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二十代の、想像もしなかった学び

「君はこの映画で、自分自身であるという危険を冒さなくてはならないんだよ」とマイク・ニコルズがリハーサル中に言った。「君の中にある恐れや対立に、君自身が触れるようにしなければならない」とも言った。

(中略)

ただ感じることが必要だった。人生について考えるのではなく、自分の人生そのものを"感じる"。役柄を理解するのではなく"感じる"。自分を分析するのではなく"感じる"ことが必要だった。

(中略)

私がこれまで演じた役は、自分を知るうえでとても役に立った。たぶん私が女優になりたかったのもそのためだと思う。私は自分の持つあらゆる側面を体験したかった。役柄を演じている時に、思考を超越した感覚を感じたかった。計り得ないものを知りたかった。名前の付けられないものを理解したかった。

(中略)

あるがまま"ということは、たぶん創造の真の性格なのだろう。

シャーリー・マクレーン著 "DANCE WHILE YOU CAN"より山川紘矢・亜希子訳


近影

わたしは二十代前半に発症したアトピーと共に生きている。脚やリンパ節への全体的な湿疹と痒みから始まり、最近ではどうしてか顔に出る。ひどいときは真っ赤っかで、膿んだり、はたまたがさがさになったりを繰り返す。夜通し傷口に塩をすり込まれつづけるような痛みと痒みで一睡もできない。よりによって、いちばん目立つ顔。隠せない部分に。これには色んな意味がありそうだ、と思ったりする。食事療法や、考え方、ケアの仕方を学びながら毎日暮らしている。

舞台の稽古中も自意識が顔ばっかりにいってしまう自分をものすごく感じていた。とてもやりづらかった。本番も湿疹でガサガサ割れる顔にメイクを塗りたくっていくのはほんとうにきつかった。皮膚の悲鳴を間近で聞いているようでとても混乱した。

いつもすぐ側にいたアトピーのきょうだいの痛みをまったく知らず、今じぶんがその体験の真っただ中にいることにも整理がつけられないでいた。きっとその苦しみをずっと側で見ていて(見て見ぬふりをしていて)、アトピーはとんでもなくつらいこと、絶対になりたくないこと、そういうレッテルを無意識に貼っていたのだと思う。とても愚かなこと。

アトピーになって嫌なこと、許せないことが沢山あった。友人のすすめで、アトピーで何が嫌なのか、何が許せないのか、書き出してみた。そしたら、驚いた。痛みとかゆみ以外のすべてのことは、ほとんどたいしたことではないように思えた。それは初めは困難でも、じぶんの捉え方の問題で変えることができるものだった。たとえばこういうもの。

人から醜いと思われるのが嫌。人から同情されるのが嫌。自己管理ができていないとジャッジされるのが嫌。女優がアトピーであるべきではない。仕事時、炎症の上に無理して塗りたくるメイクアップがきつい。アトピーになるのは自分が自分をコントロールできていないからだ。気もちがマイナス思考になるのを止められないのが嫌。アトピーじゃない人を羨ましく感じるのが嫌。

アトピーになって嫌なことを書き出した

書き出すとふしぎと楽になった。自分が現実に不安という妄想を大きく投影していることが分かった。ずっとアトピーと闘う、という言い方をしていたじぶんに気づいた。それによってよりしんどくなっている、ということにも。

久しぶりに会ったその友人は、顔や首周りに赤く湿疹の広がったわたしを見て深いため息をつくと、開口一番「でもそれって才能だよ」と言った。それは生きにくさではなく、生まれ持った素直さのひとつだよ、と言われたような気がした。痛くてかゆくて夜も眠れないときはそんなふうに捉えられる余裕はまだないけれど、アトピーはわたしが引き受けたわたしの感受性のひとつなんだよと言われたような気がした。だからどうか消えてなくなれと願うのではなく、ゆっくり寄り添っていかなくてはいけないのだと。

アトピーの自分でもいい。そう思えるには時間がかかっているけれど、そう思えたときに治るのだと、思いのつよいその友人に励まされた。





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