[エッセイ] 下を向いて歩くということ

「足元を見つめながら歩くことが多くなった。」と思う。

 なぜ下を見ながら歩くようになったかはわからない。ただ、1週間前は地面に広がる落ち葉やタバコの吸い殻を視界に入れしながら歩くことはなかったと思う。かつて私が歩くとき、私の眼は空を見ていたのだ。風にそよぐ葉を見ていたのだ。遠くでも鮮やかが映える看板を見えいたのだ。
 「視線が下にある時、自分の脚を下支えする地面を見送りながら歩くことで、自分の足元がよく見える。よいことではないか。」と言う人もいるかもしれない。しかし、それと同時になぜか気持ちも重くなる。目前の現実に汗汗する日々の中に、何気なく歩くときも自分の今の立ち位置を否応なしに見つめさせられるみたいで。
 中村正直『西国立志編』に次の言葉がある。

俯いて下を見ている者は、志を高くすることができない。

 胸を衝く思いがした。私が視線を上げて歩くとき、眼に飛び込むのは、空だ、枝につかまる葉だ、ヴィヴィッドな看板だ。取り留めのない街の風景の中に、無意識のうちに私は私の志を想起させていたのかもしれない。地の下には可能性はない。私の心を突き動かすのは、想いを前へ押し出すのは、私の視線の上にある。

2021.11.8


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