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気持ちの波に飲み込まれないように

人にはそれぞれ気持ちの波があって。
ぼくはそれが比較的短いスパンで上下運動を繰り返す。落ち着いたり沈んだり。今は比較的落ち着いている期間。
こういう時はあまり不安を感じないし、未来に対して希望的な視点を持っていられる。

落ち着くために、不安を感じた時はそれを深掘るようにしていて。
どうして不安を感じているのか。どうなるのが不安なのか。それは本当に不安なことなのか。
そうやって言葉という形にしないと何事も腑に落とせない。なかなか生き辛い性分だなぁと書いていて思う。でも嫌いになれない。そういう性分のほうが、振り返った時に生きた心地がするかもしれないし。

やっぱり今は、希望的な視点も持っているみたい。


言葉にする作業はとても面倒だから、さぼってしまうこともたくさん。
そうするとどんどん不安が膨れ上がって、解消できなくなる。不安って雪だるま式に増えていくんだね。借金の利息もびっくりな速度で。だからどこかのタイミングでしっかり見つめて、できる限り返済してしまわないといけない。
またすぐ不安はやってくるんだけどね。まあそれも大事な感情だから、と今の気持ちなら言える。

今年から引越しをして、たくさんの自然に囲まれて暮らすようになった。
それも理由としてあるのか、最近はあまり将来のことを考えていない。それよりも今目の前にあるものをしっかり見ていたいという感覚のほうが強い。

目の前のことに集中していると不安もあまり感じないから、落ち着いていられる。

本当はこういう時に、将来のことをゆっくりと考えてあげるといいんだと思う。そして少しずつ将来のために種まきしていく。いつの日か芽が出るように。
いつか不安になる日が来ても、自分の周りにたくさん植わった種を見ていると安心するかもしれない。
「自分なら、不安に思っている未来が来るはずない」と。

でも落ち着いていることに対しての不安もあって。

ぼくはこれまで、不安や悩みというネガティブな感情を元に文章を書いてきた。
そうすることで自分を見つめて、自分自身が救われてきた。

じゃあ落ち着ている時は、何を書けばいいんだろう。
無理に書く必要もないんだけど、ぼくは書きたい。それが今日この文章を生んでいる。
物を書いて生きていきたい。

自分には大きな、あるいは特殊な才能は無いと思う。
「noteを書き続けていれば誰かに見つかり、仕事にも繋がるだろう」
そう思っていたけれど、どうもそう簡単にはいかないし、書き続けても何かを掴んでいる手ごたえもあまり無い。
それでも書くという行為はきっと辞めないと思う。ならせめて、書く行為自体を楽しみ続けたい。上手くなり続けたい。

でもひとまず、今日この文章を書いた自分がいるということを覚えていてあげよう。ありがとう自分。きっと大丈夫。


読んでくれてありがとうございます。 この文章が少しでもあなたの人生に寄り添えていたら、嬉しいです。