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「怒り」という感情の使いみち。

人にはなぜ「怒る」という感情があるのか。

人は怒ると、普段よりもおおきなチカラが出せるようになる。

たとえば、ただ机をたたくより、怒って机をたたいたほうが、おおきな音が出せるだろう。

人間にとっての、ターボのようなものだろうか。

たしかに、チカラは出る。

でも、他人とのたたかいでは感情的になったら、たいがい負ける。

まわりが見えなくなり、冷静な判断ができなくなるからだ。

怒りの感情にまかせて振る舞っている人は、醜くみえることもある。
けっして正解ではないことがわかる。

世の中で怒りは負の感情とされ、わるいものとされている。

じゃあ、この感情はどこでつかうことがベストなのか?

それは「自分自身を変えたい」と、つよく想うときだ。

自分のよわさや情けなさにたいして「怒る」のだ。

劣等感は、原動力だ。

自分への怒りをモチベーションにして身体をうごかすとき、人は最高レベルの努力ができる。

自分にたいしての怒りには、まったくブレーキをかける必要はない。
どす黒くて、まっ赤な怒りを思うがままにぶつければいい。

あまりのくやしさに、泣きながら自分を傷つけてしまうこともあるだろう。

それでもいいから、全力で、心ゆくまで怒ろう。

「がむしゃら」という最高のパフォーマンスを手に入れるため、よわくて情けない自分に、こころの底から怒るんだ。

自分のよわさに怒れる人は、神様がさずけた感情を上手にコントロールして、自分の成長に役立てられている優秀な人間だ。

ひとつ、注意するべきなのは、自分にたいして怒っているとき、他人にそれを知られてはいけない。
あくまですずしい顔をしよう。

そして、ひとつでも自分を変えることができたなら、自分を褒めてあげることもたいせつだ。

「怒り」こそ、自分を成長させてくれるもっとも頼もしいパートナーだ。

そして、自分のよわさに怒れず、他人にばかり怒っている人は、いつまでも成長できない。

「怒り」という感情の使いみちをまちがっているからだ。

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