見出し画像

気が寄る

仕事だからね、人生ってこんなもんだよ、と割り切るには、         私はまだ、むずかしいお年頃なのかもしれません

若いという証拠でしょうか

それとも年齢に似合わず、生きることに疲れきってしまってるんでしょうか


こんな風に書くと「何を悟ったようなことを言って、イタイヤツだな」と思われるでしょう

実際イタイですよね 

別につらい肉体労働をしている訳でもないし、食うには困らない給料をもらっている

何を不幸ぶって、という感じ

でも私にとっては重大問題なのよ


この苛立ちや孤独や焦燥感はふかく住みつき、私の中から出ていかない

いざという時、頼れる家族がいない                  友人はいるけれど、わからないなりにも私の事をわかっていると思える友人がいない

という、安心がない現実に気付いてしまったからかもしれない

そんな恐怖からかもしれない


貧困や親の鎖にとどまるしかなかった子供の時は、大人になったら自力で稼いで上流へいくんだという気持ちで生きられた、努力できた

それはつまり、がんばれば報われるのだ、希望があるのだ、私の人生は明るくできるのだと思っていた

そう思っていられたから、むしろ実際は子供時代のほうが優秀でまっとうで人間的にも出来ていた                           小学生時代の担任の先生は本気で私のことを才女ですと言っていた(はず)

皮肉なことに当時は、陰にいるから光にいこうと思っていたけど、    そのマインドがエネルギーになり、                  実際の心は光も多く占めていた                    沈むような不幸感はあまりなかったように思う


もちろんその時も苦しみはあるのだけれど、              もっと言えば、そこにある種の優越感をもっていた  

私はこんなつらい思いをしているのに、そんな素振りはみせず優秀でそれなりに美しく、柔軟に気丈に生きているでしょ               幸せにぬくぬく育ったあなたより強いの、人間的な深さがあるの、だからこれから社会で成功していけるのよ、と

プライドの高さと劣等感と嫉妬と負けず嫌いと、、、

とんだ身の程知らずである             もういろんな性格難点が見受けられる思考で目も当てられないが、    割としっかりそう思っていた


ただそれも、10代後半~20代前半にかけてゆるやかに崩れ、心に占める影を増やしていくのだが、

それなりの努力と奨学金という負債の結果、名の知れた大学に進み、名の知れた企業に就職できた

就職は給料が高い、という軸で会社を選んだ


お金のために就職した会社は学ぶことも多かったし成果もだせたが、ずっと合わないと思っていた

お金のために選んだだけなので(経済とか社会の勉強にはなってメリットは高いかもというのはあったけど)、興味がある分野でも自分にも合っている業界でもなさそうで無理をする羽目にはなるだろうとぼんやり思っていたし、                   そう遠くない将来にはやめると思って就職した

なるはやで稼いで安心したかっただけだ

これだけお金のためと言っているが、                 お金を稼ぐなんて企業就職だけじゃなく色々やり様があるだろうし、急を要してないなら短期で焦って稼がなくてもいいし、貧乏だから結婚できないとかいう訳でもない、と今となっては思う


デモデモ、と心の黒子は、そんなんじゃ理想の綺麗な柔軟なかっこいい私の人生にはならないわよ、と吹聴してきた

心の黒子をはねのけて、受け入れて実践する勇気がなかったのだ

ここでも恐怖が表れたので、一時的な安心に逃げた


ただまあ、働きだしてある程度の一時的な余裕はもてた

新卒ではけっこう良い待遇だったので、ひとり暮らしで初めてひと月で10万円以上貯金ができた時の喜びはひとしおだった

でもそんなターンも一周して、日々の仕事に食われだし、

ふと長い人生や将来を見つめると、

このお金では足りない 

そう遠くない将来、介護や返済や自分の人生以外に使うお金がもっといるのだとネガティブな妄想がはじまり、ここでも恐怖が現れた

金のために、実態のない恐怖のために、働き、人生を消費するのだ

私の人生はなんなんだろう、と


いろいろ限界がきて転職した

別にすごくやりたい仕事でもない、ここでも条件のひとつは収入だった         ただし、人生を楽しむとか、別のところで収入を得られるとか、     この仕事一択にはならないようにしたいという意志はあった

それができそうなプランを考え、会社選びはした              自分の人生をつくる決断の中ではめずらしく、消去法ではなく能動的な選択方式だった気がする


でも転職したからといって、恐怖は消えない              食傷気味ではあるけれど

ちなみに転職の弊害は、アホな上司に巡り合えたことだろう             自分もアホなのに、こんなことを未だ思う自分は陰にいるままなんだろう 謙虚な心ももう取り戻せないのかしら


以前は気力と絶望をいったりきたりだったけど、もう気力はほぼ顔を出さない

絶望感をエンジンに生きられなくなった、という感覚か


でもさ、星野源のライブをみたり、ネットフリックスで韓国ドラマをみたりするだけでも、 

ああこんな風に生きたいな、とうらやみ、                          それでいながら、ちょっとほんのちょっとだけ心が躍る瞬間があるから、        わたしの心に光はあるし、そう思える時点で恵まれているんだろう

まあそもそもネットフリックスを契約できる余力がある時点で、幸せだ

あの人にはあの人の地獄があることに思いを至れるようになったが、   5秒で忘れてしまうし、そんなことすら気に留めず集中することもまだできない ひとまずは、この記憶を持続させることを目標にします


やっぱり私はあまちゃんだな

だからこんなに自分に気が寄るんだろな





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?