、休日になったら一人でだらだらするか、学生時代のいつものメンバーと居酒屋に行く。

新しく知り合いができても、どこか気を遣ってしまう。それならいつものメンバーでお酒を飲んでいるほうがストレス解消になった。
そうやっていつも同じ悩みを抱え、同じことを文章にし続けてきた。
それはとても楽な生き方だったし、当時のぼくはその生き方にとても苦しんでいた。


5連休の休みは、特に予定を入れなくても時間が過ぎていった。
ある人に会いにお店に行く。
ある人のことを思い浮かべながら、好きな本屋さんで本を買う。
自分自身のことを考えながら、ノートに文章を書く。

世界は少しずつ、広がっていく。


30歳も近くなって、「自分を変えたい」なんて大それたことは思わなくなった。
怖いモノは怖いし、逃げ出したいモノからは逃げ出したい。ぼくの根っこに沁みついたその考えは簡単に無くならない。そしてこれだけ年を重ねると、その自分すら愛おしくなってしまった。

でも、そんな考えを乗り越えた先には、きっとぼくが求めているモノがあるんだろうと本能的に分かっている。
だから、少しずつでいい。自分の手の届く範囲で、自分がすべきことをする。

それは『自分を変える』ということではなく『自分を広げる』ということ。
手の届く範囲を、少しずつ押し広げていく。この文章を書くということも含めて。


読んでくれてありがとうございます。 この文章が少しでもあなたの人生に寄り添えていたら、嬉しいです。