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第1回 社長の道って戻れない一方通行?


第1回目の講義をはじめましょう。

入学式で、払っても、払わなくても入学できる入学金(8万円+税)の話をしました。
入学金が納められたという報告は、この原稿を書いている段階では、まだ入っていません。納めてくださる聖人学生は登場するのか? 今後の動向を、高い緊張感をもって注視していきましょう。

なにより大切なことは、たくさんの学生さんに学んでもらうことです。社長をヤメる大学で学べる内容は、社長の必須科目と言えるものです。すべての日本の社長と、すべてのこれからの社長が押さえておいたほうがいいコンテンツです。

ヤメ大の学生が増えたら、楽しい未来が待っているかもしれません。
例えば、日本で一番学生が多い大学は、日本大学の7万人弱です。でも、日本の社長は275万人もいます。日本における最大学閥を狙える十分な母数がありますね。1割が入学するだけで、27万人です! 
こうなれば規模のパワーができるので、政策に口を出したりできるようになるかもしれません。

私には、全国各地で同窓会が開催されて、ヤメ大OBたちが肩を組んで校歌を熱唱する姿までもうイメージできています。
ぜひ、学生が増えるよう皆さんのお力も貸してください。記事のシェアお願いします!

経営者としての私の挫折とリセット体験



入学説明会で学長の奥村が何者なのかお伝えするのを忘れていました。うっかりしておりました。今日はこのあたりからヤメ大の目指す方向性に話を展開できればと思います。
ただし、話はいつも流動的です。どの方向に進むか分からないし、それがいいと思っています。

私、奥村聡は、事業承継デザイナーという肩書を勝手に作って名乗っています。
ある人は私のことを「事業承継の専門家だ」と評します。また別の人は「会社をたたむ人」だと言ったりします。事実、私は両方の仕事をやっています。さらには、社長の相続といった死に関することまでこなしています。

それにしても、事業承継と会社をたたむのでは、真逆の話だと思いませんか。会社の命をつなぐ行動と、会社の命を絶つ行動です。辻褄が合わないことをやっているように思われてしまうかもしれません。

しかし、私の中ではそこに矛盾はありません。事業承継と廃業の両方扱うのは自然な流れです。事業承継と廃業の間に一線を画そうとするのは誤った考え方でもあります。このあたりの事柄は、次回の講義あたりでお話することになるでしょう。
さらに私の『仕事をする目的』まで掘り下げれば、事業承継と廃業を両方扱う理由が当然のこととなるはずです。

私の仕事の目的は「社長に上手く社長をやめてもらうこと」だからです。

誰かに会社を継がせて、自分は社長をやめる。
会社をたたんで社長をやめる。
事業承継であっても、廃業であっても、私にとっては社長を退任するための手段でしかないのです。
社長も周囲の人間も「会社をどうするか?」とばかり考えがちです。でも思考の主軸を「社長が社長をやめる」という点に置くことが、実はポイントになります。このあたりもいずれまた深くお話しする機会があるでしょう。


事業を拡大させて苦しくなる・・・



「社長を無事に、納得してやめてもらう」
そのためのガイド役を担うというテーマで仕事を行い、これまで1000件以上の相談を受けてきました。相談をお受けするため、北海道から沖縄の宮古島まで行ったことがあります。

私のような専門家はユニークなようで、本も出させていただいたし、NHKスペシャル『大廃業時代』では私の仕事ぶりをかなり大きく取り上げてもらえました。
放映終了後は山のように依頼や相談のメールが寄せられました。やっぱりNHKの影響力はすさまじいですね。NHKに代わって、受信料のお支払いを呼び掛けたいと思います。


ふりかえると、私がこの世界で仕事をするようになった2つの大きなきっかけがあるように思います。
ひとつは、自分で作った司法書士事務所を他者に事業譲渡したこと。もうひとつは、祖父の家業の倒産です。

大学を出て社会人になった私は、たった1年で最初に務めた会社を辞めました。そこから資格を取り、26歳の時に司法書士事務所を立ち上げました。
自己破産や債務整理の仕事にはじまり、相続ワンストップサービス、会社分割を使ったコンサルティングなどと、当時としては最前線の取り組みをしていたと思います。

「事務所を大きくしてやろう」という拡大志向があり、6年くらいで東京池袋と埼玉川越に2店舗、計15人ほどのスタッフを抱えるまでに至りました。

はためには上手くやっているように映ったかもしれません。しかし、事務所の拡大に向けてアクセルを踏むことは、苦しい現実をさらに加速させることだったのです。

スタッフの人数が増えると、代表の私は現場の仕事を受け持つことがなくなり、マネジメントがその役割となっていました。その中でも重要な仕事が、スタッフがやらかしたクレームの処理です。

