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Twitterの闘病・病み垢を10年使ってきて思うこと。



昨日。

Twitterの" 闘病・病み垢 "とよばれる界隈の利用について、ひとつの区切りを打ちました。

使い続けてきて、今年で10年目。

長年、自身の居場所として大切に使い続けてきましたが、あまりにも多くの争いや、界隈での人間関係のトラブルが絶えず……
心の拠り所となる場所であったはずが、いつの間にかそれが、自身の足枷となってしまっていました

勿論、同じように悩みや不安を抱える方々との心の交流や、何気ない会話、思い遣りや優しさには、自分もずいぶん救われていたことを、あらためて思い返します。

その点だけは、Twitterの界隈を使ってきて良かった。……と、心から思います。 
決して、ひとりぼっちではない。と思えたことが 自分にはとても心強かった。


しかし。


生きづらさやフラストレーションを抱え、" 現在 "つらい状況にある方々は
精神疾患の症状や、気持ちの不安定さから、自身や周囲への客観性を見失っている方々も多く……
その自暴自棄さゆえに、相互のユーザーさんへの批判的な意見や否定的な意見を平気でぶつけたり、不特定多数に向けての心ない暴言を吐く。なども、日常茶飯事のように 数多く目にします……。


昔は直接、批判やフラストレーションの対象として、暴言や嫌がらせを受けたことも数え切れないですが
最近の界隈は、直接ではなく" 空リプ "という、自分のホームで具体的な名前を伏せて、" 気に入らない相手の誹謗中傷をする "方も多いです。

相互フォローをして、相手がフォロワーが少数だった場合には、自分 (私)のツイートが視界に入ることも多いので
タイミングよく、" お互いの呟いた内容が同じように重なる事が多い "という違和感を感じたときなどは、" 空リプによる嫌がらせ "である場合が多いと感じます。

確証はないですが、長年の勘というか……
Twitterでのトラブルを経験してきて、その雰囲気で、自身に対する敵意を敏感に察するという感覚です。

日常的に、自身や周囲に対して、不平や不満や暴言を吐きながらフラストレーションを抱えているユーザーについては、
決して自分からは" リムーブ・ブロックをしない。"という習性があります。

界隈の彼や彼女たちは、常に自身のフラストレーションをぶつけられる相手や、依存する対象を際限なく探し求めているため、と考えられます。
若年層が多いので、反抗期的なもの、愛情の不足によるもの。と捉えています。
成人した方でも、そういった傾向を持つ人は多く、界隈では特に珍しい事でもありません。

 
全員がそういった使い方をしている訳では決してないですが、精神的に不安定さを抱えている人間の傾向として、何かしら" サンドバッグ "、" 依存対象 "を要している心情は理解できる気がします

人間関係に病んで、長年、引きこもりを続けていた時期の自分が、まさにそういった精神状態だったので……。


そういったSNSのトラブルはないとしても
闘病・病み垢の界隈は、多くの人間の負の感情や、憎悪や、それぞれの思惑が渦巻いている場所なので……
覗いたり、使い続けてゆくのには、じりじりとメンタルを削られる相応の覚悟が必要なのも事実です。

最近は、Twitterを開くたびに、負の感情を乗せた呟きがタイムライン上に流れてきては、その都度それらが視界に入り、心がぎゅっと痛んで苦しくなったり……
(相互フォロー以外にも、おすすめに流れてくるものを含む。)

また、ツイートをしたあとに、批判的な意見や否定などの" 空リプ (悪意) "が置かれていないか……その不安から動悸がしたりと、まったく心が休まらない心境で…
かえって精神状態の不安定さに拍車が掛かる始末。

自分は、頂いた" いいね "には必ずお礼をしに、相互のフォロワーさんのホームからツイートを読ませて頂き、その都度いいねのお礼を返す……という使い方をしていたので

それが仇となったのか、情緒不安定な相互のユーザーさんからいいねがついて お礼をしに向かうと、場合によっては 心ない空リプによる嫌がらせを受けてしまう事が多々ありました……。

