見出し画像

日本は「家父長制が根強く残る国」なのか? 〜夫婦別姓を巡る文脈で〜



みなさん、明けましておめでとうございます。

今回は巷でよく聞く「日本は『家父長制』が根強く残る国」という言説が本当に正しいのか、「選択的夫婦別姓制度」を巡る議論を元に検証してみます。

日本が「家父長制が根強い国」と主張する人達が挙げる根拠の一つに、日本において夫婦が同じ姓を名乗る必要があること、そして女性のほとんどが夫の苗字を選んでいることがあります。

しかし、日本の夫婦同姓制度では、夫婦の苗字を統一しなければいけないという決まりはありますが、夫婦どちらの苗字も名乗ることができます。法の上では平等です。法的に平等に選択できるにも関わらず、女性が男性側の苗字に合わせているならそれで良いのではないでしょうか?
それに、夫婦で同じ苗字を名乗ることが「強制的」なら、苗字や名前を名乗ることも「強制的」であると言えるのではないでしょうか?同姓が「強制的」かどうかということを突き詰めると、その他の名前に関する仕組み自体が「強制的」であるという考えに繋がります。そしてそれは、名前というシステムの否定にも繋がります。

家父長制の話題に戻りましょう。
そもそも、夫婦同姓=家父長制或いは父系社会とは限りません。中国も伝統的には父系社会ですが、こちらは夫婦別姓です。父の名を受け継ぎ、一生姓(氏)が変わらないという考え方です。姓が同じ者は祖先が同じであることを意味し、結婚することができませんでした(同姓不婚)。春秋戦国時代には現代のような仕組みになっていたようです。日本の武士階級も、同姓不婚の仕組みはありませんでしたが、同じような制度を採用していました。日本や欧米の夫婦同姓においても中国の夫婦別姓においてもどちらにも共通して言えるのは、子が父の姓を受け継ぐ点です。これこそが父系社会の特徴の一つなのです。
さらによくある誤解ですが、父系社会=家父長制ではありません。確かに、父系社会の中でも家長の権限が強い社会は「家父長制」と表現されることがあります。かつては同じ意味と捉えられるケースも多かったでしょう。しかし、必ずしも一致するものではありません。日本では、戦前の「家制度」が存在していた時代においては家父長制的だったと言えるでしょう。しかし、「家制度」が法的に崩壊した現在では「家長」の権限が絶対的であるという仕組みは残っていません。一部強権的な父親が存在するとは思いますが、どれほどの家庭が当てはまるのかは分からず、判断しかねるところがあります。

仮に「強制的」夫婦同姓制度をもってして現在の日本を「家父長制」と表現するのであれば、世界にも家父長制的な要素が存在する国や地域、民族、宗教が少なくないとしか言いようがありません。
中国以外に法的に夫婦別姓を選択することが可能な国でも、以下のようなケースが存在します。

・氏名の他に父の名を表す「父称」を名前の一部として公的文書に記載する国
(ロシアなど)
・父称由来の苗字
(インド・ヨーロッパ語圏など
 例:ジョンソン、マクドナルド、イワノフなど)
・父の名を名前の一部に使用
(南インド、イスラム教圏など、世界各地)

他にも探してみればあるかもしれません。

ヨーロッパも当てはまることに驚かれた人もいるかもしれません。元々インド・ヨーロッパ語圏では、キリスト教受容以前から父系社会という地域も少なくありませんでした。父称や父称由来の苗字はその時の名残りです。そして勿論、父系社会であると同時に家父長制というケースも散見されました。

*父称やロシアの名前の仕組み、名前のジェンダーに関する記事については以前書いたこちらの記事もご覧ください。↓


ヨーロッパで女性解放運動が盛んになったのは、こうした「抑圧」に対して異議を唱えるという意味があったからです。

日本が「家父長制が根強く残る国」というのは、日本や東アジアの事情に疎い西洋キリスト教圏から見た偏見なのではないかな、と思います。

(補足:2021年6月30日)
*ただし、キリスト教圏なら夫婦同姓とも限らないので、正しくは「西洋のうち、夫婦同姓文化圏の国から見た偏見」の方がより適切かと思われます。(↓詳しくはこちら)

欧米(主に北米、西欧、北欧)の人が日本の夫婦同姓制度を批判する場面を見かけますが、日本のことを色々言う前に自分達の属する社会について、きちんと調べて欲しいと思います。とはいえ、私もそういった文化を無くすべきとは思いません。ロシア人は目上の人を呼ぶ時に名前+父称で呼びます。父称由来の姓まで否定するなら、父称由来の姓を使う人が姓を新たに考え直さなくてはいけなくなります。いきなり廃止するのは現実的ではありません。最初の方に書いたこととも関連しますが、そもそも「人権」という考えが確立する前に誕生した名前のシステムに「人権」という概念を差し挟むことがナンセンスなのではないかと思います。

残念なのは、日本人の中にもよく調べずに彼らに同調している人達がいることです。調べた上で、或いは他に理由があって日本が「家父長制が残る国」と思うのはいいと思いますが、そうでないのに間違った情報を流すのはいかがなものかと思います。

この記事をきっかけに、少しでも日本に対する誤解が無くなることを祈ります。

*日本史、中国史において、厳密には「姓」と「氏」は異なります。中国における「姓」と「氏」の違いについては参考文献をお読みください。

参考文献
宮崎市定「中国古代史論」(平凡社選書、1988年)p.15、16、25、67、68、69、70、77
シャルル・メイエール 訳:辻由美「中国女性の歴史」(白水社、1995年)p.28
リチャード・ズグスタ『「スラブ」【スラブ人の社会構造】』(伊藤孝之・他編「東欧を知る事典」平凡社、1993年 p.231〜232)
福永正明、麻田豊「家族・親族」(辛島昇一・他編「南アジアを知る事典」平凡社、1992年、p.143〜144)
藤井毅「名前」(辛島昇一・他編「南アジアを知る事典」平凡社、1992年、p.511〜514)
和田あき子「女性」(川端香男里・他編「ロシア・ソ連を知る事典」平凡社、1989年、p.276〜278)
森安達也「人名」(川端香男里・他編「ロシア・ソ連を知る事典」平凡社、1989年、 p.286〜287)
栗原成郎「スラブ人」(川端香男里・他編「ロシア・ソ連を知る事典」平凡社、1989年、 p.305〜307)