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読書感想文を書く意味とは何か|宿題を提出しなかった大人の後悔

2020年8月26日

学生では無いので詳しくはありませんが、新型コロナウイルス騒動により、通常よりも遅れて小・中・高校生も夏休みが始まったようですね。テレビのニュースを見ていると、夏休みの宿題では定番とも言える「読書感想文」はなぜ必要なのかというテーマが放送されていました。

テレビでインタビューを受けている小中学生はもちろんのこと、課題を出している先生も「読書感想文」の意義を理解していないようです。私の学生時代も彼らと同様「読書感想文」の必要性を理解しておらず、劣等生だった私は夏休みの課題を一度も提出せずに大人になってしまいました。

この記事では「読書感想文」をはじめ、夏休みの宿題を全くやらずに30歳まで生きてきた私が考える「読書感想文」を書く意味(「読書感想文」を真面目に書いて生きてきたら得られたであろう能力)を書きたいと思います。

ここに書くのはあくまで私の個人的な考えですが、お子さんに「読書感想文」を書く意味について説明できずに困っている親御さんはこの記事を参考にしてみてください。

このnoteを読破すると「読書感想文」は愚か「作文」を書かずに成人する弊害を認識することができるので、よろしかったら最後までお目通しください。

正しい文章を書く力

「読書感想文」を書く事で得られる能力の1つめは、正しい文章を書く能力でしょう。活字に触れ、インプットした内容を自身の言葉でアウトプットし、第三者からのフィードバックを受けてブラッシュアップする事によって得られる「正しい日本語の文章を書く能力」は、私のように学生時代は劣等生だった人間にこそもっとも必要なものと考えています。

令和の時代は誰でも簡単に自分のウェブサイトを持つことができたり、個人の専門的知識を文章にして書き出すことで収益を得られる時代です。様々なジャンルの突出した専門知識×文章力×インターネット環境があれば「好きな事を仕事にする」事の難易度は高くありません。

ちゃんとした文章さえかければ好きなことを仕事にできる社会だというのに、私自身もそうでしたが、簡単な日本語の文章を書けない大人が意外と多いという事を皆様はご存知でしょうか。

例えば「インターネットは便利だけれど、誰にでも扱える」のように「接続」の使い方が破茶滅茶であったり、「詳しい詳細」のような「重言」を平然と使ってしまう。このようなエラーは音声以外で思考をアウトプットする経験の少なかった人によく見られます。

対面の会話では、アイコンタクト・その場の雰囲気・文脈など、意思疎通を補助するツールが多々あるので、なんとなく伝わる場合がほとんどです。また、日常生活において友人から日本語の使い方について指摘をされる事もほとんどないでしょう。そのため、意図的に正しい日本語をアウトプットして来なかった人は、"雑"な言葉使いが正されないまま大人になってしまいます。

そして、時間的にも体力的にも学生時代より余裕のなくなった20代後半や30代の大人になってから文章力を向上させるのは非常に困難です。不可能とは言いませんが、相当の努力が必要でしょう。少なくとも小銭稼ぎをモチベーションに修正できる欠点ではありません。

読書感想文における添削のポイントは「あなたの感想に対する人間性」ではなく「日本語のルールや言葉遣い」です。読書感想文だけでなく作文全体に言える事ですが、読書感想文を書く事で訓練できる能力の一つとして「正しい文章を書く力」があるでしょう。

感情を客体化する力

「読書感想文」を書く事で得られる能力の2つめは、感情を客体化する力です。読書によるインプットとアウトプットをせずに大人になると、表現力が失われて「嬉しい」「ムカつく」「悲しい」「楽しい」「面白い」「つまらない」でしか自分の感情を表現できなくなります。

「正しい文章を書く力」は自己表現と収入といった観点で便利な能力でした。一方、「感情を客体化する力」は豊かな人生を送るために便利な能力だと私は考えます。

例えば映画を見て「面白かった」と感じる時、映画の何がどのように「面白かった」のかを考える。「面白い」とは、チョビヒゲのアクターが3度転んで会場が笑いに包まれた事をいうのか、人間がトライアンドエラーを繰り返して月にたどり着いた時の涙をいうのか。この表現を引き出すのが教員によるフィードバックの役割だと思います。

