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星に会いにいく

七夕。織姫と彦星が会える日。

彼が隣にいた日を思って、胸が苦しくなる。懐かしい、もう戻らない日々。


「織姫と彦星は年に一回しか会えないけど、私たちは毎日会えて幸せだね」なんて、甘ったるすぎて笑ってしまうような会話を何年も繰り返した。 

六月頃から、商店街のいたるところに短冊を吊るすブースが出始めて、「ずっと一緒にいられますように」と全部のブースに今年も二人で願いごとを吊るしてまわった。


急に用事が入った、と七夕の当日にも関わらず、デートを断られた。暇だから買い物にでも行こうと思い立ち、彼と歩いた通りを一人で歩く。同棲してから毎年のように、二人で短冊を吊るしてまわった商店街。当日というだけあって、彼と吊るした時よりもっと多くの願いごとで笹の葉がうなだれている。

「お金持ちと結婚できますように」「おばあちゃんの病気が治りますように」「おもちゃを買ってもらえますように」「大学に受かりますように」

様々な願いごとであふれて重そうな笹の葉を哀れに思いながらも、知らない人の願いごとに触れてあたたかい気持ちになって、彼とまわったブースを見てまわる。

ふと、ひとつの短冊に目がとまった。見覚えのある字だった。彼の筆跡だ。右上がりの癖のある字。私と吊るしたときとは違う色の短冊にのった彼の文字を見て、一人でも短冊を書く人なんだ、可愛らしい人だなと思ってそれを読んだ。

その夜、帰宅してきた彼を問い詰めた。「○○と結婚できますように」と書かれた短冊にあった女の名前は、私のものでは無かった。小一時間ほどの沈黙の後、彼は観念した様子で白状した。

「実は、数年前から浮気してた。ごめん。今日もそいつと会ってた。でもそっちの方は遊びっていうか、お前が本命で、だから」

彼の言い訳を遮って、私は言った。

「私とずっと一緒にいてくれる?いてくれるならそれでいい。それで許す」

彼は頷いた。私は微笑んだ。



次の日、私は商店街から笹の葉をもらって帰った。七夕が終わって用済みになったからと無料でもらえた。

家の大きな花壇に笹を植えて、「元気に育ちますように」と祈った。これから毎日、忘れずに水やりをしよう。



笹を植えてから一年が経った。笹はよく育っている。生い茂って花壇から飛び出し、森のようになっている。

彼と話がしたい。彼の声が聞きたい。くだらない話で馬鹿みたいに笑い合いたい。

彼がいなくなって、ちょうど一年。今日は七夕だ。「彼に会えますように」と短冊に願いごとを書いているとき、ふと思いついた。そうだ、会いに行けばいいんだ。一年に一度だけ織姫と彦星が会える今日この日なら、奇跡が起こる気がする。彼に会えるかもしれない。いや、きっと会える。愛し合っていた私と彼なのだから、織姫と彦星みたいに奇跡が起こって、ちゃんと会えるはずだ。


そして今、私は花壇の前に立っている。笹の葉には、書いたばかりの短冊がひとつ。私はそれをもう一度見る。風に揺れるピンク色の短冊の鮮やかさが愛しい。

短冊を見て彼を思いつつ、逆手に持った包丁を自分の胸に突き刺す。肋骨の隙間を狙って、心臓に届くように力を込めて。

私は花壇に倒れる。胸からおびただしい量の血液が流れ、土に吸い込まれていく。彼の養分を吸って育った笹の葉と、その土の香りを嗅ぐ。


一年間で人間はどれほど腐るのだろう。もう骨になっているだろうか。そこに眠る彼を思いながら薄れゆく意識の中、私は土を撫でた。血液が土に飲み込まれていくのを眺めながら、どんどん染み込んでいって、深く深く埋めた彼の骨に届きますようにと願った。

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