見出し画像

比叡山 -京都から滋賀へと横断旅-

5月に引き続き、私たちはまたしても京都にいた。紫陽花が咲き乱れる、水無月のことである。「水の月」と言われるほどに雨は降らず、むしろ夏らしい空気が関西では流れていた。

夏らしいとはいえ、比叡山アタック当日はぼってりとした雲が京都を包んだ。登山道で雨が降らないかと心配ではあったが、私たちは相棒のウェザーニュースを信じて挑んだ。

そもそも、なぜこの6月の登山に比叡山を選んだかというと、それは単純におすすめされたからだ。5月に挑んだ「京都一周トレイル 西山コース」の終盤、松尾山山腹でとある京都の老夫婦に大比叡をおすすめされた。

「京都側から登って見えてくる琵琶湖は最高だよー!」

情景が浮かび上がるお爺さんの語りにうまく乗せられた訳だが、まあこれも何かのご縁かなと、全会一致で比叡山を登ることにした。

叡山電車「修学院駅」〜雲母坂 入口

出町柳駅で叡山電鉄本線に乗り換えて、比叡山登山口の一つである「雲母坂きららざか」の最寄駅「修学院駅」を目指す。当日(土曜日)の朝、叡山電車の乗客はやはり少ない。登山をする日の光景はだいたい一緒で、街が起きる前の静かな朝を私たちは行く。

当日の乗客こそ少なかったが、出町柳の叡山電鉄始点には人の長い列ができていた。あれは、電車好きのイベントか何かだろうか。今になってはわからないものの、そういった何か強烈な「好き」を持つ人たちと私たちの行動原理というのは、好きな対象が違うだけで、おそらくほとんど変わらない。土曜日の朝7時から家の外で動けるとは、そういうことである。

叡山電鉄の鞍馬行き電車。かの有名な「貴船神社」にもこの路線で行ける。
7月はもうすぐそこということで、電車の中には風鈴が。
換気用に窓が開いていて、たまに涼しげな音を聞かせてくれた。

7:00すぎ。
叡山電車「修学院駅」に到着するなり、私たちはスーパーとコンビニへ向かった。お気に入りの塩カンロ飴こそ手に入らなかったが、その他の食料を手に入れ、トイレを済ませ、いよいよ登山口に向かう。

登山口までは小さな街と閑静な住宅街を抜けていく。人通りがまばらな歩道には綺麗な紫陽花が咲いており、その美しさについ足を止める。比叡山を源流とする音羽川にたぐり寄せられるようにして進むと、道路は次第に坂道に。雲母坂の入り口まで来ると、いよいよ砂利道に変わって登山の雰囲気が出てくる。当日の曇り空が「比叡山」という言葉の重さに相応ふさわしく感じられた。

当日は鮮やかな紫色の紫陽花が出迎えてくれた。
私たちとは反対に、雨を待っているのだろうか。
道中出会ったこの商店街は眠っているのか、死んでいるのか。
ルートによっては、再度その場所に私たちが戻ってくることはないだろう。
音羽川に沿って坂道を行く。比叡山に呼ばれている気がする。
雲母坂きららざかの入口まで来ると、比叡山のオーラを肌で感じる。
音羽川の左岸は行き止まりだったので、右岸を進むと良い。

雲母坂きららざか 登山口〜水飲対陣之跡碑

雲母坂きららざかの入口までは割と地元住民の行動範囲のようだ。だが、さすがに登山口までくると、人といえば私たちだけ。加えて曇りの天気と比叡山という言葉の響きのおかげで、この日はなんだか背筋がシャンとした。

比叡山の登り始めは、なかなか山らしい。道が特に綺麗に舗装されている訳でもなく、自然がかなり広がっている。まさに登山靴で来るべき山で、少しでも道がぬかるんでいるとかなりの進みづらを感じるだろう。

雲母坂きららざかは「修学院離宮」の脇に始まり、比叡山の頂上までの道の総称を言うらしい。
これほどまで「山らしい」登山口は初めて。
足元をよく注意して進む。
まるで気の根っこが大比叡まで導いているようだ。登山靴は必須。

この日はかなり蒸れていて、動くとすぐに汗をかいた。水とスポーツタブレットなどで水分・ミネラルを補給しながら、山道を進む。前回の「京都一周トレイル」で学んだ通り、今回はスポーツドリンクを凍らせて持参。ときどき首元を冷やすなど、熱中症対策を念入りに行った。曇りの日ほど、気をつけたい。

