異化される現世/Tempalay『((ika))』【ディスクレビュー】
Tempalay、3年ぶり5枚目のオリジナルアルバム『((ika))』に取り憑かれている。19曲72分という大巨編でありながら、その多彩で奇異な楽曲たちに身を委ねているうちにいつの間にか時が過ぎる。幽玄で、猥雑で、耽美で、乱暴で、果てしのない幻想譚。紛れもなく最高傑作だろう。
本作最古のシングル「あびばのんのん」のインタビューで前作『ゴーストアルバム』についてフロントマンの小原綾斗はこう語っていた。またその後『Q/憑依さん』のインタビューでも、メンタルがかなり落ち込んでいた時期があったことが伺えた。生き方、在り方をも模索するほどの紆余曲折を経て『(((ika)))』に辿り着いたようである。
”生きたい“と願う前作から3年を掛け、現世を捉えながら編み上げた本作。その題の意味、そして本作の構成に息づく思念を読み解いてみたい。
2つの異化
『((ika))』というタイトルは、今回ヘッダーにも使わせてもらった宣伝用の版権フリーのキャラクタービジュアルからは生物のイカが連想される。またアルバム曲の歌詞には《イカれてる》や《生かされる》といった言葉も登場し、“ika”が複合的なニュアンスを含んでいるのは明らかである。そこで私は“異化”という解釈をしてみようと思う。
異化とは、主に芸術分野(演劇、映画など)で用いられる言葉で、日常的な事物や事象をあえて奇異なものとして表現する技法だ。Tempalayのサイケな音楽志向は異化そのものと言えるだろう。
例えば「遖(あっぱれ)!!」における飲み会の景色の終わり際に漂う浮遊感に自分が自分じゃなく感じる離人感を重ねる描写や酩酊の不穏さを表現したサウンドメイク。「憑依さん」における性愛と呪縛を混濁したような描き方。「月見うどん」ではその題だけではイメージできないほどに情緒的な秋模様がしとやかに表現されている。
描かれる事象は日常的なものや普遍的な侘び寂びであったりするが、そこにまぶした突飛なアレンジや不思議な言語センスが我々に奇怪で歪んだ景色を見せてくれる。これこそが異化効果である。
また異化は医学用語でもある。外界から取り込んだ物質を分解し,より簡単な化合物に変えるとともにエネルギーを取り出す過程のことも異化と呼び、本作からはこのニュアンスも感じ取れる。
サイケロックやファンク、ソウルを基調としつつそこにふんだんに多くの音楽性を取り込むのがTempalayの特性だ。「愛憎しい」「Aizou’」ではゴスペルのフィーリングを、「湧きあがる湧きあがる、それはもう」はメロコアばりの高速ビートを、「時間がない!」ではナチュラルにラップを、と本作を構成する要素は多岐に渡っている。
しかしそのどれもが美しいメロディを持つ”歌“として取り出される点にTempalayの異化の本質を感じる。あくまでも親しみやすく、日常に溶け込んで我々の目前の景色を滲ませる力があるのだ。
19曲の流転
Tempalayの本質たる異化の力を最大限に注いだ本作。そこで展開されるのはあの世とこの世を循環し、流転し続けるような物語だ。“死んでる”気分だった前作を起点とし、浮遊するように現世へと接近していき、そして…。そんなコンセプトが想起される。ここからは勝手な解釈ながら、本作の一連の流れを流転の物語として読んでみたい。
アンビエントなM1「(((siki-soku-ze-ku)))」からM2「愛憎しい」に続くオープニング。ここで《あのときせいいっぱい生きていたもの同士 永遠に》と歌われており、まさに『ゴーストアルバム』からの復活を仄めかすような幕開けである。しかしM3「遖!」は幽体離脱のように自ら客観視する楽曲で、半身はまだ死んでいるようだ。
M4「ドライブ・マイ・イデア」は、イデア=絶対的永遠の実在を思う楽曲で《あなたに会う日まで死ねないわ 生きていく》と誓いつつ、M5「NEHAN」では涅槃=魂の安寧をモチーフにしつつもどこかヤケクソなムードが漂っている。時に切実に、時に乱暴に“生”の側へと立とうとするスタンスはM6「預言者」において顕在化する。
《あなたにもっと素敵な未来 訪れる 訪れさせよう》と歌う「預言者」は《生き恥かいて歌うんです BGMじゃないわ》と締め括られ、ある種バンドとしての宣誓とも言える。そして不意に場面が切り替わりM7「Room California」ではささやかな恋人同士の姿が見える。ふと目を覚ますように、現世の立脚した楽曲へと移行するのだ。
M7に連なるM8-M10は、現世らしい欲望や享楽をテーマにした蠱惑的な既発曲が並ぶ。M11「月見うどん」のような情緒もまた実感を伴ったものであろうし、M12「湧き上がる〜」の身体的な高揚感も娑婆ならではのものだ。しかしM13「時間がない!」で締切に追われる様を描き、現実的な苦しみが析出する。欲望や快楽だけでは生きていけぬ、そう悟った後、物語の位相が変わる。
これ以降の既発曲たちはどれも、再びあの世とこの世、夢想と現実を行き来しているようなフワフワとした楽曲ばかりで、一見すると排反するような価値観が蕩けてひしめき合う。永遠も一瞬も、泣くことも怒ることも、本当も嘘もごちゃ混ぜになっていく。もはやそこにはなんの実体も無いような観念の領域へと達していくのが最終局面だ。
そして物語はM17「今世紀最大の夢」に辿り着く。野望としての夢、そして眠って視る夢、その2つを重ね合わせながらも“今ここ”を噛み締めるような曲を経た後、M2と同じ歌詞かつ別アレンジのM18「Aizou’」が響く。ここでの《あのときせいいっぱい生きていたもの同士 永遠に》はM2と異なり、どこか終焉をイメージさせる。
アルバムを締めくくるのはM19「)))kuu-soku-ze-shiki(((」。この曲の終わり際の音はM1と繋がっており、続け様に聴くと再び"生きてるか死んでるかも分からない世界"を彷徨うところから物語が再スタートする。終わらない輪廻、流転し続ける19曲。この無限ループこそが『ゴーストアルバム』へのアンサーとして解釈できると思う。
アルバムの起点の"色即是空"とは、"物質的現象にすべて実体がないこと"を指す。また終点の"空即是色"とはその真裏、"実体がないことこそこの世界のすべて"であること指す。この2つを結び目とし、実体なきこの世界の永遠の繰り返しの中に身を置き、成仏せず輪廻からも抜け出さずにいることが幽霊になること=死への抵抗なのだ。
本作はどこで区切ってもどこから聴き始めてもグルグル流転し続ける奇怪な1作だ。だからこそ気分次第で死んでるようにも生きてるような気にもなる我々の精神に取り憑き、実体ない世界を彷徨うための浮遊感をくれる。飲み会の終わり、旅先の一室、忙殺される日々、どんな瞬間でもひと時の幻想がこの世を異化し、活かし、生かしてくれるという理を恍惚感と共に注いでくれるはずだ。
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