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著書「自宅出産を経て」を全ページ公開しました【第四章:大空とは?】

第四章 大空とは?

 一、「大空」名前の由来


 大空は「だいくう」と読みます。大空とは仏教用語で、「人は本来大空のような分け隔てのない無限の可能性を持っている」といった意味があります。今までほとんど言ったことがないですが、大空という言葉は、以前、食養と望診法を学ばせていただいた和尚さんに教えていただきました。
 この言葉がなんだかとても心地よくて、そのままお借りしています。お越しいただく方お一人お一人に、いろんな可能性が無限にあるという意味も込めていますが、もしかすると、僕が僕自身に可能性を感じたかったのかもしれません。
 僕が偉そうに何かを知っているかのように振る舞ってはいても、昔から勉強ができるわけでもなく、運動ができるわけでもなく、大した仕事ができるわけでもない人間でした。そんな中で唯一のめり込んだことが「医療」です。その分野で誰かに認められたいという一心で自分をひた隠し、外面良く頑張っていたのだと思います。そんな自分にも可能性を感じたかったのかもしれません。そうして意気込んだものの、学ぶほどに、現代医学に違和感を覚え、整体技法を学びに行っても、東洋医学など古典医学の本を読み漁っても、その違和感は消えることはありませんでした。

 二、医療への違和感

 「僕は医学に対してどこに違和感を感じているんだろう?」
長い間言葉にできなかった違和感を最近少しずつ言葉にできるようになってきました。
違和感の理由は現時点で二つあると考えています。
 一つ目は、「治る方法を知ることが出来ても、なぜ治るのか?」という原理がわからなかったこと。
 二つ目は、「治療と名がつく行為は、その人の身体的、性格的な欠点を探して改善する行為」である点です。
 身体が痛い、慢性的な不調がある、メンタル的に辛い。これらは考えるまでもなく、「マイナスなこと」として捉えられ、そのマイナスを如何にして改善するかという一連の行為が治療(医療)とされます。
 しかし、必ずしも身体が痛いこと、不調をきたすのは悪いだけのことではなく、その不調の裏側では、身体のどこかを調整してくれています。それが本書で繰り返し述べた「身体の働き」です。

 強迫性障害という病名を知っていますか?
 色々なことが過剰に気になり、なんども確認を繰り返してしまう精神不調です。強迫性障害で悩む方は「普通に気にするくらいになりたい」と悩まれていて、「気にする」ということ自体が自分の欠点だと考えているケースが多いです。
 だけど、気にすること自体は欠点とは言えなくて、むしろ時と場合、仕事内容によっては「小さなことが気になって仕方がない人」でなければだめなこともあります。例えば、僕の家族が心臓を手術する必要があるのであれば、強迫性くらい入念に準備を重ねるお医者さんに手術してもらいたいですし。
 ケガや病気を欠点とみなして、改善していくか?それとも、患者様の身体や患者様自身に全幅の信頼をおいた上で、施術するのか?僕が長い間感じてきた医療への違和感は、どうやらこのあたりにありそうな気がしています。

 三、整体を追求したいから整体をやめる

 医療への違和感を言葉にでき始めた二〇二二年二月。
 僕は、看板から「整体」の二文字を取ることを決めました。

 その理由は、前述の通りで、整体という行為が「相手の欠点」を探し、それを改善する行為であるためです。
 僕は、相手の欠点を探して改善するために施術をしているわけではなくて、縁があって関わることになった方お一人お一人に、その人なりの人生を楽しく生き尽くしてほしいと思っています。僕が今まで学んできた知識も技術も、使うならこのために使いたい。今ではそうはっきり言葉にできるようになりました。

 以前の僕は、自信がない自分を誤魔化すためにたくさんの知識を学び、技術を習得し、その技術でもって、「俺、すごいでしょ?」と言いたかったし、そう思われたい。そんなことが自分のモチベーションで、そのために患者様の身体を利用していました。このことについて、今でも言葉では言い表せないほど罪悪感を持っています。誰のためでもなく、自分の承認欲求を満たしたいために医学を学んでいました。それでは、僕が学べば学ぶほど、ただただ病人が増えるだけで、僕は一体なんのために仕事をしていたのか?全くわからなくなっていました。

