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UNISON SQUARE GARDEN『Ninth Peel』/表皮なのか、中身なのか


なんとも珍妙なアルバムタイトルだと思った。Ninthは9枚目のアルバムだということとして、Peelは皮、なのだろうか。Peelは動詞であれば「剥く」であり、覆っていたものを露わにするような、外殻を剥いで中身へと迫るようなイメージが沸いてくる。このアルバムにおいて“露わにすること”を題にした意味を、好き勝手に深読みしてみたい。


かつてない素直さ、かつてない自由さ

普段のアルバムらしい序曲ではなく、1曲目「スペースシャトル・ララバイ」からクライマックス感溢れるエネルギーを放つ『Ninth Peel』。ユニゾンの楽曲の多くは”生の肯定“と”世界を面白がる喜び“に溢れているが、この2大テーマを宇宙的スケールとシンプルなバンドサウンドでのっけから分かりやすく描いてくれている。


これまでのユニゾンであれば、序盤に抽象的な表現を散りばめながら終盤にアルバムの持つカタルシスに向かう構成をとっていただろうが、2曲目「恋する惑星」はリード曲にしてシンフォニックかつ可愛らしさ溢れるラブソングであるし、表題曲とも言える「City Peel」はしとやかなファンクネスが滲む大人しい1曲だ。良い意味で流れを作り込んだり、ファイティングポーズを構えておらず、その程よいラフさが聴きやすさを生んでいるように思う。


インタビューによれば、ソングライターの田淵智也(Ba)はアルバムらしい構築美コンセプトを取っ払って曲を揃えたことを明言しており、また歌詞についてもこれまでの”こんなわかりやすい歌詞を書いていいのか?“というこだわりが、どうでもよくなったとのことで、この柔軟な作風と素直な言葉選びの数々にも納得が行く。


『Ninth Peel』は過去イチ何を歌っているのかが分かるアルバム、とも言い換えられるだろう。例えば「Numbness like a ginger」。ピアノをしっとり並走させるジャズ調で歌うのは、痛みと向き合う姿だ。

采配権は握られて 誰かの都合に合わせられてる
実によくできた箱庭ですこと
馬鹿らしいな もうどうでもよくなってきたから またあとでね

この「箱庭」をUNISON “SQUARE GARDEN”自身と捉えるならば、田淵はバンドが何か言われることに対し、《もうどうでもよくなってきたから》と応える。この曲調の中で言われれば強がりでもなく、素直にそう受け取れるのだ。

また、親愛なる相手の不在をふと思い出す「もう君に会えない」は歪んだサウンドがその心模様を映し出していく。インタビューによれば、その宛先は具体的らしい。それが誰なのかを詮索するような野暮なことはせずとも、この曲の現実感や温度感は伝わってくる。比喩や換喩を媒介させることなく、感情がむき身のまま表現されているように聴こえるのだ。


気ままにユニゾンであること

これまでのユニゾンといえば、外からの見られ方に対して非常に慎重な部分があった。2015年に「シュガーソングとビターステップ」で大ブレイクに至って以降は特に、フェスとの距離感、サブスク配信、ライブの規模感/スタイルなどにこだわり抜き、消費されることに抵抗した。真意を煙に巻くインタビューや難解な歌詞は磨きがかり、ファンすらも篩にかける仕草の数々。彼らの芯はブレないまま、ただ頑丈で孤高な存在で続けた。


しかし本作ではユニゾンの見られ方に対して誤解を恐れなくなったように思う。作品として強度のある前作、前々作を作り、コロナ禍であれユニゾンなりの通常営業に勤しんだという誇りが”どう見られるか“という命題を完結させたのだろう。構えずともユニゾンとしての生き様が世に浸透しきったことに気づいたようにも見える。過度な反発も防衛も必要とせず、ただ”気ままにユニゾンであること“を楽しみ始めた姿が刻まれている。

こんなんじゃ青春が終わっちゃう!死にたくなってしまう
だけどどうせいつか終わるから
毎日をちゃんと諦めないでくれ

UNISON SQUARE GARDEN「ミレニアムハッピー・チェーンソーエッヂ」

余力なんて残さずやっちまわないと
しょうもない毀誉褒貶で世界が終わるぞ

UNISON SQUARE GARDEN「Nihil Pip Viper」

叶わない夢があっても 明けない夜があっても
いつかのどこかで答え合わせしようね
命はある それっぽっちのことでもおみやげになるから

UNISON SQUARE GARDEN「Numbness like a ginger」


ユニゾンの楽曲は”終わり“を常に意識している。本作の収録曲にも顕著だ。その刹那性はメンバー全員が37歳、壮年期に差し掛かりつつあるタイミングだからこそ増しつつある。それぞれが違う活動も始めたこの数年はむしろ、ユニゾンを楽しむ場として捉え始めたように思える。新曲を積極的に作らずともライブは最高だし、終わりは来るにしたって彼らがい続ける限り終わらせる理由がない。そんな気ままであり、しかし誇らしいバンドとしてユニゾンが3人の中に定着したように思える。


ラスト3曲の流れはあまりに美しい。普段通り、一過性の音楽消費を皮肉る「アンチ・トレンディ・クラブ」だが、「もう君は会えない」の後に配置されると、己を奮い立たせているように聴こえる。有限な時間を、いかに生きるかというアルバム全体のテーマが浮かび上がり、不意な幕切とともに「kaleido pround fiesta」の《かくして またストーリーは始まる》が後光を差して響く。ここまでの9曲を経ての《かくして》。シングル時点では見えなかった意図が生まれている。


そしてラストを飾る「フレーズボトル・バイバイ」で《誰かが用意した答えはくだらないのさ》と今のバンドのモードを軽快に放っていく。毎行ごとにスタンス表明するような新たなテーマソング然とした1曲だが、締めくくりは《今夜も楽しかったね 忘れられない今日になった!》という無邪気で根源的な喜びに辿り着く。音楽に感動するこの今日、この時間、この瞬間を抱きしめる、それ以外“どうでもいい”という潔さがあるのだ。


ここまで熱く語っておいてなんだが『Ninth Peel』という題は剥いて出てきた”中身“ではなく表皮の9番目とも読めるわけで、ナンバリングしただけのいつも通りのユニゾンでっせ、という意味にも取れる。しかし聴き進めるほどにいつもの切迫的に構築された1作とは違う、自由気ままなユニゾンの姿が見えてきた。私はあえてこれを、8枚の鎧を剥ぎ続け、9枚目に現れ出たユニゾンの中身であろう、と密かに思っておきたいのだ。

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