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本能を満たす交わりと生まれた意味に通じる恋愛 ~ 種は横の交わりの拡大をそそのかし、真実の愛は恋が心の壁を縦に突破した場所で理解される ~

これは友だちの話なんだが、彼は恋愛が終わるたびに考えるのだそうだ。なぜ俺は彼女じゃなきゃいけないと思い詰めてしまったのだろうと。そして破局を迎えた後もそれを考え続けるのだそうだ。果てはなぜ人は恋愛に至るのかを紐解いた挙句、あのブドウは酸っぱい、という結論に至って敗北を知るらしい。

あの人でなければダメだ、というのは幸せな幻想なのだそうだ。本当はその人の固有性なんてのは大したことではなく、むしろ固有性に縛られることで終わりが来るそうだ。恋愛が素晴らしいのは普遍性へ至るからであって、きっかけだけが固有であってタイミングであって運命的で経験共有的なのだと。

そんなことを始終話題に出された彼女らにも深く同情する。彼が反省すべきはそこだ。だがその彼の固有性こそいいものだというきっかけを感じる人がいるとしたら、その固有性には普遍への憧れがあるだけに、ともに歩める時間は長いのかもしれない。もっとも彼自身はもう固有性に意味を感じないらしい。

固有性に意味を感じないという彼のその理屈こそが防衛機制だということは彼もわかってはいるらしい。彼は諦めたくはないが現状は受け入れなくてはならないから、変えられないものを変えない理由と変えられるものを変える方法を模索し続けるのだそうだ。そして、まずは何事も見極めなのだそうだ。

変えられないものを受け入れる理性的な解釈力と、変えられるはずのものに対する情熱を失わないこと。あえていえば変えられないと受け入れていたものを、己の力の充実に従って変えられるものにシフトしていくしたたかさを、彼は恋愛からこそ学んだという。失恋もまた普遍に至る道、だそうだ。負け犬めw

考えるな! 感じろ!

それでうまくいかない現実にぶち当たってから、感じることより考えることを優先すればいいだけだ。「勇者だけが美女を手に入れる」というのは事実だろう。手に入れるなんて表現に疑問を感じている暇があるなら、感じたまま進め。そして手に入れてから愛を深めれば責任になる。

固有性自体にはきっかけ以上の意味はないのだ。誰もが関わり方次第で間違いなく普遍に通じている。人あらざるものであっても、その存在は宇宙の中にある以上、宇宙に至った者にとって理解不能である理由がないのだ。宇宙に至ることが普遍の最たるものなので、普遍を目指す決意は強い責任感でもある?

関係が終わるのは期待が終わるからでもある。期待が終わってるのに関係が維持されるのは打算か妥協だ。それはそれでいいが人生自体をその色に染めるのはさすがに悲劇だ。人はたいてい固有性に期待する。希少性とか優越性がわかりやすい。だが固有性は一つの極端だ。固有は全て集合すると普遍になる。

見える範囲に固有性はあるが、見えない深さに普遍性はある。ある固有性を発揮できるのは、その深いところに普遍性を有しているからであって、だから何らかの固有性があるなら、深く潜ることができれば普遍を見つける。普遍が見つかるなら固有性は全て認識できる。

深く潜るには権限が必要だ。つまり心理のブロックを解く必要がある。心の防御を解くのに恋愛は都合がいい。お互いが知りたいと思うから、お互いが少しずつ開示していきやすい。お互いを知りたい段階を恋とすると知り尽くしていくことが愛だろう。愛の核心に至れば相手の表現を多彩にすることも可能だ。

ロマンチックに近づき、酸いも甘いも共にして広げて、心を開示しあって深めて、人の心の一番深くにある絶対精神に到達する。個人的無意識の壁を越え、家族的無意識を突破し、国家的無意識を破り、惑星意識に到達し、さらに銀河、銀河団、様々な構造を経て、宇宙に至る。深さは高さと同義なのだ。

横に楽しむのが都会的な恋愛ごっこだとしたら、縦に壁を突破していくのが本当の大人の恋愛だと思う。この醍醐味は絶望を壁としているから、そこから最初に逃げてしまうとその癖は人生にわたって抜けなくなる。そういう癖を与えてしまう人は、そういう意味では宇宙にはとるに足らないと判断されるかもしれない。

と友達は言ってた(汗)

恋愛でアホになってしまうと、人生の態度も愚かになる。

という総括らしい。さすが防衛機制の名手!



余計に混乱するかもしれないけど…

考えなくても幸せになれるならその方がいいのだと思う。でもそれは幸せを正しく判断しているときだけ幸せであり続ける。

実際にはそれは稀なことで、期待している幸せを勘違いしたままそれを得ることを考えるから、たとえ首尾よく結果が出ても、得られた結果には満足できず、周囲も自分も不幸になった上にその理由がわからないままそれが不幸であることに麻痺する。

不幸も幸福も判別できないほど麻痺するから、考え得る限りありきたりな基準で幸せなふりをしているだけなのに、それに気がつけない。そういうときの幸せは言ってみれば演技だから、演技のうまさとしてのマウントが関心になってしまう。

それが種(『種の起源』でいう種)が求める関係なのだから、その不幸を回避するというならちゃんとこの幸せに通じる道も知っておいた方がいいという話だ。人という種として幸せになるという定石と、人生の意味という視点で幸せを定義した霊長としての個が得るべき権限を目指す定石、視野としてはどちらも必要なのだ。

自分に嘘をつかないという条件を満たして、幸せを得ようとするならこの二つの定石を並走(というかお互いに逆走)させるのがいい。

これは世界の中のとるに足らない個としての、つまり種の中の遺伝子の乗り物としての身体の自分と、自らが認識することで宇宙の中から世界を切り取る権限を持つ、神の似姿としての精神たる自分、この下からと上からの両輪を生きることが、過去も未来も等価に評価して現在を曇りなくとらえられるということになる。

これが太極を抱いて生きるということにつながる。世界内存在であることも、全であり一である汎神であることも、等しく人の姿なのだから。そして、どっちの自分にフォーカスするか選択する都度、その視点を持つ自分に収束する。

こういう部分は私もこの友人と共有している。



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