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地域に引っ越しました

岐阜県に来て、一ヶ月が経とうとしています。

地域おこし協力隊としてやってきて、メディアの編集やライティングに関わる仕事。
特定の場所に行きたかったというよりは、地域で暮らしながら文章を書く仕事がしたかったんですね。


地域で暮らす、というのはぼくにとって一つの目的で。
この町に来た時点で、ひとつの目的が果たされると思っていました。
でも、ぜんぜん違って。
この町で暮らすためには、この町で暮らし続ける努力をしないといけない。

地域おこし協力隊は3年で終わりです。それ以上の契約はありません。3年後は何をするのか。どうやって生計を立てるのか。


大阪で会社員だった時、「やりたいことってなんだろう」と考えていました。どういう仕事や暮らし方をすれば、自分は満足するんだろう?って。

それはどこか現実離れした理想の世界で。やりたいことをしている自分の姿だけが映像として再生されている。映画やドラマの世界と同じです。        
だから、新しいことを始めてもすぐに辞めてしまう。映像とはどこかかけ離れているし、SNSからの情報でその映像がすぐに新しいモノに書き換わってしまうから。



でも地域おこし協力隊としてこの町に来たら、3年後の映像はまったく用意されていない。ぜんぶ自分次第。
どんな未来を創るにしても、ぼくがその未来を想像して映像を思い浮かべ、カタチにしないといけない。協力隊に応募して面接をする、そんな決まった過程は何もない。

「やっぱり思っていたのと違う」
「もっと他にやりたいことができた」
そう言って、未来をだれかに委ねている余裕がない。
仮に思っていたのと違っても、カタチにする。他にやりたいことができたら、その他のことをカタチにする。
そうやって何とか前に進もうとする姿勢が求めらているような気がします。


地域で暮らしたかったのは、都市部を離れたかったからでもあります。
結果や速さが求められ、時間の流れが早過ぎる世界を出てみたかった。もっと穏やかに、今まで感じられなかったものを享受して生きていけるかもしれない。そういう希望があった。

その希望は、やっぱり正しかったと思う。
ここには都市部には無い何かがあるし、その何かは自分にとってとても大切な要素だと思います。

そして、それをカタチにするのは自分。

大阪にいるときのぼくは、心のどこかで『若さ』と『組織(会社)』を頼っていました。
でももう、期限付きでどちらも失われてしまう。そしてその期限は目の前に迫っている。
自分の根っこにあるものを頼りに生きていくしかありません。


本屋さんやりたい。
そこで珈琲も提供したい。そこで出版もしたい。
他の媒体でライターやりたい。
エッセイやコラムのようなものを書きたい。

やってみたいことがでてきました。前見たときには何も生えていなかったのに、ふと見たら小さな芽が出ている。
この場所に来たからなのか、地域おこし協力隊の期限があるからなのか。それは分からないけれど、とりあえずこの場所にはいろんなものが植えられているらしいです。

上記のやってみたいことは、頭のなかで再生される映像です。
それは、暮らし続けるための”現実的な方法”ではないかもしれない。
でも、暮らし続けるための”希望になるもの”だと思う。


林業が盛んなこの町。
植林された木は、数十年単位で育てられます。世代をまたぎ育て、管理し、切る。自分の子供や孫のために山を管理する。
それはとてつもなく長い作業。
多くの山では、後継者不足で植林された木が放置されています。

希望というのは、植林されたばかりの小さな芽。
どう育て、管理し、カタチにするのか。
きっとその多くはうまく育ちません。出荷されるような大きな木を育てるのは、とても難しい。

でも、大切にしたいです。
子供や孫を想うことはまだできないけれど、まずは自分が持っているこの山を、大切にしたい。

読んでくれてありがとうございます。 この文章が少しでもあなたの人生に寄り添えていたら、嬉しいです。