雲母坂きららざかの登山口から登ることおよそ40分、中継ポイントの水飲対陣之跡碑を発見。悪くないペースで、私たちの山歩きもだいぶ慣れてきたように思う。自分たちの成長を感じられるのは喜ばしい。
ちなみにこの辺の地名を「水飲」といい、「水飲対陣之跡碑」はこの地で戦死したとされる千種忠顕ちくさただあきという者が関連しているらしいが、正直これはよくわからない。石碑の文字もあまり読めず、無学をお許し願いたい。

小さいきのこたちとコケのかわいいコラボレーション。
なぞの石碑がある「水飲対陣之跡 」
開けた場所なので、一息入れるのにもここがぴったり。
京都の山ではお馴染みの「京都一周トレイル」の標識を今回も頼りにする。
東山ルートも近いうちにトライせねば。

浄殺結界趾〜大比叡 山頂

「水飲対陣之跡 」を後にすると、すぐにロープウェイのロープが見えてくる。人の気配と駅の近さを感じて、ここでギアが一つ上がった。

10分もしないうちに、次の登山ポイントである「浄殺結界趾」に到着。
この辺はかつては結界が張られていたそうで、女人禁制だったらしい。時代が変わったとはいえ、何か力が宿っているように思えて少しドギマギする。これもまた、比叡山の力だろうか。

改めて京都一周トレイルの標識を頼りにして先に進むと、別の開けた場所にでた。京都市内を一望できるビュースポットがあり、手前には宝ヶ池公園が、奥には下鴨神社や糺の森ただすのもり、京都御所などがよく見えた。京都の東側はよく来たもので、Google mapで見慣れた地形にすこし嬉しくなった。晴れていれば、より遠くまで見渡せただろう。

誰かさんのかわいいいたずら。すてきな笑顔。
結界が張られていたという趾。
昔の人が入るなと言っていた場所に足を踏み入れるのは、少しだけ勇気がいる。
京都市内の北東部を一望。川の流れ方から、真っ先に下鴨神社を見つけた。
以前、古本市の会場の下見でGoogle map片手に、この辺を練り歩いた甲斐があった。

湿度のせいか、周りを取り囲む自然がいつも以上に濃い緑に見えた。
ただ、太陽がないのは一つ救いで、いつもより軽やかな足取りで進めた気がする。この辺りで時刻は9:00。電車移動からほとんどちゃんとしたご飯を食べていなかったので、おにぎり休憩をここで一つ。今回は一番好きな具である「鮭おにぎり」ということで、テンションが上がる。一口食べるたびに、鮭の良質な脂が身体にしみた。たまに職場にも持っていく味だが、やはり山で食べるそれとは比べ物にならない。あっぱれだった。

水分・ミネラルの補給も簡単に済ませ、再び歩きだす。他の登山客にも挨拶をしながら、私たちは私たちの方向へ。ある夫婦は私たちと全く異なる方向に向かったが、きっとさまざまなルートがあるのだろう。お気に入りの登山ルートを探してみるのも、山登りの醍醐味の一つ。

思い出の「東山72」
近道しようと点線部分を辿ったが、分からなくなり引き返した。
実際は通り抜け可能だったが、自信がなかったので引き返して正解。
先ほどの「水飲対陣之跡碑」にも登場した千種忠顕ちくさただあきの名前がここにも。
杉林がなければきっと京都が一望できたが… 先にできたのは杉か、石碑か。
二手に分かれていたが、「展望良」を求めて回り道の方へ。
ただ実際はその展望を発見できず、気がつくと次の場所にいた。

坂道が続くもので、「ストックが欲しくなるね〜」なんて話をしながら進むと、いつの間にか道のりはコンクリートに。ガーデンミュージアムの花やフルーツがフェンスから顔をのぞかせていた。そのフェンスに沿って歩いていくと、ドライブウェイの大きな駐車場に出る。たくさんの観光客がバスから降りてきて、ガーデンの入り口に列をなしていた。

この駐車場からは、あの老夫婦が言っていた「最高の琵琶湖」を拝めるはずだったが、あいにくの曇り空で全く何も見えなかった。悔しいとは思いながらも、お天道様には敵わないということで、気持ちを切り替えて山頂を目指す。大比叡はもうすぐそこである。

山頂はもうすぐということで道を探すが、よくわからないのでとりあえず公衆トイレでひと呼吸。風に吹かれながら目と鼻の先にあるはずの山頂を探すが、地図とにらめっこしてもやはりよくわからない。これは私たちの経験不足や技術不足も確かにあるのだが、正直このドライブウェイの駐車場から山頂までは大変分かりずらかった。たまたま思い切って駐車場を横切ると、登山道らしきものを発見。進むと、目指していた「大比叡 山頂」を見つけた。

