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からさ耐性も、つらさ耐性も、人それぞれなんだからさ。

「辛(から)さ」にたいする強さは、ほんとうに人それぞれだ。

わたしはテレビで激辛特集などを観てしまうと、「よしワイも」と便乗したくなるタイプ。

とはいっても、ガチの激辛ラーメン屋に行く勇気もなく、スーパーで「激辛!からいものが苦手な方はご遠慮ください」と注意書きがあるカップラーメンや「暴君ハバネロ」を食べて、うひーからい、と満足してしまう程度だ。

そして「テレビに出られるくらい、からさに強い人」には、ほんとうに驚かされる。

「ハバネロ」なんて、とっくのむかしに時代遅れで、いまは「ブートジョロキア」「キャロライナ・リーパー」など、世界レベルの唐辛子があたり前に使われている。

なめただけで咳き込んでしまうような唐辛子たちなのに、それらが大量に溶かされた真っ赤なラーメンや鍋を平気な顔でたいらげる。

もちろん、比較対象として出演している「普通の舌」の芸人さんは、大量の汗と涙を流しながら食べるのに必死だ。

「ああ、これがもしわたしでも、同じように耐えられないんだろうなあ」

と、同情するワケだが、ここでふと思う。

仕事で「つらい」ことがあったときに、人はそれぞれ、その受け止め方が違う。

人によっては「なんだ、そんなことくらいで落ち込んで」「そんなちいさなこと気にしてどうすんの」と「激辛」な状況でも見事に消化しながら前に進むことができる人たちがいる。

反対に「2辛」くらいの状況でも、悩み、うちひしがれ、休みの日も頭から離れず、躁鬱の波に流されながらなんとか日々を生きる人もいる。

からさに強い人は、生まれながらにして強い人も多い。日常的にからさに触れ、まいにち鍛え上げられた舌は殺人的なからさにも負けない。

しかし、もし普通の人がそんなレベルのからい食べ物を「まいにち」食べなければならない場合、どうだろう。

「からさに強い人」の「そんなにからい?」という半笑いを横目に、ヒーヒーいいながら、泣いて、汗だくになって乗り越えることになる。

それをまいにち食べなければいけない、とかんがえたらゾッとする。

そして、真面目な人ほど、激辛ラーメンに挑みつづけ、「あの人は平気なのに、なんでわたしはダメなんだろう」と思い悩むだろう。

人の「からさ耐性」には違いがあるように、人の「つらさ耐性」にも違いはある。

この「メンタルの強さ、弱さ」というものは、これは生まれ持ったレベルで、どうしても変えられないものがあり、一概に精神論だけでは解決できない「絶対に超えられない壁」が存在する、ということだ。

そこんところを踏まえたうえで、自分や他人に接していかねばならないな、と思う。

からさ耐性が低い人には、からさ調整をしてあげないと、次第に身体や心がこわれてしまう。

くしくも「辛(から)さ」という字と、「辛(つら)さ」という字は同じなのだからね。

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