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2012 to 2022~「ちょっと思い出しただけ」でちょっと思い出した、松居大悟とクリープハイプの10年

「2012 to 2022」は10年前に発表された作品を起点にして、この10年間の作り手やシーンの変容についてあれこれ記していく記事のシリーズです。

2022年2月11日に松居大悟監督の映画「ちょっと思い出しただけ」が公開された。クリープハイプの楽曲「ナイトオンザプラネット」(2021年リリース)を原案に池松壮亮と伊藤沙莉を主演に迎えた作品だ。クリープハイプの尾崎世界観はコロナ禍に突入しかけた頃、ツアーが延期となり空いた2020年2月のある日から「ナイトオンザプラネット」を作り始めた。そして完成後、松居大悟に<一緒にやりたい曲が出来た>と連絡をしたのを機にこの映画の企画が動き出したのだという。両者のファンとして待望の作品。そして鑑賞して驚いた。まさかこの座組の作品でこんなに穏やかな気持ちになれるとは。

人には言い出せない感情や行動、言葉で形容できない想いを作品として出してきた松居大悟とクリープハイプ。そのタッグで生まれる作品は常に過激なヒリつきを帯びていたように思う。しかしこの「ちょっと思い出しただけ」は1組の男女が恋人だった頃を回想する、慎ましく優しい1作だ。そのギャップ、という切り口で書こうとしてみてちょっと思い出した。松居大悟とクリープハイプの10年間は意外にも一貫していたのではないかということを。


「おやすみ泣き声、さよなら歌姫」の衝撃

調べてみると10年前の2012年2月、クリープハイプのメジャーデビューアルバム『死ぬまで一生愛されてると思ってたよ』の初回盤DVDに松居大悟が監督した「イノチミジカシコイセヨオトメ」のショートフィルムがつくというニュースが出ていた。同月に「アフロ田中」を公開したばかりの松居大悟と、気鋭のギターロックバンドとして世に出る瞬間のクリープハイプ。当時受験生だった自分はこの瞬間には両者とも感知できていなかった。



大学に入ってすぐ『死ぬまで一生愛されてると思ってたよ』を聴き、クリープハイプが素晴らしいバンドであることを知って数カ月後。メジャー1stシングル「おやすみ泣き声、さよなら歌姫」がリリースされた際にそのMVを解説するUstream番組に監督として松居大悟が出演していた。ここで初めて松居大悟を知ることになるのだが、そこで語られていた「おやすみ泣き声、さよなら歌姫」のMVの解説を聴き、その作品に鮮烈な衝撃を受けることになった。

「おやすみ~」は大東駿介演じる主人公が憧れの歌姫に執着する姿を巧みな時間経過の仕掛けを用いて映し出した作品だ。思い出の中に取り残された男を描写するこのビデオは今考えると「ちょっと思い出しただけ」にまで地続きな、"記憶"にまつわる作品と言えるだろう。記憶の面影は時に愛おしく感じ、時に厄介なものになり心を埋め尽くす。初期のクリープハイプと松居大悟は記憶に対して大切に執着することを描く。傍から見れば呆れられそうな、もしくは眉をひそめられかねない感情表現に共振し合ったのだと思う。



「自分の事ばかりで情けなくなるよ」における言葉

2013年、上昇気流に乗り続けるクリープハイプのシングルMVを全て担当。更に「イノチ~」から「憂、燦々」までのMVは最終的に映画「自分の事ばかりで情けなくなるよ」として1本の長編作品にまとめられた。単作でも確実にインパクトを残す作品でありながら、長期に渡り一貫した作品性を持たせて作品に結実できたのは松居大悟とクリープハイプの信頼関係ゆえだろう。

「イノチ~」「オレンジ」の安藤聖と尾上寛也、「おやすみ~」の大東駿介、「社会の窓」の山田真歩、「憂、燦々」の黒川芽以、そして池松壮亮。オムニバス形式でありながら、全員が同一世界の住人であり、クリープハイプの楽曲とともに互いが影響を及ぼし合う群像劇。こうして描かれることで、それぞれの人物が抱えるままならない想いがより深く胸に残っていく。