お目当ての琵琶湖は残念ながら雲に隠れていた。
自然には敵わないというのは、真理である。
駐車場を突きっていくと、山頂があったが…
これがなかなかのあっけなさ。
眺望は何もなく、杉林に囲まれた小高い丘にポツンと頂上が。
一応848m登ったが、実感としては正直のところ薄い…

いわゆる一般的なイメージの「山頂」を求めていくと、比叡山には大きく裏切られる。比叡山の山頂は杉林の中にポツンとあり、ただそれだけだ。加えて、山頂の後ろでは何やら大型の浄水器らしきものが騒音ともいえる音を出しながら動いており、そこに山の風情はない。

あまり達成感は無いが、登ったは登ったということで一区切り。
思っていたのと違う結末に調子を少々崩されたが、気を取り直して延暦寺へ向かった。

延暦寺

大比叡を後にしてその小高い丘を下ると、舗装された道路に出た。延暦寺のある方向に道路を進むと、看板が見えてくる。それをたどりながら、延暦寺へ。

大比叡から延暦寺まではそう遠くない。歩きながら聞こえてきた鐘の音も頼りにしながら進むと、延暦寺らしき朱色の建物が見えてくる。ものの15分で「東塔とうどう」に到着。お線香の香りも漂ってきて、そこからは延暦寺の世界に。裏の玄関から失礼した。

延暦寺の香りに音。なかなかの雰囲気に圧倒される。
最近塗り直したのか、鮮やかな朱色の建物が出迎える。
大比叡山頂の小さいショックもあったので、その分心が踊った。
立派な東塔とうどう
ここが延暦寺のメインでは無いが、堂々とした佇まいには思わず目を見張る。

延暦寺の敷地に入れば、たくさんの観光客とすれ違う。1200年の歴史の重みを感じようと、各地から人が集まるのだろう。やはり関西地方からの来訪が多いだろうか。秋田出身の僕からすれば延暦寺は遥か遠くの存在だったので、こうして登山を通じて訪れられたことは心から喜ばしい。

東塔とうどうから僧侶たちが問答を通じて修行をするとされる「大講堂」に向かう途中、所々で延暦寺が舞台になった小説や大比叡が登場する随筆などの作品を紹介していた。向かう先どこにでもその紹介があり、比叡山と延暦寺が昔から愛され、人々を魅了してきたことがよくわかる。事実、延暦寺はさまざまな日本の歴史の舞台にもなってきた。時には悲しい歴史もあったかもしれないが、それらも全て背負いながら「延暦寺の火」を絶やさずに現在に至るということからは、この地の不思議な力強さとしなやかさを感じられずにはいられない。

僧侶が互いに「大講堂」で学んでいる姿を、いつかぜひこの目で見てみたい。
きっと現代の私たちが忘れかけている姿を見られるだろう。
その作品の内容を知らずとも、この看板からかつての息づかいがかすかに聞こえてくる。
知らないうちに避けてきた小説や随筆も、今日から気になるものの一つに。
若々しい黄緑色をした若い松の葉が顔を出していた。
山歩きを通じて得た学びや気づきから、また新たな視点が生まれる。

さらに先に進むと、2016年から大改修中である国宝「根本中堂こんぽんちゅうどう」が見えてくる。外見こそ拝むことはできなかったが、線香の煙立ち込める内部は荘厳な空気が漂っていた。

不滅の法灯

登山靴を脱いで根本中堂こんぽんちゅうどうの奥まで進むと、「不滅の法灯ほうとう」なるものが三つ並んでいた。開山から1200年近くも絶やさずに灯されている明かりだそうで、これがいわゆる「油断」の語源になっているだとか。僧侶たちは今でも宗祖伝教大師 最澄の教えを守り続けている。

国家公認の一人前の僧侶となった最澄には、大寺での栄達の道が待っていましたが、受戒後、故郷に戻り、比叡山に籠り一人修行を続けました。そしてすべての人々が救われることを願い、一乗止観院を建てて自ら刻んだ薬師如来を安置し、仏の教えが永遠に伝えられますようにと願って灯明を供えました。(延暦7年(788)年)
このとき最澄は、「明らけく 後(のち)の仏の御世(みよ)までも 光りつたへよ 法(のり)のともしび
と詠まれ、仏の光であり、法華経の教えを表すこの光を、末法の世を乗り越えて(後の仏である)弥勒如来がお出ましになるまで消えることなくこの比叡山でお守りし、すべての世の中を照らすようにと願いを込めたのでした。

