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他人の悲しみと自分の悲しみが溶けてひとつになって、そして水になるまで
休職している
なにかきっかけがあったわけでも、職場でうまくいかなかったわけでもない
本当に、シンプルに、仕事と日常と介護が、自分のキャパシティをこえてしまったんだとおもう
正直、メンタルは病んでない、とおもっていたし、おもいたかった、のかなぁ、とか、おもったり。したり。
頭がもやもやして動きにくくなってしまった
すごく疲れやすくなってしまった
なぜか、すぐ貧血のようになってしまう
今日は友達に会った
判断ができないし、体力もないから、友達の誕生日祝いではあるが、近場まで来てもらった。お店の予約もできなかったから、しなかった。
友達には、全部話して、元気も出てきた
「多分、もともとADHD気味だったけど、今回のキャパ超えを起点に、パカっと蓋が開いたように、ADHDの本性が頭角を表してしまった」
「きっかけは引越し直後の発熱だけど、このあたりから、水の中にいるように頭が冴えなくなってしまった。病的なものか、心理的なものか、わからない。わからないことで、現状に対処できないのが嫌。」
「うつ病の可能性もあるかもっておもったけど、ぜんぜん死にたくならないから、違うかも。なおりたい。回復したい。前向き。頭が悪くなってるけど、現状をどうにかしたい気持ちがある。」
そう、私の現状はこんな感じ。
だけど、友達と会って長時間経ったら、頭がまわらなくなってくるようになった。そのあと、倦怠感。そして、友達を駅まで送る時、駅前のデパートを通ったら。その情報量の多さ、右左のいたるところの色の多さ、刺激の多さに、気持ち悪くなってしまった。
友達と別れて、家に帰ってから、吐き気がして散々だった。
なんでやねん。関西人じゃないのに、そういって、ちょっと自分を鼓舞しないとやってられない、そんな気分。
旦那は頭を撫でてくれるけど、この人には一生この感覚がわからないんだろうな、と思うと、憎たらしかったし、孤独も感じた。
それでも当たったりしないし、旦那が嫌がることもしたくないので、気丈にふるまっていた。
夕飯もなんとか食べたけど、あまりにも自分が液体のように、溶けていくような、もう、椅子に座っていたくないような、気持ちになって。
こんなに、毎日、前向きに、記録して、対処法を試そうと頑張って、いるのに。なにも効かなくて。
姉からラインが来た。実家で寝たきりの父も、今日は具合が悪いらしい。
身体のだるさと、気持ちのだるさで、もう、よくわからなくなって、布団に寝た。
「アレクサ、助けてよ。」
「ヘルプが必要な場合は、ヘルプページにアクセスしてみてください。」
「アレクサ、わかんないよ。」
「別の方法で言い換えてみてください。」
アレクサは助けてくれなかった。
旦那も、そろそろ私の相手に疲れているのではないかと妄執した。
旦那に、当たったり、理不尽なことを言ったり、そんなことはしていない。大好きな旦那を困らせたくないから、なるべく旦那が困惑するようなことはしないように心がけてるつもり。
大好きな旦那のためにも、少しでも早く、この状態から回復したい。自分で自分をコントロールできたころのようになりたい。
ただ、泣き言は旦那に言ってしまうし、疲れたときに、寝そべるのは旦那の膝が多い。
私が振った、問題解決能力のない元彼の影が浮かんで、私を脅す。私はいま、旦那にとって、私の元彼なのではないか。治す気のない、困ったちゃん。泣き言を言って、改善しないやつ。
そうおもうと、不甲斐なかった。自分のせいで、旦那を疲れさせている気がして、やるせなかった。でも、どうしようもなかった。
そこまで思ったとき、自分の父もこのような気持ちなのではないかと思った。寝たきりで、たまに謝ってくる父。
自分の存在が相手に迷惑をかけるとわかりながらも、どうしようもない父。
頑健な私なら、父に、「そんなことないよ。」って態度をとって、楽しんで介護をする器量があるかもしれない。
でも、私もそんな余裕はなくて、どうしても、そこまでの優しさも、知恵も、発揮できない。
私の想像した父の悲しみと、私の悲しみが、混ざって、溶けて、分化できずに、水がこぼれた。
健常なときには、こうやって、人の悲しみを溶かして自分のものと混ぜる人を見ると、私はこう思っていた。
「人の課題と自分の課題を分離できないんだな。幼い頃の私みたい。
それって、勝手に人の課題を背負って苦しんでるだけ。
私は気付けたよ。
自分の力で動かせる課題を見極めて、そこに対して注力するのが賢い生き方。
(って、"まずイシューから始めよ"に書いてあったわ。)」
そう、私はこんなにも、合理的な思想をしていた人間だったのだ。
それを今、理論としては知っていても、できない。
何度目かの覚悟。認めなくてはならない。いま、私は、おかしいと。おかしくて何が悪いねんと、慣れない関西弁を使うのだ。
そして、今だから見える妄執を、言葉にするのだ。
この期間だからこそ、見えるもの、わかることも、多くある気がしている。
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