西と東、もてなしの違いに思う
なにも手作りが全てではないと思う、
胃腸の弱い主婦の、毎日食べる日記です。
みなさん、体調はいかがですか?
お料理担当の方や、自炊の皆さん
食べるって、いろいろ忙しいですね。
今年も全国、大変な夏でした。
日中まだ暑いですが、ようやく秋の気配です。
これから年末用の仕込みに余念がない方々は
今のこの時期から、手仕事が倍増です。
楽しいやら、苦しいやら、大変ですね。
私も、なるべく、楽しいと思いながら
この季節の仕込みを頑張ってやっています。
むかし大阪の実家では、梅干しや、柴漬けは
大きな樽で買っていました。
私の実家の両親は、
お酒は嗜む程度で、あまり飲まないのですが
お客さんが多い家庭だったので
お酒のあてに、お漬け物が必要だったのです。
お正月には、京都のすぐきや、
聖護院かぶらの千枚漬け、
奈良漬け等の樽を用意していました。
秋冬は、お客さんがお見えになる季節で
父の仕事関係の人や、部下や友人が
いつの間にか家にいる、という感じでしたから
さっと出せるものが便利だったのです。
お漬け物の盛り合わせや、
とりあえず梅で和えた小鉢物で
お客さんに一杯やってもらっている間に
「何が好物ですか?」と父が聞き出しながら、
私たち娘がなんとかして料理をします。
その時期の旬の材料、走りものを使って
お客さんの好物に対応することを
この頃に練習したんだな、と思います。
ちゃんと出来ているかどうかより
その人のことを一生懸命に考えて作る、という
練習です。
お客さんの好みや、体質、疲れ具合を見て
料理を出すペースも考えないといけません。
一品、一品、少しずつお出しするやり方でした。
父は京都の人で、洋食も好きだったのですが、
お酒のあては、古風なものを出すと喜びました。
素朴な、じゃがいもや、里芋を使った煮物が
特に好きだったように記憶しています。
一生懸命お料理するのが
小学生や中学生の娘たちなのですが
母は、飲んで食べて、お話に夢中の接待係。
うちの母は料理が苦手で、ほとんどやりません。
母は台所に向かって
「グラスをもうひとつちょうだい」
なんて言ってました。
「このお芋、美味しいわー。もっと持ってきて!」
明るく母から、要望やオーダーが入ります。
本当に気楽なものでした。
秋になると、芋類の煮物が美味しく感じますね。
なんででしょうね。
見出し画像の肉じゃがは、濃いめの味つけです。
私の肉じゃがは、糸こんにゃくも入れず
シンプルです。
材料は、じゃがいもと、牛肉(今回は豚肉)、
青物または玉ねぎの、だいたい3つだけ。
水分少なめですが、
しっかりと蒸し煮で柔らかくして、
甘辛く煮つけるやり方です。
煮汁を多くして煮つけると、じゃがいもは
煮崩れします。
調味料も無駄になりがちです。
少なめの煮汁で、蓋をして水蒸気を利用します。
蒸し煮にすることで
調味料の量も減らせる上、
味が付きやすく、芋の香りや味わいも濃くなり、
味もぼやけずに済みます。
木の匙で、じゃがいもの上下を、そっと返して
煮汁を行き渡らせます。
上下を返すのは、一回だけでいいんです。
なるべく触らないようにします。
味が薄めの煮汁で弱火で煮てから
(ここは完成形の味で決めてしまわないで)、
蓋を取って
少し水分を飛ばすように火を強め、
一番最後に、しょう油とみりんを絡めて
艶を出します。
味も、表面にしっかり付き、
中身の味が濃すぎることはありません。
味が水っぽい煮物は、残念な感じになります。
水っぽいと、白いごはんのおかずにも、
お酒のあてにもなりません。
この方法だと煮崩れしていないのに、
見た目以上のじゃがいもの柔らかさに驚きます。
じゃがいも本来の香りを楽しむこともできます。
女性作家の食べるもの
生活スタイルにもよるでしょうが
昔の家庭は、あるいは今でも田舎の家庭では、
人の出入りが盛んですから
ごはんを作る機会が多いかもしれません。
私が子供の頃の実家では
色々なお客さんが来られては
父となにやら長話をして帰ってゆくのですが
お客さんは、