「傷つける」と題された4話目で主人公を務めたのは池松壮亮。トレーラーハウスでその日暮らしを続けるリクオという青年で、言葉を喋らない女性ユーナ(黒川芽以)と寝食をともにしている。<言葉にしなきゃ分かんねえよ>と叫び、時にユーナに暴力をふるってまで分かりたいとあがく様は痛々しく、観るに耐えない姿だ。そして「ちょっと思い出しただけ」でも同様に<言葉にしなきゃ分からない>という台詞が発せられる。しかしまるで異なる、穏やかワンシーンにおいてだ。言葉にできない感情を常軌を逸した描写で綴ってきた松居大悟が、最新作では叫びや足掻きではなく思い悩みもどかしく思う姿として描いた。「ちょっと~」はやはり本質を薄めないままに表現方法を置き換えた、松居大悟×クリープハイプの延長上にある"感情"の映画なのだ。



「私たちのハァハァ」と成熟

2014年、クリープハイプがレーベル移籍をした後も「寝癖」「エロ」「二十九、三十」「百八円の恋」と変わらず松居大悟はMVを作り、作品に寄り添い続けた。また「男子高校生の日常」「スイートプールサイド」「ワンダフルワールドエンド」といったユーモラスで刺激的な青春映画を数多く世に放ちながら、2014年に自身が主宰する劇団「ゴジゲン」で3年ぶりに公演を行った。「ごきげんさマイポレンド」というこの公演は劇団メンバーそれぞれが空白の3年間を語り合うという内容で、クリープハイプの楽曲を通さずとも、生々しい松居大悟の表現への向き合い方が刻まれた1作になっていた。

2014年のツアーと並行して撮影された映画「私たちのハァハァ」は三浦透子を主演に迎え、北九州に住むクリープハイプのファンたちが東京のライブめがけて自転車で旅をする姿を捉えたロードムービーとなった。松居大悟、そして尾崎世界観の等身大の気分というよりは、その受け手であるファンの目線へと作品の中心が動いたのだ。ヒリついた焦燥感を高校生に託し、明らかに1ステージ違う地点へ向かったように思えた。池松壮亮も出演していたが、主人公たちを揺さぶるどこか冷めた大人の役割を果たしていた点からも青春という季節を終え、次の世代へと継承するような、そんな意匠があった。


「私たちのハァハァ」に関連して「わすれもの」「クリープ」のMVを撮り、しばらく期間を空けた後「」を撮った後、「ナイトオンザプラネット」まで約5年間、松居大悟がクリープハイプを撮ることはなかった。多数のタイアップの渦中で声のスランプもあったこの時期を突破する1曲として出来たのが「鬼」。この曲で松居大悟が撮ったのは必然と言えるだろう。その後、クリープハイプは"あえて普通のことを歌った"傑作『泣きたくなるほど嬉しい日々に』を生みだし、松居大悟はエンタメ性の高い「バイプレーヤーズ」や演劇の手法を映画に持ち込んだ「アイスと雨音」など意欲的な作品を次々と発表。それぞれのフィールドで表現者として成熟していく様を感じ取れた。


「極めてやわらかい道」~「君が君で君だ」と「またね家族」

2018年に松居大悟は池松壮亮を主演に迎えて映画「君が君で君だ」を発表。これは当時集大成と語っていた2011年のゴジゲンの舞台「極めてやわらかい道」を原案とする作品だ。この公演のアフタートークで尾崎世界観が弾き語りを行い、かねてからクリープハイプのリスナーだった松居大悟が初めて対面を果たしたという過去がある。公演DVDにはその模様が記録されており、尾崎はそこで<自分と歌ってることと少し近い気がした><全然違うところでもそういう表現をしている人がいるということが嬉しい><また一緒にできたらな>と語っていた。尾崎がそのライブで歌っていた「イノチミジカシコイセヨオトメ」はその後、松居が初めてMVを監督する作品となった。


