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2065年の花束〜「もっと遠くへ行こう。」【映画感想】

イアン・リードの小説を原作としたAMAZON ORIGINAL映画「もっと遠くへ行こう。」に圧倒された。「レディ・バード」のシアーシャ・ローナンと「aftersun」のポール・メスカルの共演によるSFドラマで、超大作ではないが紛れもなくサイエンスフィクションであり、そして人間ドラマであった。

《あらすじ》
舞台は2065年。ヘン(シアーシャ・ローナン)とジュニア(ポール・メスカル)の夫婦は、ジュニアが代々受け継いできた土地で農業を営んでいたが、ある日見知らぬ男(アーロン・ピエール)が突然現れる。そしてジュニアが宇宙への移住要員候補に選ばれたことを告げ、夫婦の暮らしに変化が訪れる。

この映画における宇宙の要素に関しては夫婦への影響の1つであり、主題となるのは親密であるはずの関係に生じている揺らぎである。例えば現状に満足する夫と人生に厳しい妻の出会いと終焉を描いた『ブルーバレンタイン』や、社会に順応しようとする男とサブカルと共に生きたい女の残酷なすれ違いを浴びせる『花束みたいな恋をした』のような、愛情の行方を描く作品なのだ。



サイエンスフィクションが巻き戻す

宇宙移住の話が持ちかけられる前の2人の関係は冷め切っている。ジュニアはヘンと夫婦であるという事実を獲得した後は大きな出来事を求めずにただ粛々と生活しようとする。そしてヘンは趣味だったピアノをジュニアから禁止され、抑圧されている。農場に縛り付けられ、思うがままに過ごせないヘンと、妻を所有して満足しているジュニアの関係性は冷え切っていくばかりだ。

このように荒廃した関係性に作用するのが本作のSF要素なのである。ジュニア1人だけが宇宙移住することが決まったことで、その暮らしを見つめ直すようになるジュニア。ヘンもまた、ジュニアの変化を感じ取り2人は再び愛を交わすようになる。始めは綺麗だが後は枯れていくしかなかった花束がもう一度色づくように、サイエンス・フィクションが不可逆の時間を巻き戻すのだ。

そしてもう1つの大きな要素。中盤、宇宙移住するジュニアの"身代わり"として彼と同じ知能や思い出を持ったジュニアのクローンが家に提供されることが分かるのだ。自己同一性の揺らぎを前に苦しむジュニアは混乱に陥り、再びヘンも不安定になる。ここでは訪問者である男の存在が関係性を掻きまわし、冷静に抑え込んでいた本性が露わになる。これもまたSFがもたらす大きな展開だ。


大仕掛けのストーリーテリング

しかし、この映画はそれだけで終わらせてはくれない。終盤で開示される大きな事実と突きつけられる選択は強烈に残酷である。SF要素がもたらす歓喜と悲劇の猛攻。そして最後に訪れる強烈な虚しさ。親密さを絶えさせないために必要なのは、"超越"ではなくもっと普遍的なことでいいはずだ、と我々に思わせてくれる。この大仕掛けのストーリーテリングは是非とも実際に見て欲しい。

同じくイアン・リードの小説を映画化した「もう終わりにしよう。」というNetflix映画がある。倦怠期のカップルが車中で気まずい会話を続けながら、次第に幻惑に誘われていく、という非常に奇妙な作品だがこれもまた大仕掛けが用いられている。本作はSF要素ではなく、チグハグでシュールなやり取りやスリリングな演出によって仕掛けられるが、最後には虚しさへと結実していく。


この2本を続けて観ると、イアン・リードという作家が大仕掛けを用いて"人間の本質の探求"を行い続けている作風であることがよく分かる。それは非常に達観しているようでいて、自分自身の不安を吐露しているようにも思う。この人生において手にした輝きは、それこそ花束のように来世や別次元には持ち越せないものである。だからこそ、今を見つめなければならない。70's、80's、90'sだろうが、今が2065年だろうが、死ぬように生きてる場合じゃない。ということなのだろう。



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