そのまま泊まっていくこともありました。
写真家の人や、芸術関係の人、
建築のデザインをしている人、
製造の事業をしている人、
教育関係の人や、料理人、
旅館を経営している人、老舗ホテルの支配人さん。
よそのおうちで、
お父さんはなんの仕事をしてるの?と聞かれても
父が一体なにをしている人なのか、
私にはよく分かっていませんでした。
家の小さい玄関を入るとすぐに
大きなポスターや絵画が飾ってあり
友だちが家に遊びに来たときに
2ヶ月毎に取り替えられてあるポスターのことを
聞かれるのですが
前衛的な被写体が
ときには裸婦像であったりして
「これは、しゃんぴぃのお父さんの趣味?」
と聞かれても
「う~ん…よく分からない(-_-;)」
としか言いようがありませんでした。
ときどき、腕の良い料理人のお客さんに
料理のコツを教えてもらうんですけれど
まだ子供だから、全部は頭に入らないんです。
今思い出すと、あんな大事なことを言っていた
なあ、と
はたと気づいたりするのです。
父が早くに亡くなってから
私は16歳のときに自分自身で決めて
老舗の日本料理の店で
アルバイトすることにしたのですが
このときにも、習った料理は
恵まれた良い経験だったとはいえ、
普通の家庭料理とは違うわけだから
就職して仕事に慣れて落ち着いた頃に
ちゃんとした家庭料理を習ってみたいと思い、
料理教室の門戸を叩きました。
でも結局は、お試し実習だけで、
入会は見送ることにしました。
理由は、おしゃれなレシピが中心だったから。
私はそのとき、
割烹着を来たお母さん方のような先生に
普通の家庭料理を教えてもらえると
思い込んでいたんですね。
実家の母が家事ができない人だったので
私たち娘は、家庭料理というものを
知らずに大きくなったんです。
ただ、日常から玄人が作る料理に触れる機会が
多かったので、それは有難いようでいて、逆に、
家庭料理のことがあまり分からなかったのです。
自分たち娘は、ろくに家庭料理が作れない
と思っていました。
懐石料理のお店で
包丁の磨ぎ方から教わって、だしの引き方、
材料の仕込みの仕方や、
料理の基本を習っても
家庭料理が分からない、というのは
漠然と、もやっとした不安感がありました。
本当の料理とは、家庭の料理なんだ、と
疑いませんでしたから、
昔、料理人の○○君に習えば?と
父から言われても
いやいや、そうじゃなくて…と思っていました。
そこで、父の本棚にあった岡倉天心の
『茶の本』という本を勧められて、
いやいや、これも違うねん、と思いながらも
読んでいたら、これがわりと面白く
「では、露伴の娘は?」との勧めで
そこからは、幸田露伴の娘・幸田文の著書を
読むようになりました。
幸田文は、父・露伴が亡くなる時期になってから
書き始めた遅咲きの作家で
病弱だった継母に代わって、子供の頃から
露伴に家事一切を厳しくしつけられた人です。
文の、露伴に鍛えられた美意識と、
暮らし方の知恵が盛り込まれた随筆は
懐かしいような、また新しいかのような、
何とも言えない郷愁を感じました。
文章全体のキリッと澄んだ空気や、
心根の優しさ、前向きなひたむきさに引かれて
私は元気を失くしたときに、大切に読みました。
和服をきるのには、上前下前(うわまえしたまえ)をかき合わせて着ます。あれは自分を大事にして、いとおしむ形だとおもいます。
いつも、着物が私を大事にしてくれるな、
といった感じがして私は着ているんです。
(幸田文「振り袖を買う」より)
幸田露伴は、小説家・評論家でありながら
文学博士・学士院会員・芸術院会員・文化勲章と
大変な才能の人で
死去に際し「国葬」の声も上がったと言われ
そんな人の娘でいたことは
さぞかし苦労が多かったと思います。
作家の向田邦子の実家でも
お客さんの出入りのある家で、
姉妹がやたら料理するという習慣だったようです。
娘たちは、とにかく慌ただしい台所仕事です。
古い風習の残る地域では、
今でもそうかもしれません。
向田邦子の脚本は、お漬け物の中身ひとつでも