引用:天台宗総本山比叡山延暦寺

近くにいた僧侶の話を聞くと、これらの灯りへ油を継ぎ足す際の担当などは決まっていないそうだ。ひとりではなく、みんなで守り抜いていく。そんな姿勢を1200年もの間、守り続けている。その姿に感銘を受けた。

僕が質問をした「担当」のような発想は、つまるところ合理性・効率性を求める発想だ。だがその発想は、どこかその行為そのものをめんどくさがっている節があるのではと気付かされた。「担当」している時はその取り組みの一部だが、その「担当」している時以外は一部ではなくなってしまう。

つまり、「担当」という一見合理的にみえる仕組みは、一時的にその「担当者」に責任を生み出す一方で、その他の「担当者以外」のものには「無責任」な時間を生み出してしまうのだ。時として、それは合理的では無いことがある。

人々の救いの灯りを守り続けるということは、いわゆる「他人事」を生んでしまう「担当」などという甘い考えでは務まらない。


彼らが責任を持って、全員であることを自分ごととして捉え貫く姿勢には、現代の私たちも学ぶべきことがあるように思える。

私たちも自分の「不滅の灯り」を灯し続けることができるだろうか。

そのためには、不断の努力が欠かせない。

終点:JR比叡山坂本駅へ

僧侶のお話も聞き、背中が改めてシャンとしたところで終点を目指す。
比叡山坂本駅まで下るルートはいくつかあり、『土佐日記』を記した紀貫之のお墓を通ることもできたが、この日は無理せず「本坂ルート」でまっすぐ下山へ。道中は割と険しめな箇所も多く、傾斜も大きいときた。この道を登りで通れば本格的に大変だろうが、下る分にはありがたい。枯葉スリップに気をつけながら、風のように駆けて下山した。

この「本坂ルート」だが、ネットで調べるとけっこう気軽に登れるように書いてある。だが、実際の本坂ルートの登りは想像以上にきついように感じた。途中までは舗装されているかもしれないが、ほとんどがリアルな「山道」である。岩がむき出しになっていたり、泥まみれになっていたり、注意して進むべき段差が多くあったり、そして何よりも傾斜がきつい。下山途中、若いカップルが立ち往生しており、素直に下山をおすすめした。靴もスニーカーやサンダルらしきもので、服装もだいぶラフな格好をしており、観光目的だったのだろう。

山は舐めると痛い目に遭う。

舐める方も舐める方だが、舐めてしまうような情報を展開しているのも良くない。延暦寺に登る際は、京都側・滋賀側どちらもしっかり体力と装備の準備をしてから登ろう。

延暦寺を後にするとしばらくは舗装されているが、後から全くの別世界に突入していく。
道中、マイスコップで道をならしてくれているおじいさんがいて、感謝である。
ようやく琵琶湖を見ることができた。向こうではBBQでもやっているだろうか。
滋賀側の登り始めにある立派な灯籠。夜に明かりが灯るときっと美しい。

ここまで下りてくると、JR比叡山坂本駅まではあと少し。直線の道のりがずっと続くが、綺麗な街並みを見ながら今回の登山について振り返える。そしてこのタイミングのオレオクッキーは最高だった。余ったお菓子を食べるでもよし、途中のコンビニでアイスを買って甘やかすもよし。使った身体を労ることも大事なこと。

比叡山坂本駅までの道のりの一部。道に沿って流れる小川に癒された。

まとめ

ある種念願だった比叡山と延暦寺を旅することができた。老夫婦からおすすめされた景色こそ拝めなかったが、歴史ある道を私たちも歩めたことは、ひとつ大きなことと感じる。実際にこの目で見たからこそ、かつてここが舞台になった事柄や作品にも改めて興味を持つことができた。またこれから学び続けられたらと、背筋が伸びる旅であった。

次にこの土地に来るのはいつだろうか。そんな物思いにふけりながら帰りの電車に乗った。また登る時はきっと技術も知識も向上させていられるよう、楽しみながら頑張っていきたい。

まず比叡山の旅もひと段落ということで、次はどこの山へ向かおうか。

連続で京都の自然に触れたので次回はまた別の場所だろうが、きっとまた戻ってくるのでそれまで楽しみにしていよう。


それでは、次の記事でお会いしよう。

2022.08.14
ShareKnowledge(けい)

登山データと参考資料

  • 標高:848.1m(大比叡)

  • 距離:約19km

  • コースタイム:7:20〜13:20 → 約6時間(休憩・拝観込み)

  • コース:雲母坂→水飲対陣之跡碑→浄殺結界趾→大比叡山頂→延暦寺→比叡山坂本駅

  • アクセス:行き・叡山電車「修学院駅」|帰り・JR「比叡山坂本駅」


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?