「君が君で君だ」で、尾崎は尾崎でも尾崎豊が重要な役割を果たしていたことにはいささか驚いた。池松壮亮と松居大悟、とくればそこに尾崎世界観、ないしクリープハイプがいることは当たり前のように思っていたのだけれど、そうはいかない。非モテの男として、ままならぬ恋を連ねた身として、松居大悟とクリープハイプの間にあった連帯とまではいかないまでも確実にあった結びつきが僕にとってはどこか頼もしく、嬉しい関係性だったのだ。


2020年、松居大悟は初の小説「またね家族」を上梓。これまで正面きって家族、特に嫌っていた父親と兄を描くことを避けてきた松居が父親の死とそこに向けて動く兄の姿を丁寧に拾い上げた作品であった。フィクションと前置きはなされているが、どう読んでも実在の人物の顔が浮かぶキャラクターがいるし、2010年から2013年にかけての松居監督の物語としての側面もある。尾崎世界観も処女作「祐介」では自分の音楽家としての原風景を込めていた。双方が離れていた期間に、ともに自分たちの過去と対峙していたことは興味深い。守っていた弱さをありのままに作品として昇華するこの過程が「ちょっと~」の素直で穏やかな質感に少なからず影響はしているはずだ。



そして「ちょっと思い出しただけ」

思い出すのも苦しい過去と向き合ったこと。コロナ禍によって当たり前の関係やこれまでの在り方がほつれかけたこと。「ナイト・オン・ザ・プラネット」にクリープハイプのバンド名の由来となった台詞があったこと。様々な縁が手を取り合って「ちょっと思い出しただけ」へと連なっていった。思い出を振り返って過去に思いを馳せる作品が、これまでの縁に突き動かされて作られたことそれ自体が凄まじい物語性を帯びている。しかし、この映画はノスタルジーに浸るだけの映画ではない。今この瞬間を抱きしめる映画だ。

時間を遡りながら出会った瞬間の喜びへと向かって高揚していくストーリーラインは、あの頃は良かった、という思いにさせかねない。記憶に留まり、後悔を連ねる、そんな作品を松居大悟とクリープハイプは数多く作り出してきた。しかしそう、その様々な選択の先にある今。この今経っている足元がどれほど愛しいものなのか、という点へと帰結するのがこの映画なのだ。思い出と痛みを歌と物語に込めてきた松居大悟とクリープハイプ。彼らだからこそ、どんな過去も連れて今を抱きしめることができたのだと思う。

劇中、照生と葉の恋が始まる場面で尾崎世界観演じるミュージシャンが弾き語っている楽曲が「ex.ダーリン」だ。まるでこの瞬間からこの2人の未来を暗示しているかのように聴こえる、鑑賞者にしか分からないもう1つのテーマソングだろう。そしてこの曲は先述の「極めてやわらかい道」のアフタートークで尾崎世界観が「イノチミジカシ~」とともに弾き語っていた1曲なのだ。真相のほどは分からないが、松居大悟と尾崎世界観が出会った時に歌われた1曲が10年を超えてクライマックスのシーンを彩る曲になったのは偶然ではないと思う。単に悲しみのテーマではなく、思い出を懐かしむ映画の中で輝いたことがあまりにも意義深い。10年かけ、松居大悟がクリープハイプと出したままならなかったあの頃へのアンサーのように思えて涙が滲んだ。

悪ノリや馴れ合いと思われがち。男子が寄り集まり、うだつのあがらない思いを込めたルサンチマン作品という見方をされがち。そんな偏見に目もくれず自分たちの心を覗き、心をくすぐるものを形にし続け、10年経って辿り着いたのがささやかで愛すべき今の肯定があったというのは少し微笑ましい。しかし苦しんできた過去、苦い思い出を踏まえ、まぁ今でしょ、今からでしょ、と思わせてくれる力がこの映画にはある。思い出への執着から未来への期待へ。青春は終わったように見えるけど、それ1つの区切りに過ぎない。この境地に立った松居大悟とクリープハイプがまた交わることがあるとしたら一体どんな言葉にならない想いを描くだろう。見届けなければいけない。

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