フォロワー数も少ないし、空リプの内容についても、自分が呟いた内容とほぼ同じものだったりしたので
『これは自分に対しての (間接的な)中傷だな……』と、そのたびに悲しい気持ちやつらい気持ちになったりもしました。。

人と交流をしたり、病気について意見交換をしたりする喜びや心強さよりも
ここ最近といえば、使っていて不安感に苛まれたり、胸が苦しくなる事のほうが、圧倒的に多かったです。。

繋がる人にもよるのかも知れないですが
この闘病・病み垢の界隈は、それだけ、憎悪や嘆きや悲しみといった感情や、切実な想いが混沌と渦巻いている場所だから……

自分の意思を強く抱き締めていないと
容易に、人の感情や思惑に流されて
いつの間にか自分自身も、希望さえも見失ってしまうような……
そんな、" 難しい居場所 " であり" 諸刃の剣 "のようなものだと、私は感じました。


この記事を記そう、そう思ったとき

芥川龍之介さんが執筆された、 『蜘蛛の糸』というお話を思い出したんですよね。

なんとなく。ですが
Twitterのあの界隈は、そのお話に似ているような気がします。


以下、自身のTwitterアカウントからの引用文。


約2週間ぶりに浮上。
割りと元気です。

離れてる間、自分がいかにTwitter依存になっていたかを知ることが出来ました

寂しさ→承認欲求→際限なくフォロワ探し→対人トラブル?→寂しさ…の繰り返し。

少しだけ冷静になれたので、
相互フォローの大幅な整理をしました。

とりあえずそんな感じです。

闘病垢を使ってきて
人と繋がりを持つことが出来た喜びもある反面

それ以上に、心に突き刺さるような辛辣な言葉や争いを多く目にすることも多い

長年使ってきたけど、そろそろこの界隈から卒業したほうが、精神衛生上良いのかも知れない…と

Twitterから離れている間、ずっと考えていました。

誰と繋がっても、どれほどいいねで承認欲求を満たしても、際限がなくこの作業が続いてゆくことに、おそらく嫌気が指してしまったのだと思います……

呑まれず有意義に使ってゆくことって、とても難しいですね

Twitterをやらないで過ごす時間のほうが、自分は平穏な心でいられるのかも知れない。

2014年頃からTwitterを使い始めて、アカウントやフォロワーリセットを繰り返したり、忙しくて使っていない時期も含めて
2024年まで、約10年間。
振り返ると、感慨深いものがあります。

Twitterは自分には合わないなーと思いながら
なんだかんだ言って10年。

いろんな出会いと別れがありましたね。

自分が始めた頃は、病み垢の定義がまだまだ曖昧で、暗黙の了解みたいなルールもありました

充実してるツイートや前向きな発言はNG。

写真は載せたら🙅‍♂️

ネガツイ過ぎてもダメ。

とにかくお互いのすることを監視し合うような、窮屈で神経質で、居心地の悪い思い出がありました。

あれから10年……

この界隈も随分と健全?になり、様々な価値観や多様性の在り方を見かけるようになりました

良い意味で、それぞれの表現の仕方や発信の仕方が、この界隈でも普通に認められる時代になったのだな。と思います。

昔よりは遥かに。

最近の界隈をみて思いますが
良くも悪くも、幸福や充実の度合いで、他者よりも優越感を得たい
そんな" リア充ユーザー "の流入に、歯止めが効かない雰囲気を感じます。