本当にスタッフが増えれば増えるほどに、どんどんミスが増え、利益は減りました。そのために奥村はより疲弊させられるという悪循環に陥りました。

私はこんな思いをしてまで事務所経営がしたかったのでしょうか。
そもそも、組織作りに向いている性格ではなかったようです。そんなことははじめる前からわかったはずです。なのになんで事務所の拡大を目指してしまったのか・・・

結局、世間一般の価値観に流されただけなのです。(船〇総研の話に乗せられてしまった面もあります) 確固たる哲学や戦略もなく、ただ“なんとなく”で事務所を拡大してしまっただけなのです。事業は大きくすべきだという常識を鵜吞みにし、事務所を大きくして威張りたいという見栄に引っ張られたわけです。本当に情けない。

自分の持ち味を自分でわかっておくこと、そして自分の持ち味から導きだされた目的やビジョンを持って仕事をすることの大切さは、後になってようやくわかりました。このあたりは人生を良くするための必須条件ですし、ヤメ大のテーマたる社長の終末にも密接に関連しています。


突然の解散宣言

ストレスの限界まで達した私は、あるとき事務所を解散しようと思い立ちました。
目の前で電話を受けている女性スタッフの様子を眺めながら「あー、またクレームの電話だな」と思った瞬間、「もう終わりだ!」と心の声が叫びました。その日のうちに全スタッフを集めて事務所の解散を宣言したのです。

後先考えることもなく、ただやめることだけを決めました。時間をかけて悩んで決めたわけでなく、衝動的でした。
しかし、それ以外はなかったようにも思います。やめなければ、自分の心が壊れたでしょう。状況をリセットしたい一心です。義務感だけで事務所を続けて自分の人生を奪われたくはありません。

私から「事務所を解散する」と突然聞いたスタッフは、目を丸くして言葉を失っていました。後日、続けてほしいという懇願もありましたが、私は決断を変えることはありません。私にとって、スタッフのために事務所を続けるという価値観はないのです。

こんなことを書いていると、自分は本当にわがままで、冷たいやつだと思います。私のとこに相談に来られる、廃業を検討している社長さんなんて「スタッフのために会社をたためない(たたむべきではない)」と、心底悩んでいらっしゃるわけですから。

ただそこには、見てきたものの違いから生まれる差がある気がします。私はその時すでに、自分でできないことで悩み苦しむクライアント、できない無理をして自分の首を絞めた人をあまりにたくさん見ていました。そして「人は他者の人生まで背負えない」という確信に至っていたはずです。

業績が悪く、今にもつぶれそうな会社なのに「社員の生活のために会社を残さないといけない」という言う社長がいたりします。でもやっぱり、どんなに悩み、どんなに願ったところでどうにもならないのです。事実をフラットに見つめたうえで、ある種の割り切りや線引きが必要となるのでしょう。


「まじ!?」会社をたたむのってこんなに大変・・



私はとにかく、やりなおしたい一心でした。
事務所をたたむことは決断していたので、次に実現方法を考えはじめました。
たとえば、お客さんに、どう言えばいいか。うちの事務所を信じ、期待して仕事の依頼をしてくれた方々です。その思いを裏切るようで、さすがの私も責められるような気持ちになりました。

事務所の賃貸借契約もしなければいけません。契約書を見直したら、解除は半年前に言わないといけません。(半年は家賃を払い続ける覚悟をしないといけないのか・・・) 
ただでさえ銀行から借金が残っているのに、部屋をスケルトンにするのにもお金がかかります。

予想外に金はかかるし、考えはじめると気になることだらけ。どんどん気が重たくなっていきます。でも抗うことはできません。激流におし流されていくような状況です。


思わぬ救いの手でM&Aへ


ところが、幸運が訪れます。
廃業を決定して数日後、たまたま同業他社の大手事務所のトップと会うことがありました。もう事務所をたたむことにしたと話をしたところ、「奥村さんもったいないよ。だったらウチで買わせてよ!」と。こうして事務所を引き継いでもらえることになったのです。

自分で立ち上げた事業を無に戻すという流れが一転、他者への事業承継へと切り替わりました。「費用をかけて事務所を閉じなければいけない」「事務所を閉じても借金が残ってしまう」と思っていたのに、お小遣いまでもらえることになりました。これはありがたかった。


事業譲渡後、買い手の事務所から「奥村さんのところにいたスタッフは本当に優秀だね」と言われました。

買い手の事務所は大規模で、社内の仕組みがかなり構築されていました。いわゆるマニュアル化ができていました。
一方、当初のウチの事務所は、仕事のマニュアルなんて無いに等しいものがありました。スタッフからすれば、やったことない新しい仕事がバンバン振られるし、上司は面倒を見てくれません。良く言えば仕事をまかせていたし、悪く言えば“ほったらかし”です。そんな環境だから、人材としては育ったんでしょうね。


社長をやめるためには破産しかない?



