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しばイッヌ展覧会

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2021年6月の記事一覧

ひたすらnoteをウロウロしてたら、なんにも考えがまとまらなかったファナシ。

なにを書こうかなぁ~、ってnoteの記事を眺めていると、あっというまに1時間くらい過ぎてしまう。 夜景の記事を読んでは、 「むかしは夜景が大好きだったのに、いまは夜景を見ると胸が苦しくなる。なんでだろうなぁ」とか、 HSPの記事を読んでは、 「HSPって、ハイリー・センシティブ・パーソンの略なんだ。ずっとハイパー・センシティブ・パーソンだと思ってたなぁ」とか、 よっ友の記事を読んでは、 「なんだ、よっ友…? フムフム、よっ!と挨拶をするだけの友だち…か。じゃあ、会社の人

そんな記憶、まだ残っていたんだね。

「記憶」ってほんとうに不思議だなあ、と思う。 奥さんはアニメが好きなので、わが家は「dアニメ」という動画配信サービスに加入している。 つい先日、その新着動画に「まじかる☆タルるートくん」が追加された。 それはもう懐かしくて懐かしくて「むかし、コミックス持ってたよ」とわたしが言うと、「わたしも!」と奥さんもよく読んでいたらしい。 晩ご飯を食べたあとに、さっそく何話か再生した。 次々に登場する懐かしいキャラクターたちを見つけてはキャアキャア騒いだね。 でもアニメ自体は

苦手な人の良いところを見つけるのは、かんたんなことではないよね。

noteには、しごとのイヤなことや、苦手な人のことを書いた記事は無数にある。 そんな「こころの澱(おり)」を、そっと吐き出す場所でもあるのだ、noteは。 わたしがなんとなーく思うに、noteのそんな記事たちは、ただ悪態をついているだけではなく、前向きな自己解決に着地する記事も少なくない。 その内容が自分のこころの内とシンクロすると、なんだか救われたような気分にもなる。 人間、社会ではたらいていれば、かならずと言っていいほど、ウマが合わない同僚とエンカウントするからね

女子は大きい手がスキって本当ですか。

とかく、わたしの手はちいさい。 一般的な男子よりもちいさいとはじめに気づいたのは、高校3年生のときだった。 中学1年生の授業中、教科書の最後のまっしろなページにてのひらを当て、シャーペンで輪郭をなぞって手形を書いた。 その行為にとくに意味はなかった。ヒマだったんだと思う。 それから5年後、ふと押し入れを片付けていると、たまたまその教科書を発見し、再びてのひらを合わせてみた。 すると、そのてのひらは、寸分違わず手形と一致した。 「えっ」 たぶん、声に出したと思う。

さみしくもあり、ワクワクもしちゃう「夏の夕暮れ」の不思議。

1年で4つある夕方のなかでも、とりわけ「夏の夕暮れ」は特別だ。 たった2時間前の景色とは打って変わって、抜けるような空に夕焼けの赤が広がり、ひぐらしが鳴く空間をひとりで帰路につく。 ふと、そんな世界に存在している自分を、さみしいと感じる瞬間がある。 夕暮れというのは、黄昏(たそがれ)ともいう。 「たそがれる」ということばがあるように、夕暮れはまるで人生の終焉のかけらのようだ。 しかし「夏の夕暮れ」にはもうひとつの顔がある。 さきほどのしんみりした感傷とは打って変わ

からさ耐性も、つらさ耐性も、人それぞれなんだからさ。

「辛(から)さ」にたいする強さは、ほんとうに人それぞれだ。 わたしはテレビで激辛特集などを観てしまうと、「よしワイも」と便乗したくなるタイプ。 とはいっても、ガチの激辛ラーメン屋に行く勇気もなく、スーパーで「激辛!からいものが苦手な方はご遠慮ください」と注意書きがあるカップラーメンや「暴君ハバネロ」を食べて、うひーからい、と満足してしまう程度だ。 そして「テレビに出られるくらい、からさに強い人」には、ほんとうに驚かされる。 「ハバネロ」なんて、とっくのむかしに時代遅れ

男の人生は、圧倒的にオジサンでいる時間のほうが長い。

「白髪、ふえたね」 むしエビを食べながら奥さんが言った。平たい新幹線が、自慢気にお寿司を乗せて、視界の横を走っていく。 さいきん仕事で苦労が多いからか、仕事帰りにジムへ足が向かず、夫婦で回転寿司を食べにきた。あしたは2人とも休日だ。 5年前よりも、あきらかに髪に白い部分が増えた。マスクをすると、口元が隠れるので、男性も何歳かは若く見てもらえる。しかし、白髪だけは隠しようがない。 「そうだよね。やだなあ、白髪染めをしなきゃなあ」 と、コハダのにぎりを食べながら答えた。

