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正論というくだらなさ

私はいつか大きな声で言います


死んだ旦那に


「死んでくれてありがとよ〜!!!」


って。



そういう精神で生きています

この言葉に
よく知りもしない人は拒否反応を示すんだろうなと
何てことを言うんだって

私のことを取材してくれた記事が
Yahooニュースのトップに上がって
それはそれは多くの人の目に触れて
それはそれは多くのご意見が出ました

温かい意見も多かった
真意をちゃんと理解してくれる人もいました

でも
この言葉だけを見て否定する人も多かった


というか
この取材に限らず
私の生き方を非難する人も多い
(もちろん理解してくれる人も沢山います)





そういう人に言いたい



「よく知りもしないくせに」







「何一つわかりもしないくせに」







『死んでくれてありがとう』
という私の精神に
「軽蔑します」と言われて

命がけでご主人を生んだ義母様の気持ちを考えたことありますか?って


……………


…そんなあなたは
命がけで生んでくれた、まーくんの義母様のことを知っていますか?
(本当に命がけでした。よく知ってたな。笑)
41年生きていたまーくんの何を知っていますか?
10年間、昼も夜もオンもオフも一緒にいた私より知っていますか?

命がけで生んだ義母様と
心から愛した私が
一瞬でまーくんを失って
どんな気持ちだったかわかりますか?

どんな気持ちで生きているか
生きていかないといけないかわかりますか?

葬儀会場で
まーくんの遺影を前に
2人で泣きながらピースサインで写真を撮った
私たちの気持ちがわかりますか?


「何一つとしてわかりもしないくせに」



この出来事を
悲しい出来事にしちゃいけない

「悲しいわ!」「いつまでも悲しんでいいよ」

周りは言うでしょう
実際言われました

そりゃ悲しいよ
世界中の誰よりも悲しいよ

じゃあ私は
未来永劫
悲しい人生を歩いていかないといけないの?

まーくんの人生を
大切な人を不幸のどん底に落とした
可哀想な人生にしていいの?






私は笑って生きていくの

そうやって生きていくのだと決めたの





まーくんの全てが
死んだことも含めて
私を幸せにしたんだと

生まれたこと
生きていたこと
出会ったこと
突然死んでしまったことも全部含めて





だからいつか
大きな声で言うんだ

「死んでくれてありがとう」って

あなたの全てが
私を幸せにしたんだと




その言葉の覚悟と含みと想いを
何も知ることのない人が
考えもしない人が

『人が死ぬことはありがたいことじゃない
そんなふうに言うもんじゃない』

薄っぺらい正論を振りかざしてくる

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生きていて欲しかっただなんて
誰よりも思ってる
ありがたいことだなんて思っているわけないじゃない

生きていて欲しかったよ
一緒に未来を歩きたかったよ

だからこそ
ありがとうって言うんだよ
言える人生にしなくちゃいけないんだよ






正論ほどくだらない言葉はない


こうなってみて
本当にそう思います

正しいか正しくないかなんてどうでもいい

正しくたって出来ないこともあるし
間違っていたってしてしまうこともある


同じ人格で
同じ容姿で
同じ環境で
同じ状況で
同じ時間を生きてもいない人に

こうすべきだ
こう考えるべきだ
なんて
薄っぺらさがすぎる

こうすべきだ
こう考えるべきだは
自分で思うことであって
人に押し付けることじゃない



正論は
自分の心の中に持って
人に振りかざすものじゃない




それをもし
伝えないといけない時があるのなら
正論こそ
柔らかく優しくそっと渡すべきなんだ

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と、あの頃の私に教えてあげたい

正論という非のない完璧な剣を持って
振りかざしていた私に

「約束を破ったら謝るんだよ!」
「約束が守れなさそうな時は、それがわかった時点で言うんだよ!!」
と何の反論も出来ない剣を振りかざして

「正論言われたって困る!」
と、まーくんに一掃され
その後なんの話もできなかった
あの頃の私に

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今ならわかる

正論言われたって困るんだよ



正論は正論だから
逃げ道がなくて
追い詰められるだけ

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それで追い詰めたって仕方がないんだよ
何も良いことはないんだよ
ただの自己満足なんだよ



正論を言いたい人は
自分が正しいと思っていることを言いたいだけであって
相手なんてどうでもよくて

その人の思いや関係性を大事にしない
決して素敵な人じゃないんだよ

そして私はそういう人でした



『正しいこと』が後ろ盾をもらった武器であると信じこんで
それを振り回すことに何の躊躇いもなかった

だって私、正しいもん

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本当にあの武器は
一見強そうに見えるけど

振り回せば振り回すほど
人を傷つけるだけで
自分の浅さをひけらかしているだけで
何も温かいものは生まんなぁと思う

強いけど
とんでもなく貧しい武器でした



大切なのは
正しいかどうかじゃなくて

仲良く楽しく幸せに暮らす話をすること
そのための言い方をすること

それが出来ないのであれば
正しくたって正解じゃないんだよ

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ちなみにこんな取材内容でした〜
私は思ったこと感じたことを何も隠さず臆せず
ベラベラと話すだけ
それで良いと思うんです
人の想いは誰かの評価によって
左右されるべきものではないと思うから↓


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