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文章がここへ連れてきた

本業も副業も、同郷の仲間との有志活動も、やっていることはすべて編集・ライター。ほとんど毎日のように、誰かに取材したり、自ら原稿を書いたり、誰かが書いてくれた原稿を読ませてもらったりしている。基本的には楽しい毎日だが、自宅や喫茶店で原稿作業をしていると、休憩時などにふと「どうしてこうなった?」との思いが頭をよぎることがある。

これはネガティブな感情ではなく、「自分の人生、全然予想していなかった方向に転がっていってるな」というおかしさから来ている。ようやく10年目に入った社会人生活では常に何かを書き続けてきて、書き続けているうちに気付いたら現在地に立っていた。人生面白い。

名著『読みたいことを、書けばいい』の著者・田中泰延さんの文章に「文字がここへ連れてきた」というコラムがある。ざっくり要約すると、Twitterに投稿していた映画感想を読んだwebメディアの編集長からオファーを受けて長文の映画評論を書き続けているうちに、様々な人との出会いがあり思いもしなかった経験をしていた、という内容。素敵な文章なのでぜひ元のコラムを読んでみてほしい。

書き続けることで新しい場所へ

書き続けているうちに思いもよらぬ場所にいた、ということを私自身も現在進行形で体験している。

書くことは日常動作に近い。前職では仕事として毎日のように何かしらの文章を書いていて、そして上司からたくさん文章を直された。特に新人の頃は文章の巧拙を考える余裕はほとんどなく、とにかく目の前の仕事をなんとかするだけで精一杯だった。

そんな生活を何年か続けているうちに、いつしかある程度、取材や執筆の力が身についていた。それらが得意になったというよりは、やっていて苦にならなくなったと表現するほうが実感に近い。要は慣れたのだ。

2年とちょっと前の転職後も引き続き編集職だったため、仕事として取材や執筆の機会はあったものの、あくまでも仕事であり自分の好きなことを書けるわけではなかった。新しい仕事に打ち込みつつ、「自分の好きなことを書く場がほしい」という欲もじわじわ高まっていった。ブログでも始めてみようか――と考えていたある日、私より先に辞めた前職時代の先輩から上野に呼び出された。

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その夜のことはあまり覚えていない。翌朝に二日酔い気味で目覚めると、先輩とその仲間が運用しているwebサイトでライターをすることになっていた。記事を書くだけならまあいいかと思っていたら、その後編集もやることになった。正直に言えば最初は若干の面倒くささを感じたが、編集作業を繰り返すうちにどんどん楽しくなっていった。いまはwebサイトの編集も全く苦にならない。むしろ取材や執筆より楽しんでいるかもしれない。

webサイトに記事を書き続けているうちに、様々な人との出会いがあり、これまでに経験のなかったタイプの文章を書く機会に何度も恵まれた。スケールの大きな取材もできたし、難しい案件に取り組むなかで「書き手として壁を越えた」と感じた瞬間がこの2年間で少なくとも3度はあった。得難い経験ばかりさせてもらい感謝している。

そんな活動を続けていたら今度は副業をやることになっていた。オンラインでお酒を飲みながら先輩からふわっとした打診を受け、酒席でのジョークかと思い承諾したらなんと現実の話だった。私の知らない間に具体的な話がどんどん進んでいてびっくりした。

本業の上司に恐る恐る相談したところ、予想以上にトントン拍子で話が進み、すんなりOKが出た。知見を広め経験を積むことを目的として挙げたためか(もちろん嘘はない)、ネガティブな反応はなかった。柔軟に対応してくれた職場には感謝しかない。

副業を通じて、これまでとはまた異なる景色が見え始めている。経験がなかったジャンルの仕事だし、内容自体も面白い。それに個人として仕事を受ける難しさは、やってみなければわからなかっただろう。本業にも生かせる貴重な経験ばかりだ。

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「良い言葉」で文章を

いま、20代の私が想像もしていなかった場所にいる。周りの人に巻き込まれたり依頼を受けたりしながら、書き続けてきたらこうなっていた。どれかひとつでも断っていたら、いまこの場所にはいなかっただろう。

20代後半の一時期は、書くことの意義を理解して日々の仕事に全力を尽くしながらも、同時に「自分には書くことしかできない」という諦念も抱いていた。仕事において何か特技と言えそうなことはそれしか見当たらず(実際はそんなこともなかったのだが、悲観的になっていて気付けなかった)、それが社会人として劣っていることのように感じられた時期があった。早朝から深夜まで働く生活で新たなことを勉強する気力がわかない日も多く、「詰んでるじゃん」と苦笑いするしかなかった。

30代に入った現在、その諦念はもう存在しない。以前よりは仕事上のスキルも増えたが、相変わらずできないことや苦手なこともたくさんある。とはいえ書くことだけは自信を持って「できる」と言える。もやもやが消え、心がすっきりと晴れたせいか、数年前と比べると最近はずいぶん生きやすい。

それにたとえ自分にできないことがあったとしても、だったらそれができる仲間に任せればいいと思えるようになった。私より構想力がある人もいるし、人脈がある人もいるし、司会がうまい人もいる。それはネガティブなことではなく、ポジティブなことだ。自分にできないことは、できる仲間に託せばいい。私は自分が苦にならない、書くことで貢献できればそれでいい。

"悪い言葉を発すると、悪い言葉は必ず自分を悪いところへ連れてゆく。良い言葉を発すると、良い言葉は必ず自分を良いところへ連れてゆく。”(『読みたいことを、書けばいい』p242)

この2年間を振り返ると、確かに「良い言葉」で文章を書けていたかもしれない。良いところに来られたのは、私に文章を書くよう言ってくれた人たちのおかげだ。

……などと書きながらこの記事は、たまっている原稿作業から逃避するように書き始めた。しかしここまで書いてきて、やっぱり私は自分の好きで文章を書いているのだと改めて確認できた。誰かにやらされていることではない。現実逃避はそろそろ終わりにして、文章を書き始めることにする。

最後に久しぶりに聞いてよかった曲を。
ザ・ジェッジジョンソン/Tomorrow





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