スバルのCMには柴犬がちょいちょい出るので油断できない。

車のメーカー「SUBARU(スバル)」さんの広告には、ちょいちょい柴犬が起用されるのよね。 柴犬好きとしては、この裏設定をみなさんに知っておいてもらいたい。 まず、このテレビCM。 柴犬のかしこさ、かわいさ、滑稽さ、かわいそうさなど、柴犬の魅力すべて詰めこまれている秀逸なCM。 製作者の柴犬好きが全力で伝わってくるね。そして泣ける。ハチ公の予告くらい泣ける。「車の音で、わかったんですね」は永遠に不滅の名言。 そしてお次はコレ。 一見、なんてことのないフツーのペット

あのころはなぜ窓辺でラーメンを食べていたのだろう。

わたしが中学生のころは、しっかりと厨二病だった。 いま、車で流れているCDはB’zの「RUN」というアルバム。 これはわたしが中学生のころ、人生ではじめて買ったCDだ。発売は1992年。約30年前だ。買ってから10年くらいは聴いていたが、それ以降はさっぱり聴かなくなった。 ところが、ひょんなキッカケで、20年ぶりにこのCDを聴いている。するとえらいもんで、中学生当時の記憶がよみがえってくる。 中学1年生のころ、好きな人の通学路が、わたしの自宅の前だった。 だからよく

エッセイからあふれる香りでリラックスを。

家に着いても、しばらくは仕事モードのままだ。 もちろん、良くない意味で、だ。 「あの資料はどう作ろう…」「あの人にどうやって伝えよう…」など、いそがしさと比例して頭のなかでは仕事をつづけてしまう。 それでも、まいにちエッセイのようなものを書く。 「そろそろなにを書こうか、かんがえよう」と切り替えたくて、風呂に入りながら思考をめぐらす。しかし、あれやこれやかんがえていても、次第にモクモクと入道雲のような仕事のなやみがふたたび頭を埋め尽くす。 気づけば、なにも決まらないまま

かみさま、とにかく「セロトニン」を山ほどください。

セロトニンとは、スーパーかんたんに言うと「しあわせな気分にしてくれるホルモン」だ。 べつに焼き肉に行きたいわけじゃない。ホルモンといっても、炭火で焼くタイプの物質ではないよ。「脳内物質」のほうね。まじめなことばだと「人間の精神面に大きな影響を与える神経伝達物質」。 このセロトニンちゃんが頭の中にあふれていると、たしょうの悩みは気にしなくなる。「まあ、いいか」「なんとかなるべ」と、誰でもあこがれの「前向きな人間」になれる。最高じゃない? 「なんだか今は気分がいい」 そんな

よくグチを言ってしまう人に、ぜひ読んでほしい。

世の中には、グチを言わないと生きていけない人がいる。 かくいうわたしも、その一族だ。そんな一族のわたしが、すこし「グチ」というものについて語らせていただきたい。 グチには「うまいへた」がある。 へたな人の特徴は、 ①ことば遣いがきたない… ②アドバイスをするといやがる… ③聴いてくれた相手に感謝のことばがない… うまい人の特徴は、 ①なるべくキレイなことばを使う… ②アドバイスを受け止められる… ③最後に「聴いてくれてありがとう」と言える… グチがへた人は、とに

「怒り」という感情の使いみち。

人にはなぜ「怒る」という感情があるのか。 人は怒ると、普段よりもおおきなチカラが出せるようになる。 たとえば、ただ机をたたくより、怒って机をたたいたほうが、おおきな音が出せるだろう。 人間にとっての、ターボのようなものだろうか。 たしかに、チカラは出る。 でも、他人とのたたかいでは感情的になったら、たいがい負ける。 まわりが見えなくなり、冷静な判断ができなくなるからだ。 怒りの感情にまかせて振る舞っている人は、醜くみえることもある。 けっして正解ではないことがわ

「ことば」がつくるつながり。

ギャル文字って、あったね。 ぁたUはー(あたしはー) あナょナニ(あなた) ナニ レヽ∧ ω(たいへん) 意味ゎヵらω(意味わからん) とか。 じゃあ問題。これはなんだ? こω レよ″ωゎ ↓答え こんばんわ 2004年ころ、10代ギャルのあいだでは「ギャル文字」と呼ばれるこんなことばが流行っていたね。 まだガラケーのEメールが主流だったころ、ギャルたちは絵文字とこの独特の文法を組み合わせることで、Eメールの世界にひとつの文化を築いていた。 「ことば」は、組