精神疾患や生きづらさの有無は、最早、繋がる上での意味を成していない雰囲気さえあります……

これも時代の流れなのですかね。

自分が闘病・病み垢の界隈を卒業しようと思う理由は、それなんですよね

そもそもが、マウント合戦のようになってしまっていて
承認欲求で、どれだけアピール出来るか?のようなゲームに近い。

有意義な交流や意見交換という心の触れ合いを、最近は見かけなくなったことが大きいです。

お互いのすることが見え過ぎていて、しかも隣同士の間隔が近過ぎる
Twitterは壁のないタコ部屋みたいなものだから

精神疾患を抱えている者同士のデリケートな相互フォローは、
Twitterのシステムとの「相性が最悪だな。」と、10年前からずっと思っていました。

そもそもの疑問が、ここを使い続けて、果たして心から幸せになれるのか?
前に進めるのか?。とずっと思っていました。

自分の足でちゃんと立ち
自分の心で、物事を受け止める
その、精神的な自立を促すものとは逆に、他者に対しての依存的な傾向さえも此処では度々感じたりします。

相互依存は一時的なものであれば構わない手段だと個人的には思います

しかし
それがずっと続くと、他者ありきでしか物事を考えられない・自分の心で 痛みを受け止められない精神構造になってゆくことが往々にしてあります

気がついたらTwitterを開いて救いを求めている「待ち 」の姿勢は、とても危ういと感じる

究極的に言えば、誰もいなくても、救いがなくとも、自分の心と身体で生きてゆける
そんな状態が理想であると、あくまでも自分は。ですが、そう思います。

お互いに寄り添うつもりが
いつの間にか寄りかかり過ぎてしまって、共倒れになってしまう懸念もありますね……

自分の過去の経験から。ですが…

適度な距離感で、交流とは別に
お互いに干渉し過ぎない
そういう成熟さと、ある種の信用・信頼関係って、とても大事なことだと思います

人はあくまでその人の生活があるから。
補助輪として、フォロワーを使い続ける在り方が、果たして正しい事なのかどうか…

自分も…
いつも自問自答をしています。

久々のツイートで、TLを五月蝿くしてしまってスミマセン。。

相互フォローの解除は、ほぼ終わりました。

現在いらっしゃる方々については、お世話になった方々も多いので
自分がいま思っている事を知って欲しい気持ちも含めて、一時的に留めさせて頂いた次第です。

黙って消えれば良いのでしょうけど
なんとなく、名残惜しい気持ちもあります

ひとりぼっちになってしまう、そんな怖さも正直あります

理由をつけないと、此処から永遠に抜け出せなくなりそうな気もしています

どれも自分が思う本心です

理解はされないかも知れないですが、書き綴らせて頂きました

人と仲良くなればなるほど、密に接すれば接するほど、それだけ別れはつらくなるものです

それが分かるから
積極的に人と関わるという事を、避けていたのも事実。

自分はこの10年間、有意義なSNSの使い方や人との関わりを持てなかったので
ある意味、それでよかったのかも知れません。

惰性で使い続けて来てしまいましたが、10年という区切りもあり

何処かで"けじめ"をつけなければいけない気がしています

現在の年齢で、若年層のような使い方をするのも段々キツくなってきた事も正直な理由としてあります

病むプロセスはとうの昔に済ませたので
いい加減、先に進まなければいけない

即レスで反応が欲しい、必要な場合はTwitterで、

自分の発信したいこと、表現をしたいことはnote.

という感じで使い分け

最近は振り返りをしたり、表現をしたりするのは、ホームがあるぶん、noteの居心地が良くて。

Twitter、即反応が良いとこだけど
何かとトラブル多いし
かなり気を遣いますよね。

精神的な余裕があると見受けられがちだけど

それは自分の年齢によるところと経験からそう見えるだけで、
皆とそれほど大差ない

底知れないくらい深く病んだ時期を、若年のうちに乗り越えてきただけで。

それで、周りから
「あいつは敵だ」と認識されてしまう事の悲しさったらないよ。

喜びや嬉しさを発信すれば、スルーされてしまうし

思想や自身の在り方を語れば、嫌煙されたり敵意を向けられてしまう……

過ぎて乗り越えた側、という明確な仕切りはないのに。ただそれだけで。

結局のところ
同じ深みに潜れなければ、共感の対象にはならないのだろうし
仲間でもないのだろう。

闘病・病み垢にずっと身を置いてきた、僕の雑感です。

あくまで個人的な意見、として。

想いが強くて真剣に此処を使ってきたぶん、自身や周囲に対して落胆することも多かった。

100人いたら、そのなかで自分の言葉を拾ってくれる人間は、1人いれば良いほう。

分かって欲しい気持ちが強ければ強いほど、周囲はそこから離れて距離を置いてゆく。ということが往々にしてあったと思う。

逆に、ひどくどうでも良い呟きには反応が多かったりもしていて

ここで必要なのは、人と関わりを持ちたいという純粋な気持ちと

どれだけ素直に他者と接することが出来るか?

