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綿帽子 第四十九話

「おはよう」

「おはよう」

我が家は落ち着いている

「なんてことは起こり得ない!」

家に買い手はついたが、引っ越し先が見つからなければ何も始まらない。

俺は相変わらず原因不明な体調不良が続いているので、まだ電車に乗ることすらできない。

せいぜい二区間の移動が精一杯。
これでは現地に赴いて不動産屋に行くことすらできそうにない。

最大限の努力を繰り返してはいるが、こればかりは主治医に聞いてみないと判断すらつかないのだ。

このところ薬をもらっている精神科医は新薬を試さないかとかそんな話ばかりしてくる。

家を探しに遠出しなくてはならないと相談しても、だったら薬を何錠まで飲んで良いとか、そんな話にしかならないのだ。

東京の元々の主治医にも相談してみたが、できれば遠出は避けたほうが良いらしい。

そうは言っても行かなければ家が無い。

家が売れて当座の資金が確保できても、このままでは寝る場所すら無くなってしまう。

タイミングが悪い時にはタイミングが悪いことが続く。

お袋が引越し先の候補地として京都に拘っている。

俺は東京に主治医もいることだし、病院を新たに探すのは苦労が伴うので関東近郊にしようと提案していた。

しかし、聞く耳を持とうとはしない。

京都に拘る理由は何かと聞けば、叔母が仲良くしている姪が京都に住んでいるからだという。

「そんなこと?」

と、理由にならない回答に苛立ちを覚えざるを得ない。

そこに俺に対する気遣いはないのかと聞いてはみたけれど、同じ答えしか返ってこない。

そうか、それなら百歩譲って大阪ならどうだと切り出してみた。

お袋も最初のうちは大阪人は嫌いだとか、イメージ悪いとか色々言っていたが、話しているうちに大阪もなかなか住みやすそうだと思ったのか、それでも良いと言うようになった。

それならばと、予定日を決めて思いつく限りの地域の情報と不動産屋を探し始めた。

意外とスムーズに候補地が見つかりそうだ。
住みやすそうな環境な上に病院等のライフラインも整っている。

適度な値段で良さそうな物件を調べてお袋に伝えた。

「あのな、幾つか物件を見つけてみたから、見てくれ」

「何言ってんの、大阪は嫌やって言うたやろ」

「え?昨日大阪でいいって言ったじゃないか。頑張ってネットで調べたんだから見るだけみたらどうなんだ」

「そんなもん見んでもええ、大阪の人間は下品で好きになれん」

「何言ってるんだ、何で突然言うことをコロコロと変えるんだ、しんどいのにパソコンに向かって調べたんだぞ」

「とにかく、大阪は行きたくない。叔母さんもそう言ってる」

「え?そこに叔母さんの意思なんてまるで関係ないだろ、何を言ってるんだ?」

「やっぱり京都がええ、京都なら向日市の辺りがいい」

「え?しかも何で市内じゃなくて向日市なんて遠いとこになるんだ?」

「姪が近くに住んでるからいざとなったら助けてもらえるし、買い物行くにも連れていってもらえるって叔母さんが言ってた」

「いや、だからな。何で叔母さんの意見を聞いて、それに従わなきゃならないんだよ?大体俺は東京か、少なくとも関東にしてくれと言ってるだろ」

「お前にとっても叔母さんなんだから、お前が我慢しろ」

話にならなかった。

俺は今、出来る限り全ての力を使って物事をこなしている。

しかも、まともな状態ではない。

我慢どころか最大限にリラックスして全てを休め、回復に努めなければ明日も分からないのだ。

この事実を叔母は勿論のこと、実の母親が理解しているのか疑問に思った。

前々から感じていたが、風邪を引いて治った位にしか捉えていないのかもしれない。

特に叔母はそうなのだ。

自分が一度でも身の危険に晒されてみたことがあれば、少しは考えるとは思うのだが、人生で風邪ぐらいしか引いたことがない人間にとって『死』というものは果てしなく遠いのだ。遠い存在なのだ。

