永乱15年 羽如国→秦国31番領、賀桟攻略戦
永乱14年見事秦国から勝利を納めた羽如国であった。これにより秦国から連戦連敗を喫していた羽如軍の士気は一気に上昇した。
この機を逃すまいと、今年こそ秦国31番領、賀桟に再戦を仕掛けた。しかし、それでもまだ羽如軍は半数以上数の上でも武将の強さの上でも劣っていた。
そこで、完全勝利とまでとならずとも秦国総大将率いる現在の秦国上位5名の大将軍を狙い、その誰かの首級を挙げることを目的とした。これにより、今まで羽如軍の幹部を数多く討ってきた敵将を葬れば今度こそ、秦軍との形勢逆転を狙えるからだ。
秦国は今年侵攻を行わず、自国の守備に全力を挙げた。これにより、やはり今年も秦国の守護神、王騎馬陽大将軍が総大将として立った。
もちろん国内の至強大将軍も全員出陣した。先の記事に秦国の至強大将軍らの名前の紹介はこちらの記事に掲載してある。羽如軍の詳細記事はこちら。
先に侵攻を行った羽如軍から紹介する。
〇羽如軍
・総大将:黄大将大将軍(18)
・副将:天蛇大将軍(13)
・第一軍長:五蛇大将軍(12)
・第二軍長:赤蛇大将軍(11)
・第三軍長:四蛇将軍(10)
以下将軍5名、将校9名で構成する軍
次に防衛する秦軍を紹介する。
〇秦軍
・総大将:王騎馬陽大将軍(19)
・副将:翔王大将軍(17)
・第一軍長:縁蘭大将軍(15)
・第二軍長:千空大将軍(14)
・第三軍長:律会大将軍(14)
以下大将軍8名、将軍15名、将校16名で構成される軍
かっこ内の数字は武将の階級を示していて、その武将の強さの指標となっています。
☯開戦1日目
開戦初日、羽如軍はまたもや劣勢の中戦を仕掛けた。
しかし、今回の侵攻には今までとは別に二つの理由があった。
一つは先年度秦軍に戦勝した士気をそのままこの戦に持ってくる事である。
高い士気を保ったまま、黄大将大将軍は羽如軍の最前線に立った。
一方秦軍も総大将に王騎馬陽が立った戦で羽如軍に敗北したことが今まで一度もなかった為、秦軍は大いに奮い立っていた。
しかし、連勝を重ねた王騎馬陽は少し懐疑的に思っていたが、その正体がわからない為対処できずにいた。
そんな中、開戦初日で犠牲が出る。
黄大将はこの日羽如軍の殿に立ち、他の秦軍と比べて少し気劣りする元聖国の大将軍東海眼夜に目をつけて突撃した。
黄大将は副官に秦蛇将軍つけ、これを大いに攻めた。
東海眼夜はこれで手負いをしたが実際は深手には至らなかった。むしろここから秦軍の攻勢が始まる。
秦軍からは第三軍長律会大将軍が応戦に出た。
この時の副官は現秦国七将の一角であり、昨年度第一功を賜った李霾将軍を起用した。
なんと律会は羽如軍総大将の姿を捉え、太刀を浴びせた。
これに気を取られた羽如軍に更なる攻撃を李霾が加える形になった。
李霾は同格の羽如国四将に目をつけて、羽如軍防衛陣で指揮を執っていた二蛇将軍を見つけた。
二蛇は目の前の秦軍の強い攻勢に対応していたら自分の喉元に李霾の刃が迫っていたことに気づけなく、あっけなく討ち取られてしまった。
これが本戦の最初の将の犠牲である。
☯開戦2日目
羽如軍は貴重な四将の一角を落とされて一時退却したが、そこには違和感が残った。
羽如軍総大将が自ら打って出た割に引きが早かったのである。実際目の当たりにしていた律会大将軍は殊更疑問に思った。
そこには羽如軍の此度の戦のもう一つの目的があった。
そしてそのもう一つの目的が開戦二日目にして少しずつ明らかになった。
この日も羽如国の布陣は総大将自ら最先端に立って突撃してきた。その副官には副将と第一軍長の姿もあった。
つまり開戦二日目にして最大の攻撃を仕掛けてきたのである。
これにもやはり秦軍は違和感を覚えた。
今までの戦では、黄大将が殿を務めるのは戦の後半になってからであったからだ。
羽如軍が最大攻勢に出た事で秦軍もそれに応じるしかなかった。出し惜しみをしていては余計な被害が出るからである。
秦軍も強気の編成を行った。
秦軍も総大将王騎馬陽自ら最前線に立ち、副官に第二軍長千空を立てて応戦した。
総大将同士の一騎打ちが始まるかと思いきや、黄大将は王騎馬陽に一太刀入れた後、他の秦軍軍長らに攻撃を集中させた。
羽如軍の真意は勝つことではなく、秦軍上位5将の首級と判明した。
これは黄大将自身も無事ではないが、各軍長らに一太刀浴びせて引く戦闘を羽如軍精鋭で行った。
これにより秦軍第二、三軍長の私兵はほぼ壊滅した。特にその中でも第三軍長律会大将軍はこの戦で復帰不能までに手傷を負ってしまった。しかし、羽如軍は望んでいたのはその首級であったので、羽如軍にとっては少し惜しいものになった。
もちろん秦軍総大将にもかなりの手傷を負わせた功績を残した半面、羽如国の被害は将校2名という安い物であった。
☯開戦3日目
この日、羽如軍は戦い方を一気に変えてきた。
羽如軍精鋭らは本陣の奥に引いたのである。
それも最高の機会であった開戦2日目に律会大将軍の首をとれなかったことが大きかった。そこで一度体制を整える為に引いたのである。
これで秦軍にとってはかなり攻め難い体制になった。
しかし、ここで秦軍総大将は別動隊を派遣して、硬い羽如軍の守りに突撃した。これは先の戦で黄大将が使っていた戦法である。敵将がやってきた手段を使うあたり、秦軍総大将の強さが垣間見えた。
羽如軍は有力軍長を刈り取る戦法に気付かれたと察した為大きく戦闘型を変えたのだ。
しかし、ここで本陣の横腹から秦軍が突撃してきた。
殿は第一軍長縁蘭大将軍である。この第一軍長も二日目にひどい手負いを負ったものの、それでもなお奮い立って討ち入った。
彼らは羽如軍副将に狙いを定め猛攻を行った。
そして、縁蘭により羽如軍副将天蛇が討たれた。
挽回を狙う燕蛇将軍であったが、秦軍副官の井嚢将軍の決死の交戦により燕蛇は討ち取られ、別動隊も撤退した。
これからの羽如軍の勢いは一気に低下した。
只でさえ少ない強力な大将軍の数をそれも副将という貴重な位の人間を討たれてしまった。
☯戦況中継4日目
この日、秦軍は一気に畳みかけてきて、全軍による猛攻行った。
全勢力最強の武力を持つ秦軍副将、翔王大将軍により羽如軍第一軍長も討たれ、他2名の将校も討たれてしまった。
一方この形成立て直すことができず、羽如軍は有力な大将軍を2人立て続けに失った。
ここで羽如国王は撤退の指令を出し、今年の戦は
「秦軍戦勝」に終わった。
幾重にもわたる防衛戦成功である。