細かく描写されていて
撮影の際に用意する『消えもの』では
食事シーンの細部すべてにこだわる指定ぶり
だった、と言われていました。
作品に込めた空気が、料理をする人のものだと
すぐにわかる文章でしたから、
当然、向田邦子の料理を目当てに読む人も
多かったのではないかと思います。
指先が凍えるような、冬の寒い時期に
私が柴漬けや、聖護院かぶらの千枚漬けを
大きな樽から取り出す際、
幸田文や、向田邦子の文章を思い出すのは
そんな理由からなのかもしれないです。
音楽家の食べるもの
古今東西に関わらず、
世界中の作家たちの書く食事風景は
作家の気風や時代が、色濃くあらわれるシーン
ですから、とても好きなんです。
どんな作家でも、たいていは
食べ物の描写が出てきますから
その国の風土や、地域の風習や、
人の生活がよく見て取れます。
作曲家・武満徹の書く物には、料理の記述が
出てくるときがあるのですが
特に晩年の著書に、丁寧なレシピが登場します。
病気がちで食が細かった武満さんの、
渾身の手書きレシピは、とても可愛らしいのです。
ストラヴィンスキーにいち早く才能を見抜かれた
武満徹は、日本的な音や雅楽を世界に広めました。ある音楽名鑑ではモーツァルトの次に配列される
ような日本が誇る作曲家なのですが、
優しいギターの楽曲や編曲も白眉です。
画家や詩人、作家たちが集まる『実験工房』を
結成したのが20代の年齢。
当時のこの若手芸術家集団が、
錚々たる顔ぶれなんですが
私はこの集団のことを知ったのが
武満徹からでした。
中心人物だった詩人の瀧口修造や、
作曲家の湯浅譲二、他には
造形作家、版画家、美術家、評論家らが
席を占めています。
後に、この集団に関係してくる大江健三郎や
谷川俊太郎、小澤征爾は、特に武満徹から
大変な芸術的影響を受けています。
娘さんの武満真樹さんは
洋画字幕の翻訳家をしていましたが、
現在はクラシック音楽専門チャンネル
クラシカ・ジャパンの副社長を務めています。
武満徹の著書には、まだ可愛らしい子供時代の
真樹さんが度々登場しており
父である武満さんの愛情が
あまりに自然で、深く大きいのです。
『鯨のような優雅で頑健な肉体(からだ)をもち
西も東もない海を泳ぎたい。 』
クラシック音楽は西欧だけの音楽であった時代に
東西を繋ぐ作品を作ってきた作曲家・武満徹の
有名な言葉です。
体の弱かった武満さんが望んだ、
頑健な肉体を持つ鯨のようになりたいという文。
それも、ゆったりと泳ぐ、優雅な鯨です。
「西も東もない海を泳ぎたい」と覚書ノートにも
イラストと共に、手書きで綴られていました。
小さく華奢な体で病気がちな人だったけれど
ゆったりとした鯨になりたいと願い、
壮大な音世界を作り出した稀有な精神力の人。
私は自分がつらいときに、これらを読んで
励みにしていました。
作家や芸術家の仕事は、こんなにも
人を勇気づける。このことが私には衝撃的でした。
あの頃の新鮮な感覚を、今も大切に思っています。
世の小さいこだわりを捨てて
誰かのために懸命になるというのは
こういうことなのだな、
同時に、なんて苦しいことか、
仮に同じ状況下だったとしても
自分にはとても出来そうにない、
と思ったものでした。
劇団四季出身の妻・浅香さんは料理上手で
武満徹とは親友のような夫婦関係でした。
武満徹の覚書ノートにあった、
可愛いイラスト付きのお料理レシピは
妻・浅香さんの作る料理が多いのですが
いろんな難しいことを忘れてそれらを見ていると
いつも私は幸せな気分になるのです。
『家のお手伝い』というけど
そのわりに大仕事
娘とは、親が自由に使う将棋の駒みたいなもの。
それが当たり前だった時代がありました。
そんなことを言ってしまうと、まるで
時代劇の世界のようですけれども、
20年ほど前には
まだ一部に存在していた価値観です。
なんとなく私たち娘も
お客さんに気持ちよく過ごしてもらうことや
料理を喜んでもらうことに
大きな責任を感じていて、
父の立場もそれで守られるという風に
