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節目に思い出すインド一人旅の記憶


学生の頃、祖母や叔父の死、ある終末期の患者さんとの出逢いの中で緩和ケアやホスピスに興味を持つようになった。

それから本やたくさんの方々との出逢いの中で、ますます生と死の在り方や他国の死生観が気になるようになり、いつか海外のホスピスを巡ってみたいなあなんて思ったりもしていた。

この興味に拍車をかけたのが大学生の頃に地域看護学の実習で目の当たりにした日本の縮図のようなエリアである"きぼうのいえ"という場所だ。

山谷にあるホスピスなのだが、身寄りがいない方やホームレスの方が生活していて、人生の最期のひと時を孤独にさせないように看取りまでケアをしている場所だ。

このきぼうのいえの存在を知れたことがきっかけとなり、インドのコルカタという場所にマザーテレサの施設であるKhalighat(カーリーガート)という施設があることを知った。

ボランティアで参加できることで有名なのだが、日本でいう身寄りがない方の療養施設や老人ホームのような場所だ。

このインドでの体験はたった2週間であったが、この後の波瀾万丈な私の人生を支えてくれている。

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さかのぼること5年前くらいになる。

ちょうど大学病院での看護師の仕事に疲れきっていた時に海外に行こうと決めて、はじめて海外一人旅をした国がインドだった。

出国までにマザーテレサの本を読み漁ったのだが、特に彼女の言葉で印象的だったのが、記者からのインタビューに答えた言葉に衝撃を受けた。

記者:「世界平和のために何をしたら良いですか?」

マザー:「家に帰ってあなたの家族を愛しなさい。」

この言葉を聞いた当時、シンプルだけどとても重みのある言葉だなと感じた。

家族には血の繋がっている人もいればそうではない人もいるが、自分自身が家族と思える人であれば誰でも家族になれると私は思う。

まずは身近な人を大事にすること、そしてその身近な人を大事にするには自分自身を大事にすることが大切だなと痛感している。

孤独や生きづらさ、ありのままの自分、自分らしさ、愛情、人間関係、出逢いや喪失などいろんなものが絡み合って人生が動いている。

誰一人同じ人生を歩まないからこそ一人一人に魅力があるのに、争いや人を傷つけあうことが絶え間なく続いている現状に、時々希望と絶望が入り混じるよくわからない気持ちになる。

でもやっぱり思い出すのはドキドキとワクワクが重なり合う感覚の中、バックパックだけ背負って出発した時のあの感覚は今でも忘れられない。

ありがたいことにコルカタには日本人宿があり、一人旅で不安だったけれど全然孤独にはならなかった。

そしてエネルギッシュな日本人の友人との出会いや様々な国の方と交流ができたことで世界が広がっていった。

みんなそれそれ違うバックグラウンドを持っていて、世界一周中だったり、仕事に疲れていたり、自分を見つめ直すためだったり、いろんなきっかけを持ってインドに訪れてた。

また、マザーテレサの施設には各国からたくさんのボランティアが来ていて魅力的な方々と出逢うことができた。

看護師の資格を持っていたので、ありがたいことにシスターの補助として治療の手伝いもさせてもらう体験もできた。

ボランティアをしていて思ったことはボランティアをする人間がその仕事自体を "Enjoy" することが大切だということ。

どうしても病いや壮絶なバックグラウンドを持った方々への関わりとなると、自然にコミュニケーションが取れているつもりでも心理的な距離感やためらい、葛藤が出てきやすい。このような反応が起こるのは自然なことだとも思う。

しかし、欧米やヨーロッパ圏などあらゆる国の方々と一緒にボランティアをしたときに一つ発見があった。

もちろん悲しい時間や目を瞑りたくなることもあったけれど、"目の前にある仕事や瞬間を心から楽しめること"これは本当に大事なことなんだなぁと実感した。

例えば、一緒に踊ったり洗濯をするときにボランティアさんと療養されている方と一緒に歌を歌ったりしながら過ごしたりもした。

こんな感じでやることはやりつつ自由に過ごす感じがとても心地良かったし、難しく考えすぎていた自分の思考を振り返るきっかけにもなった。

それと、どんな場所でもそこにいる人たちの取り組み方で空気感や居心地なども変わってくるんだなとしみじみ感じた。

何が正しいケアで、何が間違ったケアなのかはわからない。

ただ、正しさや間違いとかを考える前に自分の求める気持ち、物事や感じたことに対して正直な気持ちでいることが大切であることは彼らから教えてもらった。

マザーが遺した言葉の一つに

「大切なのは、どれだけ多くをほどこしたかではなく、それをするのに、どれだけ多くの愛をこめたかです。大切なのは、どれだけ多くを与えたかではなく、それを与えることに、どれだけ愛をこめたかです。」

という言葉がある。

私自身、「愛」とは何か実際のところまだあまりわかっていない、というよりも言葉で表現することができない。

ただ人が生きていく上で欠かしてはならないものであることは確かで、愛にもいろんな見えないカタチがあるのかなとは思う。

この「愛」についてはまた整理ができたら綴っていきたい。

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