私たちがかけた時間を大切にしちゃうことについて。自分の歴史=賭けた時間。サンクコストとも近い

たまには哲学科卒っぽいこと話します。とはいえ、存在と時間もほとんど読んでなく、有名な言葉だけ知ってる状態で、それでもこの言葉良いなって思ったときの考えになります。以下記事で感じたように、時間って重く感じるな、っていう記事です。

時間が重みを持っていると感じるとき

今回のことを考えるのは、時間が重みを持つなぁとか大事に考えざるを得ないと意識的に思うタイミングがたまに訪れるからです。

特に大事にしていたものじゃなくても、ずっと家にあるもの、ずっと視界の片隅にあったようなものって、捨てるのにためらっちゃうんですよね。単なるペンでも、なんだったら不用意についてしまったシミとかでも、時間過ごすと愛着を持っちゃいます。

あとは何かが失敗したときに、その失敗で受けた損失とは別に「今までの時間何だったんだろう」とかけた時間のもったいなさを結構多くのタイミングで感じてしまいます。

こんなの「普通じゃん」って言ったら一言ですし、管理面で言えばコスト、行動経済学で言えばサンクコストって色々言われているんですが、そういうものがあることに違和感なく納得できる根本に「時間的存在」というものがある気がします。

時間的存在 かけた時間を重く捉えること

この言葉が引用されたアニメシュタインズゲートの用語集にすごい端的にまとめられた言葉があったので引用します。

「人間は根源的に時間的存在である」とは、端的に言えば「人間は過去から現在までの経験を元に、未来の行動を決める存在である」という意味になる。

人間が考えるときには過去から現在へのつながりも考慮するということですね。この過去という言葉は「歴史」とも言いかえられ、歴史という言葉を使うと積み上げた重みが感じられると思います。

「考える」という言葉だけを使うと、「なにか意識的に考えないとき」にはこれが関係ないように捉えられますが、実感からすると考えないときも含めすべてのときに歴史の重みとともにある気がします。

感情についても歴史と切り離せないと感じられます。
わかりやすいことで言えば、今までやってきたことが叶って嬉しい、叶わなくて悲しいといったことです。何だったら単なる一時的な感情よりも、アイデンティティ(自己同一性、自分が自分であると感じること、自分らしさ)の満足や喪失も起こるかもしれません。「今までこれだけやれた俺は最強だ」「これまでやってきた自分の人生は何だったんだ」といったように。

身近な例で言えば、「(前食べたものと比較して、より)美味しい(から満足)」と一時の感情であっても過去や歴史を元にして判断したりします。「前に○○と言った手前、ここで行動しないわけにはいかない」「学生時代に吹奏楽部を選んだことが今の歌手活動につながってるんだな」などはわかりやすく歴史のものの判断や考えです。

私たちの生活、考えること、感じること、人生に過去や歴史は重くのしかかってくるのです。

時間的存在であることを受け入れる

「時間的存在」であることを受け入れ、時間を大事にする性質があることを意識的に認識するといろんなメリットがあります。

・合理的じゃないけど大事にしていたものに対して理由がわかってスッキリする
・誰かにとって大事な存在になる方法が1つ増える
・過去と決別する方法がわかる

合理的じゃないけど大事にしていたものに対して理由がわかってスッキリする

最初に話したペンやシミの話なんですが、多分みなさんの周りにもそういった、なぜか手放せないものがあると思います。そういったものに対して合理的な理由を考えてももやもやすることもあったんじゃないでしょうか。時間が大事にするファクターだとわかるとスッキリすると思います。

また、ビジネスの意思決定の際には「サンクコスト」と呼ばれる、かけた時間に対して価値を感じたり、もったいないと思ってしまう人間の傾向があります。これが時間を大事にするという考えから腑に落ちると思いますし、認識した上では客観化してサンクコストを抜きにしてビジネス価値のみを考えることなどできると思います。

誰かにとって大事な存在になる方法が1つ増える

これは応用技です。自分が時間を大事にするということは他の人も時間を大事にするということです。

ということは長くいることはそれだけ大事に思ってもらえる可能性があるということです。合理的にその人に大事にされる理由が見つからないときは、一時点という点ではなく、期間という面で相手にアプローチするのはありかもです。

ただ、長くいる間に少しずつ嫌に思われた場合は、相手の歴史に嫌な人だということが積み上がってしまうので、ただただ長くいても良くないんですが。

過去と決別する方法がわかる

これは発想の転換です。

私たちは意識せずとも時間を重く捉えてしまいます。
「俺の人生は失敗だ。中学受験に失敗したときから30年間ずっとダメダメだった。これが何よりの証拠だろ」
など、歴史を元に今や未来を考えてしまいます。フロイトの言うところのトラウマです。

ただ、歴史、自分の過去というものは私たちが思うほど単線的にに今につながっていません。

「アリを殺したこと」「活き造りの魚を食べること」「豚肉を食べること」これだけつなぐと殺戮者としての歴史ができあがります。

「学芸会の主役で目立ったこと」「学生時代バンドでちやほやされたこと」「会社で出世したこと」これらをつなぐと人気者の歴史ができあがります。

私たちの歴史は物理的時間で見れば単線なんですが、解釈を挟むと複線にとらえられるのです。

多分先ほどの中学受験の話も、仕事をしてパソコンに向かってる間は失敗人生について考えていないと思います。それよりはやらなければならないミッションやそこに至る経緯や歴史について思いを馳せていると思います。

というように、複線の歴史の上に立っていて、そのとき重く感じられる歴史を自分が乗っている唯一の歴史と捉えてしまうのです。

ですので、重い過去から捉えられない場合は、乗る歴史を乗り換えることをおすすめします。これは『嫌われる勇気』のアドラー心理学的な考えです。

歴史の乗り換えといいましたが、これは簡単なことではありません。重い歴史にとらわれている間は断崖絶壁の中腹にいる感じだと思います。現実逃避している間はその崖のことを忘れられるんですが、ふとした瞬間に崖の恐怖に引き戻される感じかと想像します。ちょっとやそっとじゃその状態から逃れることはできません。

ただ、別の歴史にあえて長くいることで、乗り換え先の道の重要性が高まります。乗り換えてすぐに変わるわけではないですが、その道でなんてこと無い時間をすごすことで乗り換えた道がいつのまにかに本線のように見えてくるんです。

ですので、自分が今立っている道に自覚的になり、その道を進み続けるか、別の道を進むかなどは悩む価値があるテーマだと思います。

まとめ

過去の時間や歴史をふと大事に考えてしまうんですが、まとめてみてスッキリしました。

歴史というと日本の歴史とかアカデミックな感じや決まった切り口でしか捉えられなそうなもので、興味ない人にとっては全く興味を惹かないものだと思うんですが、個人の歴史という側面だと、次の本の第5章とか読むと面白いかも知れないのでおすすめしておきます(買ったとき3000円くらいで高いと思ったのに、今8000円とかしてるんだ。。。)

おしまい

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?