感じてもいました。
父からは、特にうるさく言われていたわけでは
なかったのですが
とにかく品がないことを嫌う人でした。
父は京都の西陣織の稼業を継がずに、弟に任せ、
別の新しい分野で独立した人でしたが、
それでも古いしきたりを大切にしている所があり
質素な美しさを好む人でした。
父からは、けなされた記憶はあまりありませんが
あれは良かった、と誉めてくれることが
時々ありました。
父は、欧米型のつきあい方をする職業だったので
自分の家族みんなを仕事仲間に紹介していて
「お陰様で娘三人がこのように大きくなりました」
と、こうして毎年交流がある度に
お客さんに引き合わせることをしていました。
それはある意味、
日本的なやり方でもあったとは思いますが
独立して屋号を持って仕事をするということは
お客さんを、家族総出でおもてなしをする、
ということでもありますから、
お客さん方には気持ちよく過ごしてもらい、
好物の料理をお出しすることにおいて
「娘たちなりに責任を感じる」
というのが、自然な流れになるわけです。
そして、仕事上の大事な話もあると思いますので
娘たちは黒子となって、
お客さんと父をそっとしておくことで
空気を壊さないように気をつけていました。
つまり、決して気安くないのです。
お客さんに親しみはあるけれど、気安くない。
私は実際に割烹着を着たことはないのですが、
例えるなら、その雰囲気は、
糊のきいた割烹着のようなものです。
西欧風の、シワに味わいのある、くたっとした
リネンのエプロンとは違って、
張りのある真っ白な割烹着のようなもてなし方は
どこかしら、しんどい感覚がありました。
お客さんにはリラックスしてもらうのだけど、
私は、なんとなく胃が痛くなるような
居心地の悪さをも感じていました。
もちろん、お客さんに喜んでいただけるのは
私にとっても清々しく、心から嬉しいことです。
ただ、オリンピックで「おもてなし」
という言葉が流行ったとき
日本人が持つ捨て身の献身ぶりに
少々複雑な気持ちを抱きました。
たぶん欧米では、ゲストを迎える側も
リラックスしていて
お客さんにも気を遣わせないもてなし方を
するのかもしれません。
この部分は、欧米と日本のもてなし方の、
大きな違いなのかな、と思います。
家のお手伝いといっても、
ちょっとした手伝いでは済まないことが多いのを
思うと、中心となって台所仕事を担う主婦の人は
恐ろしく忙しいです。
よくあんなことができるな、と思います。
今も民宿や、農家さんや、漁師さんの子供たちは
まだ暗い時間帯の早朝から
たくさんお手伝いをするんじゃないでしょうか。
私は、料理をしなくてもよい環境ならば、
なんにもやらなかったかもしれません。
今も、自分のためだけなら、あまり作らないです。どうやって手軽にしようかばかり考えています。
うちは、シュウマイなら手作りしますが
今では餃子は、市販の冷凍餃子です。
夫婦二人分だし、沢山食べられないので
いつの間にか、そうなりました。
シュウマイは短時間で簡単に作れますが、
餃子の方が下ごしらえは大変です。
「キャベツか白菜は、大量に刻んで
塩でしんなりさせ、水分をきつく絞る」
という作業が、力も必要だし、手間なのです。
握力が弱々だと、これがしんどいんですよね。
食べるのは、一瞬なんですが。
今は、便利なものがたくさん売られているので
どんどん使えばいいんじゃないでしょうか。
市販品を使うのは、罪悪感があるとか
よく聞きますけれど
日本の食料品の企業努力って凄いですから
ありがとう、という気持ちで使いますよ、私は。
ちなみに家人は、私の手料理が続くと
ときどきカップラーメンを食べたがります。
私は罪悪感なしに、どーぞどーぞと
カップ麺を差し出します。
そして、私の大好物は、桃の缶詰め。
備蓄品としてフルーツ缶を買ってあります。
備蓄処理するために、定期的に桃缶を食べるんで
すが、昭和の味の桃缶を開けるときは
いまだに、とても幸せな気分なんです。
みなさんも、桃缶、お好きですか?
