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逆らい続けるということ~白石晃士「戦慄怪奇ワールド コワすぎ!」

POV(主観撮影)形式のホラー映画で著名な白石晃士監督が、その名を広く知らしめた「コワすぎ!」シリーズの新作を劇場映画として発表した。実に前作から8年の時を経ての新作は、今観るための「コワすぎ!」というべき完成度で期待を満たして飛び越える傑作だった。"運命に逆らう"という根底メッセージをそのまま体現したような作品の精神に迫っていきたいと思う。


定石に逆らう

「コワすぎ!」シリーズは「ほんとうにあった呪いのビデオ」シリーズのような"視聴者投稿映像をスタッフ調査していく"系のホラードキュメンタリーの形を取る作品だが、その題材とあまりにも"フェイク"すぎる映像を特徴によって人気を博した。口裂け女を捕獲しようとしたり、河童と素手でやり合ったり、マルチバースを展開したり。ホラードキュメンタリーというジャンルの中で好き放題暴れながら強烈にグッとくる物語を作り上げてしまう。"ホラー"はこうあるべきという定石に逆らい続けるのが「コワすぎ!」だ。

お化け屋敷に行く、ホラー映画を観るなど、人があえて恐怖や不安を求めることができるのは、そこで起こっている事象が虚構であるという安心感があるからこそだ。恐怖や不安が過ぎ去った後に訪れるカタルシス(生理学的に言えばアドレナリンの分泌)は、映画自体の結末がどういうものであれ心に"あれは虚構だった"という安堵をもたらす。緊張と緩和による快楽原理がそこにあるのだ。この構造を作品自体、そして見せ方に組み込んだのが白石晃士作品の画期性であり、「コワすぎ!」シリーズの人気の秘訣と言えるだろう。

前半は思う存分に恐怖を浴びせてくるが、次第に笑うしかない展開を次々と連ねて、いつの間にか胸を熱くさせるストーリーテリング。頻繁に作品をニコニコ生放送で放映し、コメント欄で台詞やくだりを観てともに笑うという共有体験。「コワすぎ!」は"ホラー映画の緊張と緩和"が作中にこれでもかと用意された複合型エンターテイメントだ。今回の新作「コワすぎ!」でも、劇場体験と呼ぶべき仕掛けが用意されている。定石に逆らい続けるとホラー映画の上映が"祭り"のような高揚感と笑いに包まれることもあるのだ。


現実の恐怖に逆らう

「コワすぎ!」シリーズではこれまで、霊現象に対して暴力で立ち向かったり、倫理の外にあるようなミッションを描くなど、でたらめで理不尽な過剰さがある作品で、そういった描写が下品で笑える部分として描かれていた。時に"ホラー"的な恐怖に対し、人の理不尽さをぶつけて"笑い"をもたらす、というのがこれまでの「コワすぎ!」にあった特徴的要素と言えるだろう。

しかし、今回の「コワすぎ!」は一味違った。これまで横暴に振る舞っていた主人公・工藤仁(大迫茂生)は、いつも被害を被っていた部下の市川美保(久保山智夏)にやり込められるシーンが多い。中年の悲哀をまとい「死ぬのはやだなぁ」と呟く工藤はこれまでのシリーズとは一味違うがその経年変化には少し感慨深くなった。愛されるおじさんとしての存在感を選んだのだ、と。

そして"理不尽な暴力"は完全なる悪として描かれる。ホラー映画であるがいわゆる霊的な恐怖ではなく、不快で胸糞悪いシーンにこそ現実と地続きの恐怖を投影している。虚構を象徴する怪異的な存在は、むしろ現実に存在する恐怖と共闘できる存在として描かれている点にも白石監督の強い意志を感じる。虚構は、現実の恐怖に打ち勝つ可能性を込められるものなのだ、と。

白石監督自身が抱える映画業界に対しての怒りが今回の作品趣向に繋がったことが公式パンフレットで明かされており、そのメッセージと作品の方向性は強く合致している。ひたすら前へと突き進み続ける"ワンカット"のカメラと、虚構によって新たな現実を作り出していくフェイクドキュメンタリー。現実の恐怖に逆らうためのエネルギーが「コワすぎ!」には満ちている。



並行世界の自分に逆らう


先述の通り、「コワすぎ!」シリーズは早い段階でマルチバース/パラレルワールドの作品構造を取り入れていた。それは行き当たりばったりかつ大風呂敷になっていった伏線を力強く回収する役割を果たしていたが、同時にまどマギ的なドラマ性も付与してきた。今回は「ドクターストレンジ MoM」や「エブエブ」とも近い自分の暗部と向き合うという意義をもたらしている。

自分の有り得たかもしれない可能性について描くパラレルワールド。それはつまり自分の無意識下に潜んでいる支配願望や加害性について描くこととイコールだ。「コワすぎ!」という作品スタイルの中で工藤という危ういキャラクターを自分自身と向き合わせ、自分自身へと打ち勝っていくというケリのつけ方は10年以上に及ぶ「コワすぎ!」の決着としてあまりに相応しい。

"運命に逆らう”とはこれつまり、自分の今生きている時間軸の苦しみに打ち勝つだけでなく、誤って進んでしまうかもしれない世界線や油断すると飲まれてしまう欲望を抑え込むという意味合いも込められていたのだと今回の「コワすぎ!」を観ると思う。人は誰しもが間違えてしまうかもしれない。そのうえで何を成していけるのか。その問い掛けを我々にくれるのだ。


それにしたってなかなか危うい展開は多いし、ラストシーンの衝撃は"やりやがったな"という気持ちになるしかないし、エンドロールのケレン味も凄まじい。真正面から向き合おうとすると大いに振り回されること間違いなしの映画ではある。しかしこういう映画が根強く支持され、劇場を満員していることは映画の多様性を守る上で喜ばしい事態である。もしかすると運命に逆らい続けた結果、不可解なパラレルワールドに辿り着いたのかもしれない。そうやないんか、白石くん!!


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