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”自分の強み”ってなんだろう。「自分はここにいる」と叫んでいるだけの日々から

「消えてしまいたい」と思ったことがある。

自分のやりたいことをしたくて、会社を退職してなりふり構わず行動した。でもけっきょく前に進めなくなってしまった時だった。
「これだけ行動してきたのに、けっきょくこれは自分のやりたいことじゃない…!」

これまでのぜんぶが無駄になった気がした。引っ越ししたてで、電気が開通していない部屋。カーテンの無い窓から月明かりを見て、ちょっとだけ泣いた。

あれから、3年近く経った。
ああやって消えたくなるようなことは無くなったけど、あの時消えたくなるぐらい”求めても手に入れられなかったモノ”を、ぼくはまだ手にしていない。

未だに自分が望んでいる環境がよく分からないし、現状に満足も不満も抱いていない。
いつだって平熱に近い熱量で、文章をカタカタ打って、これから何をしようかなんて考えている。
「20代が終わる」という焦りから解放されたぼくは、同時に焦りからしか得られない爆発的な燃料まで使い果たしてしまったんじゃないかと不安になる。

つい先日帰省した時に父親から言われた「自分の強みを活かして働けばいい」という言葉がずっと残っている。
だれもが一度は聞いたことがあるような言葉と、それを40年以上実践し続けてきた父と、ようやくその言葉で立ち止まることができるようになったぼく。

「あぁ…これまではずっと自分の存在証明みたいなことをしたかっただけなのかも」

そう思った。


初めて挫折をした、小学6年生の時からずっと。
サッカーでも、進路でも、仕事でも。
「おれはここにおるぞ」と叫び続けていた。

それを周りよりも”優れた結果”という形で示そうとした時期と、うまくいかない時期を経て、周りとは”違う結果”という形で示そうとするようになった。

「消えてしまいたい」と思ったのは「自分はこれを頑張って生きていく!」という対象が見つからなかったから。

自分だけの、周りとは”違う結果”が見つからない。当時はそれが怖くてたまらなかった。自分がここにいる意味がなくなってしまう気がした。
それはきっと、自分自身のためでも、周りのためでもない。ただ大声で叫んで安心したかっただけ。

ある芸術家の方に話を聞いた時、
「とにかくいろんなものに興味を持って、実際に見たり試してみる。それが自分らしい作品をつくることに繋がる」
という内容の発言をされていた。

周りの人に求められていることで、かつ自分がストレスなく続けられる「自分の強み」
それを把握するということは、周りと自分の距離をきちんと計るということで、自分がいる場所を確認することなのかもしれない。

いつだって平熱に近い熱量で、文章をカタカタ打って、これから何をしようかなんて考えている。
でもそれは、自分自身の声を聞くために必ずしも必要な行為じゃない。自分がここに停滞しているという事実を、きちんと形にして残す行為。

ぼくはここに停滞している。停滞し続けてきた。
内省しているフリをして、自分だけの殻に閉じこもろうとしてきた。きっとこの殻を破るのは、焦りからくる爆発的な燃料なんかじゃない。


読んでくれてありがとうございます。 この文章が少しでもあなたの人生に寄り添えていたら、嬉しいです。