「それにしても、叔母の意見に何故そこまでお袋は従順なのか?」

これが一番解せない部分ではある。

常に息子よりも妹の意見を優先する姿勢が、俺に取っては非常に大きな山となり谷になっている。

お袋にしても、自分が心臓の手術をしたのは京都の某病院なので、向日市なんかで家を探せば交通の便も悪く、不自由になることくらいは分かって良い筈なのだ。

とにかく、叔母の言うことは全て却下するしかない。

お袋に強く言い聞かした。

そして大阪もしくは東京で考えるように、叔母の意見は通らないと進言するように伝えた。

本当に意味が分からない。

叔母にはこの家に一緒に住んでいるのなら、不動産屋との話にも積極的に参加して、代わりに話を聞いてくれるようにと何度も頼んだ。

しかし協力するどころか益々ヘソを曲げて、非協力的な行動に出るようになっていた。

手が空いてる時に買い物に代わりに行ってくれることすらなくなった。

「しんどい、だるい、めんどくさい」

もう聞きたくなかった。

今一番人の助けを必要としている。
それは俺だけではなくて、お袋もそうなのだ。

精神的にも肉体的にも支えとなるものが必要なこの時期に、同じ屋根の下に住む者が全く何も協力しない。

自分の要求のみを通そうとするその姿勢は理解するには程遠く、全身の痛みを益々増幅させていた。

翌日、朝の行事を一通り済ませてからお袋の返事を待っていた。

何も答えようとはしない。

我慢しきれず叔母に聞いたのかと尋ねてみた。

「やっぱり京都がええんやて」

「だから?叔母さんがそう言ったって何で従わなければならないんだ?」

「お前はそう言うけど、私にしても弟もいるし心強い」

「叔父さんは全くこの件に関して関係ないだろう」

「私に取っては弟や」

「あのな、叔父さんが俺に対してどういう態度を取ったたか覚えてるだろ?」

「お前には二度と関わりたくないだけで、私とは無関係やろ」

「あのな、何の理由もなく自分の都合で叔母さんを家に同居させるだけさせといて、都合が悪くなれば俺とは縁を切る?」

「親父が死んでからも叔母さん家で預かってるやろ?俺があの人達に一体何をした?俺は自分が一番困っている時に突き放されるばかりだったけど、それ分かっててそんな風に考えるのか?」

「お前が嫌われとるだけやろ、お前みたいな奴は誰にも相手にされんわ」

「相手にして欲しい人にだけ相手にしてもらえれば俺はそれでいいんだ、どうしても京都に拘るのか?」

「私の家やここは。私の家が売れたお金で私が何処に行こうとお前に何も言われる筋合いはない」

「そうか」

そうだ、それだけは一理ある。

一理あるが、この土地よりも暑さ寒さが厳しい場所に、わざわざこのタイミングで行くのか。

いまだに湯船に使っても寒くて凍えている俺に、それは酷だという考えは思い浮かばないのだろうか?

「分かったよ、好きにしなよ」

「じゃ、お前不動産屋調べてくれ」

「え?」

「私も〇〇もインターネットなんて分からへんし、お前が調べとき」

「何言ってんの、叔母さんに手伝わせたらええやろ。喋ったらお終いやろが」

「〇〇に言うたら、そんなん出来ひんて言うし」

「何言ってんの、面倒くさがってるだけやろ?」

「だからお前がやっとき」

「ああっ?」

もう何も言うことはなかった。
深いため息がため息の域を通り越して、息すらできそうになくなった。

とは言うものの、いつまでも意地を張っていても住む場所が見つかるわけではない。

不条理だと思ったが、京都の物件と不動産屋を調べてみることにした。

マンションと一軒家までを視野に入れて検索する。

阪急線沿線と近鉄線沿線で街中から離れるほど安くなる。
JR線沿線でも良いのだが、交通の便を考えると、その二つが良いように思えた。

手頃な所で、近鉄線沿線なら向島を越えて大久保から久津川の辺り。
阪急線沿線なら桂の辺りが手頃で住みやすそうに思えた。

パソコンで調べては、同じページをiPhoneで開きお袋に見せに行く。
お袋もiPhoneを使っているので、同じページを開きブックマークをして手渡した。

このページを開けば叔母さんに見せられるからと教えて、結果を待つ。

お袋に見せた時もこんな所はダメだ、この場所は嫌だと注文は多いが、実際に犬二匹が一緒に住める物件自体が少なくて選択肢は狭められる。

一匹で小型犬なら良いが二匹はダメだとか、希望する条件に値する物件自体が少ないのだ。

叔母さんからの返事が返ってきたようだ。

まず、久津川周辺は嫌らしい、理由は友達がその辺に住んでいるから。
大久保、伊勢田もダメなようだ。理由は叔父の家が近くにあるから。
桂に関しては、あんな所ええとこちゃうとか、市内から離れてるからと言ったらしい。

「それなら何処が?」

と、問えば伏見区が良いらしい。
そうでなければ向日市が良いそうだ。

埒が開かないので、自分でも叔母に聞いてみたが理由らしき理由を言わない。

問い詰めればやはり甥や姪の家が近いから近くに住みたいと言う。

そうか、そうなのだ。
全く話にならないのだ。

「あなたには何も主張出来る権利はないのですよ!!」

そこから始めなければならないのか。

この家を退去しなければならない期日まで一ヶ月を切っていた。


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