奥村の手掛けていた事業は、事業譲渡というM&Aの一種で、決着をつけることができました。事務所が売れたという自慢話をしたかったわけではありません。むしろ逆。かなり情けない話だと思っております。

結果は“たまたま”でしかありません。“たまたま”に救ってもらえただけです。

まずもって、かなり危険な状況でした。
たとえば、もし私が設備投資の大きい製造業や、商品を仕入れて大量の在庫を抱えなければいけないような業種をやっていたら、どんなことになっていたでしょうか。
会社をやめる決断をするためには、残った借金で破産することまで覚悟しなければいけなかった可能性があります。

私が、やめたいと思ったときにやめられたのは、私の事業が大きな負債等を抱えなくても済むものだったという面は間違いなくあります。
あの時の状況を振り返えると、首筋に冷たいものを感じます。

社長をやめる時は必ずくる


私は事業譲渡をするまで、会社をたたむとき、社長をおりるときがくるなんて、まったく考えていなかったことを告白しましょう。
奥村は法律事務を事業としていたので、普通の状況とはかなり違います。社長の退任や会社の閉鎖なんて話はたくさん見聞きしていました。なのに、です。自分に置き換えて考えることができていなかたったとは、お恥ずかしいかぎりです。

社長には、必ず社長をやめる時がきます。私のように途中で嫌になってやめる人もいれば、経営破綻等で会社を続けられなく人もいます。自身の年齢等を考慮して、後進にバトンを譲って退く人もいます。
いずれにしても、誰もが皆、やめる時がくるのです。

たとえ「俺は生涯現役だ」と反論したところで、その人にだって命には限りがあるのだから、やっぱり永遠に社長でいることはできません。
まずは、絶対的な事実として、すべての社長におわりがくることを確認しておきましょう。

社長をやめる道を開拓


次に、やめるための備えです。
100パーセント社長のおわりはやってくる。であれば、そのときを想定して準備もしておくのが当然ということになるでしょう。

しかし、かつての私を含め、それをできている人は皆無です。

私は自分の会社のリセット体験で、いつでも「社長をやめるときを想定しておかなければいけない」と痛感しました。この時の気づきが、今の仕事につながっています。ヤメ大が目指すものもここにあります。社長をやめたくなった時、あるいは、やめざるを得なくなったとき、いつでも状況をリセットできるような準備が必要なのです。いつ何が起きるかわかりません。

中小企業の社長には、続ければ続けるほどにやめられなくという傾向があります。世間の常識であったり、連帯保証等の法律、責任、他者との関係性などが、社長を会社に縛り付け、逃げ場を奪います。

社長が自由に会社をやめられないということは、会社の奴隷とかわりません。辛辣な言い方ですが、こんな状況になっている社長は案外たくさんいます。本音では「会社をやめたいのに、やめられない・・・」と。
(こんな弱音もオープンに表に出せるような場があるといいですね)

出口のところに対し無意識でいるか、意識的にいられるか。この差は、とんでもなく大きなものとなるでしょう。
社長になることが、戻ることができない一方通行であってはいけません。帰りをいつも意識し、道を開拓しておいてほしいのです。

本学が「社長をやめる道」を世に示すことで、おわりの不幸を減らすことができます。地域経済の風通しの良さにもつながるはずです。
ヤメ大は、制度や法律、借金、世間の常識などの自由を奪おうとするものからの社長の開放を試みます。


今日の講義はこれくらいにしておきましょう。
第一回目なので、浅めのところで切り上げます。
今回は宿題はありません。


《事務局からの連絡》

① 入学金の納付手続きについて

入学金の納付は、リンク先のシステムで決済してください。
 → 入学金決済システムへ

②次回の講義

次回の講義は「2024年1月26日(金)」にアップする予定です。
ぜひ、著者のフォロー等しておいてください。
記事のシェアの協力もお願いいたします。




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