私が小学校低学年で「読書感想文」を書かなくなった理由の一つに「私の感想に先生の指導が入るなんておかしい」という考えがありました。「面白かったです」で私の感想は終わりのはずなのに「文字数が足りないからもっと書け」とだけ言われても困る。

過去の自分の人間性を棚に上げて話すと、親でも先生でも、この「もっと書け」の指導の仕方で子供の「読書感想文」に対する理解度とモチベーションは大きく変わるでしょう。「何が」「どのような文脈で」「どのようにしたことが」「どうして」面白かったのかを問いかけるだけで、400字の原稿用紙などすぐに埋まりますからね。夏休み明けに40人の生徒の宿題を見る先生の労力を考えると、難しいことだとは思いますが......。

「読書感想文」を書き、適切なフィードバックをもらう事で、「主観的かつ抽象的な感情を客観的かつ具体的な文章に変換する力」を得られます。

長文を読む力

「読書感想文」を書く事で得られる能力の3つめは、長文を読む力です。読ませる文章を書けなかった私の課題でもあると思いますが、この4000文字弱の文章ですら、ここまで読めていない大人は少なくは無いはずです。

私の学生時代(約15年前)、児童文学・純文学・評論・ビジネス書・自伝などを読みきること自体が苦手でした。なんなら今でも読書量は1ヶ月に3冊程度なので、別に得意ではありません。文化庁の「国語に関する世論調査」によると、それでも社会人の中では相対的に読書量を担保できている方と言われていますが。

もちろん、読む本のジャンルによって得られる知見は異なりますが、読書によって長文を読む力が培われていくのは間違いないでしょう。「読書感想文」を書くためには少なからず書籍を読む必要があるので、日頃読書をしない子にとっては、書籍に触れて長文を読む力を得るチャンスと言えます。

長文を読めるようになるメリットは、単に物語を楽しむことができるだけでなく、日常会話や仕事においても文脈や背景を意識して読み解けるようになることです。

物事の文脈や構造を意識するようになる前の私もそうでしたが、長文を読めない人は、日常の会話や仕事でも文脈や背景を意識して読み解く事が苦手な印象です。大きな課題を分解して解決する力、小さな課題を解決する際に全体最適化する力。社会人として多少なりとも頭脳を使った仕事をするのであれば、どちらも必須の能力です。

これが無いと、断片的な情報に対して少ない知識を勝手に保管し、反射的なアンサーを出すようになります。例えば、「日経平均株価が下がりました」という13文字を見て、なんの脈絡もなく「不景気だ!国はなんとかしろ!」と怒りを顕にする人を見たら......。

「読書感想文」を書くにはとにかく書籍を読む必要があります。これによって得られる能力が「長文を読む力」です。学生だけでなく、社会人にも読書はおすすめします。コスパの良い趣味ですよ!

宿題を提出しなかった大人の後悔

夏休みの宿題として「読書感想文」を書かずに大人になってしまった私の体験から考える読書感想文を書く意味(読書感想文を書く事で得られる能力)は、

・正しい文章を書く力
・感情を客体化する力
・長文を読む力

でした。WEBライターとして約7年間文章を書き続けてきた私が学生時代を振り返り、「読書感想文」や「作文」を真面目に書いて生きてきていたら、ライターとして後から独学で得たこれらの能力はひょっとしたら培われていたかもしれない大事な項目です。

私自身も様々な情報をインプットし、執筆という形でアウトプットを繰り返してきましたし、数百人の未経験からライターを志望する人間とも関わってきました。その中で実感した事ですが、大人になってから「正しい文章を書く力」「感情を客体化する力」「長文を読む力」を得る事は相当難しいです。

教員のFBを得ながらこの3点を同時に訓練できる事が「読書感想文」を書く意味だと、現代を生きる学生に伝えられたら嬉しいです。

最後に。冒頭で伝えた

このnoteを読破すると「読書感想文」は愚か「作文」を書かずに成人する弊害を認識することができるので、よろしかったら最後までお目通しください。

についてですが、ここまで読んで下さった方は感じとってくれたかもしれません。成人するまで全く文章を書かずに生きてきた人間が7年以上、独学で知識をインプットしながら文章を書き続けても、この記事程度の文章しか書けないという事です。

若いうちにやるべき事やっておけばよかったと後悔しています。

それでは。良い読書感想文ライフを。

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