その二点なのだと思う。
表現や発信はその次のステップなのかも知れない

自分という存在を周囲に理解して貰う事の難しさ。

繋がったぶんだけ、共感も気遣いも反感もストレスもトラブルさえも同じくらい増えてゆくから……

人と繋がりを持てた嬉しさより
戸惑いや不安のほうが勝ってしまう…

リアクションにその都度心を揺さぶられては、自分が何をしたいのか、どう在りたいのかが、自分でもよく分からなくなるときがある

ある程度、同じような不安や悩み、精神疾患の症状や
年齢や倫理観の足並みは揃えてゆく必要があると感じます

無関心ならそれでいいのですが
ここはフラストレーションを抱えている人間や思惑が際限なく渦巻いている場所だから

争いや誤解やトラブルに遭遇して傷付かない為に、自衛も重要だと感じます

自分は、やってはいけない事をし過ぎたのだと思う

・片っ端から誰彼構わずに相互フォロー

・初っぱなから自分の思想や経験を語る

・精神的に酷く不安定な人間に対して、病状を知らずに干渉をする

・自分の在り方や呟きが、その対極にいる人たちに対して、当て付けになっていた

などです。

おはよう。や、お休み。
今日はこんなことがあったよ。

という何気ない呟きが共感を得るのは、それが平穏なものだからなのだと思います

誰かの暮らしや存在が、そのまま
暖かく感じられる

闘病、病み垢の界隈を長く続けられているユーザーさんたちは、
大体がそういった使い方をしているように思います

批判的な意見や言い争いには、やはり同じようにフラストレーションを抱えている人間や、負の感情が集まって来るのだろうし

優しさや思い遣りによるあたたかな気遣いの言葉には、
同じように" 心ある繋がり "が出来てゆくのを、あらためて感じます

此処は、自分の心の在り方がそのまま、人との繋がりとなって築かれてゆく、不思議な場所なのだと感じます

自分は、心の在り方がとっ散らかっていたので
右往左往し続けて
これまで此処を散々使い続けてきて、虚しさや悲しみのほうが大きいです

皆様は、そうならないように。


批判的な空リプを投げ掛けられるたび、自分からフォローをして、相手が見たくないものを見せてしまっている罪悪感が、いつも胸を締め付けていました

ブログと違って相互というシステム上、どうしてもその不快感はお互いに生じてしまいます

何を発信するにせよ、それが誤解や争いの火種に成得てしまう

まわりの批判的な意見や評価に惑わされず、
自分が表現したいものを発信してゆくこと。

それを応援して下さったり、共感をしてくださった方もいるのに。

相互のフォロワーから言われた心ない一言が、どうしても頭の中から抜けてくれません

相変わらず意思が弱いな……と自分でも思います。


辞める詐欺で周囲に迷惑を掛けてしまいそうなので、静かにリムーブさせて頂きました。

相互して下さった方々、リプライのほう感謝致します。
話せて嬉しかったです。

また、ツイートに目を通して下さった方々もありがとうございました

皆様も、心と身体のほう
大切にして お過ごしくださいね。


全員一律でフォロー解除をさせて頂きました

この度は、ご迷惑をお掛けして申し訳ありませんでした。

そして、関わりを以て下さった方々に感謝致します

アカウントのほうは自身の備忘録なので、削除する予定はありません

Twitterや界隈から離れて
今後の運用の仕方などを冷静に考えたいと思います。


以上、Twitterアカウントからの引用文。


あくまで、Twitterの闘病・病み垢の界隈を長年使ってきた当方の雑感ではありますが、使ってきて思うところが多々あったので。

大切な記録・備忘録として、この気持ちを、ここに残す事にします。


- 紫苑 -





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