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人に食べてもらう料理を作るということ

コロナ禍の2020年初め、料理サポート(あるいは出張料理)という仕事を個人で始めた。仕事や育児などで料理をする余裕のない人の代わりにそれぞれのおうちへ赴き、野菜中心の健康的な作り置きおかずを作る、というもの。他にもっとわかりやすい呼び名があったかもしれないけど(ケータリング?と聞かれることもたびたびあった)、とりあえずそう呼んでいた。

初めての料理サポートで作ったごはん
車麩の唐揚げ
スイスチャードや柑橘、きのこのサラダ
厚揚げと野菜の和え物

緊急事態宣言の時はさすがにお休みしたけれど、それ以外は平均で週3回、多い時は週4回のペースで約1年間。それぞれのおうちへ行って8~10品ほど作った。健康的な手作りごはんが食べたいけど忙しさで叶わない人たちに喜んでもらえたのは何よりの喜びだったし、個人的なことでいえばコロナ禍でそれまでの仕事がほぼなくなってしまったため、傾いた生計を何とか守っていくのにもとても助かっていた。ご依頼いただいた人たちの中には久しぶりに再会する旧友や知り合いのご紹介の方、はたまたSNSを通して出会った方などもいた。おひとりおひとりから本当にありがたいご縁と時間をいただいた。

2021年に入り、コロナの状況も変化した。元々やっていた仕事が忙しくなったことや、定期的に頼んでくれていた二つの知人家庭がこの春東京から遠くへ移住すること、またわたし自身も今年のうちに生活の拠点を東京から移したいという思いがあり、これはひとつのタイミングかなあということで、3月いっぱいで東京での定期的な料理サポートにはひとまず区切りをつけようとしている。
そんな背景はあるにはあるが、区切りをつけると決めたのにはもうひとつの重要な理由がある。

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初めの頃はとにかく喜びがあった。プロの料理人でもないわたしに、料理という命の糧を作るとても大切な行為を任せてくれていること。突如訪れたコロナによって辛辣さを増す世の中で、こうして働く場所を与えていただいていることへの胸をしぼられるようなありがたみ。

心を込めて作ったものは必ず「美味しい」「ありがとう」と言ってくれた。「込めた心は、ちゃんと伝わるんだ」と感じることはできた。他にも「めぐみさんのごはんを食べると元気がでる」「体の調子が良くなってきた」「めぐの料理は満たされる。頭じゃなくて心が」などなど、わたしにはもったいないほどの言葉をもらい、毎週毎週こんなに嬉しいことはなかった。

怪獣の人形がいっぱい
おいしいと喜んでくださったお豆のサラダ

ところが、数か月続けていくうちに想像していなかった葛藤が始まった。じぶんがが思う料理と、出張家庭で実際にしている料理がかけ離れていくのを感じるようになった。そして、それがどんどん辛くなってきてしまった。がまんすればいいのに、無視すればいいのに、わたしは傲慢かもしれないのだけれど。

たとえば、わたしの思う体に優しい食べものが、お客さんにとってもそうだとは限らない。わたしの体と心が良しとするものが、お客さんの体と心も喜ばせるとは限らない。もしカフェやレストランを運営しているみたいに、自分自身で良いと思う食材を選び、ふさわしいと思うメニューを作って出しているのだとしたら、事情は違ったのかもしれない。わたしはこういう背景があって、こういった料理を出しています。ここはそういうお店なので、それが食べたい人はぜひ来てくださいね、と。

ほんとうに良いと思うものを提供したかった。自分自身がたべもので苦しんだ経験から「これならきっと体とか、心にとってもいいと思う」と信じるものを作りたかった。でも時間や食材の制約など色々の都合でそれができるわけではなく、そして何より押し付けになるのは嫌だった。

そもそも、わたしが思う「健康」とお客さんの思う「健康」が同じではないとよくよく分かった。食材を選ぶ基準も、どんな味付けのものを、どれだけの品数食べたいかも、良しとするものは人の数だけある。そんな中で、わたしは一体何を信じて、どんな心構えでだれかに食べてもらう料理を作ればいいんだろう、ということが分からなくなってしまった。もうちょっと気楽に考えればいいんじゃない?と何度も自分に言い聞かせてみたけれど、どこかで心が落ち着かないまま、もやもやしたままやっているのはしんどかった。

忙しいだれかのほんの一助になれたら万々歳だと始めた仕事なのに、手づくりのごはんを口に運んで、一瞬でもホッと胸をなでおろしてくれたらそれで良かったはずなのに、心がぐさぐさするようになってしまった。皆この狂おしいほど忙しない現代社会で色々なことにかき回されながら、それぞれの持ち場でいっしょうけんめい生きていて、それを胸をしぼられるほどわかっているから、きっと料理で役に立てているだけでよかったのに。料理はわたしなりの応援のつもりだったはずなのに。わたしはきれいごとひとつ言い通せなかった。

わたしにとって「食」や「料理」っていったい何なんだろう?改めて考えた。命を育むもの。命とは、体と心。料理は、じぶんと人を生かしていく行為。プラントベースとか菜食とか便宜上そういう言葉も使ってきた。でもまだまだ答えはだせない。命を終えるときまで分からないと思う。

じゃあ、わたしにとって「食材」とは?
薬、というのが一番に出てくる。食べ物は薬。今から何千年も前にヒポクラテスは言った。「汝の食べ物を医薬とせよ、汝の医薬を食べ物とせよ」。自然が与えてくれたほんものを、感謝しながら、できるだけ手を加えない自然な形でいただく。あれこれ品数を増やす必要もなければ、わざわざ手のかかる行程を増やす必要もない。味付けでごまかさず、素材のまま何もしないのが一番美味しい。でもそれにはほんとうに美味しい種から自然な形で育った野菜でなければ、わたしがしぼりだした力ではおいしくできない。

感謝でいっぱいなのは本当だけれど、これ以上はつづける自信が今はない。だから、ひと区切りをつけることにした。お金をもらってだれかに食べてもらう料理をするとき、自我のようなものはいらないのかもしれない。じぶんが信じる基準は捨てなくてはいけないのかもしれない。
でも、料理といういのちを作る行為に関わるのに果たしてそれでいいのだろうか?わたしにはうまくできなかった。出張料理という形ではむずかしいというだけかもしれない。挑戦してみて気がつけたことだから、よかったと思う。学んだことをどうやってこれから生かせるのか、じっくり見ていきたい。

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それにしてもほんとうに、料理サポートで出会ったのは素敵な人たちばかりだった。いちばん長く通ったおうちのNさんはわたしよりひとつ年上で、サバサバしていてお洒落でじぶんの考えをしっかり持っている人で、二歳と一歳の双子、計三人のお子さんがいらっしゃる人。ご自身もはたらいているので、仕事に育児に大忙し。お父さんが仕事でほぼ家にいないので、わたしが作った料理をそのままみんなで一緒に食べたり、温かい時間を過ごさせてもらった。

その方とごくたまに深いお話をすることがあった。わたしがじぶんのすすむ道についてもやもやしているときにさりげなく言ってくれた言葉を今も忘れない。
「これだけ発展してるから成熟なんだと思っていた世界が、実はすごく未熟だってわたし分かったんだよね。だからさ、未熟な世界に自分を合わせることないよ。めぐみさんは結婚とか家庭とか未熟な考えに囚われないで、どんどん先へ行けばいい。リスクを負っても前へ進める人はそうそういないから、傷ついても立ち上がれる人は、多くの人を救えると思う。」
こんなかっこいいことが淀みない瞳で言える人に出会えたわたしはしあわせものだと思う。ありがとうございました。

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