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女子は大きい手がスキって本当ですか。

とかく、わたしの手はちいさい。

一般的な男子よりもちいさいとはじめに気づいたのは、高校3年生のときだった。

中学1年生の授業中、教科書の最後のまっしろなページにてのひらを当て、シャーペンで輪郭をなぞって手形を書いた。

その行為にとくに意味はなかった。ヒマだったんだと思う。

それから5年後、ふと押し入れを片付けていると、たまたまその教科書を発見し、再びてのひらを合わせてみた。

すると、そのてのひらは、寸分違わず手形と一致した。

「えっ」

たぶん、声に出したと思う。

成長期も終盤に近づいた高校3年生のてのひらが、中学1年生のてのひらと同じサイズだったのだ。

それはちょうど、当時「ポパイ」という男性向けファッション誌で「女子が好きな男子のパーツランキング」で「1位・大きな手」という記事を読んだばかりだった。

衝撃だった。

わたし自身、男性のゴツゴツしてふっといソーセージが5本並んだようなてのひらは憧れだった。

父親は外仕事の人で、よく日に焼けて、溶接のやけどがいくつかある大きな手だった。かっこいいと思っていた。

そんな男性のてのひらを、女子が好む気持ちも分からんでもない。

ちなみにそれから、いまだにわたしのてのひらは大きくなっていない。

※なんとなく近くにあったチョコボールの箱と比較した左手。


わたしの身長は174cmで、体重は68kgだ。いわゆる中肉中背といった部類だろう。しかし、てのひらだけは中学生だ。奥さんのてのひらとあんまり変わらない。

筋トレをしたら、大きくなるかなと期待していたが、これもあまり効果はなかった。

これは、コンプレックスというやつだ。

奥さんは「かわいー」といって、さして問題視していないが、わたしは大きな手になりたかった。

しかし、かの松下幸之助は「人にはそれぞれ天分というものがある」と言った。

一般的な成功観に固執せず「自らに与えられた天分を完全に活かしきること」、それが人間としての正しい生き方で、それぞれの成功なのではないか、という。

ステレオタイプな成功観に固執するところに不満や悩みが生まれるのだ、と。

それはつまり、「ポパイ」の特集記事を信じて20年以上も凹んでいるバアイではないぞ、ということだろう。

じゃあ、このちいさなてのひらで、わたしがつかめるシアワセはなんだろう。

いまだにかんがえて生きている。

とりあえず、人さまよりちいさいのだから、一度つかんだシアワセは、うっかり離してしまわぬように、しっかりと握りしめておくようにはしている。

心からコンプレックスを個性と認めることができれば、人生のシアワセはひとつ増える。

「手が小さくて、なにかそんなに困ることある?」

と訊かれれば、まあ確かにそんなに不便は感じない。とりあえず、手袋は女性用じゃないと指が余るし、ギターのコードは苦手、くらいかな。

柴犬にお手をしてもらうのにも、困らないし。撫でるのにも、困らないし。

ま、クセ毛と直毛と一緒なのかな。ないものねだりってやつでしょうか。

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