冷凍食品の餃子。
お昼に、簡単でいいです。
おにぎりをよく作るけど、たまに
カニかまを使って、お寿司も作ります。
カニかま堂々と出しますよ!
夜食とか、うどんのお供に。
ちょっと、ここまで、さらけ出していいものか。
出張の日の家人のお弁当で、余り物を利用。
自分専用、のっけごはんのお弁当です。
ちくわを磯辺揚げにして、
きゃらぶきの佃煮、
ブラックオリーブ、
枝豆。
オリーブの実や枝豆を、白いごはんに乗せるのが
大好きなんですけど
みなさんは、やったことありませんか?
もともとは、黒オリーブの実をたくさん入れた
ピラフを、クリスマスに作っていたんですが
(これが、スープストックを使った禁断の味でして。)
最近、少量でお安いパック詰めのオリーブの実の
オイル漬けが売ってますよね。
刻んであるやつです。
オリーブの実は、旨みもあるし
少しの塩気があるので
梅干し代わりにご飯にのせます。
オリーブの実と枝豆をのせた、白いごはん。
皆さんにも、ぜひ一度やってみて頂きたいです。
枝豆は、冷凍のゆで枝豆でいいです。
冷凍の枝豆、すごいですよね、よく出来てます!
ザーサイを刻んで、レタスと和えただけ。
ごま油を少しかけます。
ザーサイは常備しておくと便利ですね。
十分、人様にも出せる一品です。
(たぶん大丈夫。)
スライスチーズのお煎餅
スライスチーズ1枚を、小皿にオーブンシートを
敷いてから乗せ、ラップなしで
レンジ 600W、1分半加熱したもの。
出来上がりが早くて失敗なし。
1枚づつ作った方が、やりやすいです。
フライパンで、水分が飛ぶまで焼く人も
おられますよね。
どちらも上手く出来ますが、レンジで作る方が
楽かもしれません。
完全にパリパリです。
チンしたオーブンシートでそのまま折り畳み収納。
私はすぐ料理に使うけれど、
更にポリ袋に入れて、冷蔵庫で保存できるはず。
でも、1分半で出来るから、
作り置きにする必要もないです。
うちは和食ばかりで、粉チーズを常備してないの
で、このオーブンシートで包んだままのチーズを
麺棒で静かに押し潰すようにして粉々にし、
粉チーズ代わりにもします。
グラスの底面でも押し潰せます。
粉チーズを買っても使いきれない、
スライスチーズならある、という方にお勧めです。
うちは、朝はサンドイッチを作るので
スライスチーズなら冷蔵庫にあるんです。
ビールのおつまみに、そのまま食べてもいいし、
大まかに割って、トッピングにも使えます。
カルシウムが取れるし
子供さんのおやつにいいです。
チーズ煎餅は、適当に手で割って
スープのクルトン代わりに浮かべたり、
細かく潰して粉チーズにしたら
シーザーサラダのトッピングにできます。
レアチーズケーキの上に振りかけると、粉チーズ
の塩気や風味が生きてきます。
でも、ベイクドチーズケーキでは、
レアチーズケーキほど相性は良くありません。
レンジで作ったチーズ煎餅の粉チーズは
市販の粉チーズよりも、香ばしい香りがします。
グラタンの表面にかけたいときには、
グラタンを焼いた後にしてください。
先に振りかけてから焼くと、焦げ過ぎます。
よろしければ一度、お試しになってみてください。
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