 この本を書いている現在、僕がこれからどういう活動をしていくのか不明瞭で、とにかく整体や医療ではない「なにか」に取り組んでみたい。そんな想いが今あるだけで、その「なにか」には名前もまだありません。かといって整体技術そのものを否定したいわけでは全くなく、僕が二十年近く探求してきた身体の知識と技術が一番活きるのは、整体という文字を使わなくなったこれからだと思っています。
 今まで来ていただいている方々をまずは大切にしつつ、少しずつ自分なりの道を歩いてみたいと思います。

 四、初心を大切に

 僕が医療の世界に足を踏み入れたのは、十八歳の時、スポーツトレーナーとしてスタートしました。

 専門学生だった十九歳の時、はじめてトレーナーとして立った現場は「高校女子ソフトボール部」です。大阪でも屈指の強豪校で、僕が自分から監督さんに懇願して活動させていただき、その時のキャプテンをしてたIさんは今でも何かあれば僕のところに来てくれています。当時の初心は、整体をやめた今の心境そのもので、二十年回り道を経て帰ってきたのは、やっぱり「選手の可能性を信じている」当時の僕の想いでした。遠回りですが、やっとスタートラインに立った気がします。

 本書執筆にあたりIさんが当時の僕の印象を文書にしてくれたので、初心を忘れないように記載させていただきます。

 ●学生時代、ソフトボール部で出会った三十代のIさん。

 私は高校生の時、ソフトボール部に所属していたのですが、そこへ見習いトレーナーとして来られたのが当時まだ十九歳の専門学生だった下大前先生でした。
 初めてお会いしたときから、とても真剣に部員のお話を聞いてくれ、悩みを受け止めてくれる先生だという印象で、私自身、いつもお話した後は気持ち的にすごく楽になったことを覚えています。
 それから数年経って、結婚し、一人目を妊娠した際に腰痛が悪化し、どこかいい整体はないかな?と考えた時に思いついたのが下大前先生でした。
 私は今、中部地方に住んでいるのですが、関西への里帰りの際にさっそくみていただくことにしました。
 施術を受けてすぐに感じたのは、とにかくリラックスできたということ。横になっていても緊張していると背骨が床につかないのが普通だったのですが、先生に体を軽く触っていただくと背骨が床にぴったり。とても癒やされ、帰り道の足取りが軽くて驚きでした。そこから、二人目の産後など、実家に戻るたび、下大前先生にお世話になっています。
 先生は、とにかく経験や知識が豊富で、インターネットや本にも載っていない情報を惜しみなく教えてくださいます。また、先生のお子さん達と私の子ども達の歳も近いので、あれこれ子育ての相談にものっていただけるありがたい存在。
 先生の施術は、身体を緩めてくれるだけでなく、今抱えている悩みや迷いをきっちりと相談でき、解決に向けて伴走してくださるので、人生で悩まれている方にオススメです。
 私自身、今は会社勤めの育休中ですが、いつかは子ども達にスポーツを教えたいと思っています。これも、お話することでモヤモヤした気持ちがリセットされてモチベーションが上がり、もっと成長したいと思わせてくれる先生の魅力のおかげですね!

あとがき

 本書は、自宅出産についての話と、その体験から僕たち家族が感じた「身体の働き」について述べてきました。

 冒頭にもお話したことですが、この本は自宅出産をおすすめしたい本でもなければ、妊娠中~育児のHОWTО本でもなく、妊娠出産の体験記を通して、僕たち家族が体験した「身体の働き」を皆さんと共有し、私たちが元々持っている身体の働きに改めて触れてもらいたい想いを込めて書き上げました。
 十八歳の時に医療の道を志してから約七年の間、医学に身体を治す力があるものだと思い込み、まじめに勉学を進めた結果、頭でっかちになり、肝心の「身体の働き」をすっかり忘れていました。そのことに気付かされたのは、僕が二十五歳の時に導法家『宮島充史先生』と出会ったことがきっかけです。宮島先生との出会いがなければ僕は今とは一八〇度違う道を進んでいたことだと思います。

【お前は病気をみていて、人をみていない】

 あれから時が経ち、整体の経験、自宅での出産経験を経て、道半ばですが、その言葉の意味を少しずつ確信し始めています。
「医学を知ることが治療の全てだ!」と息巻いていたあの頃の僕は、たしかに人一倍医学を学び、いろいろな人に会い、ほぼ休みなく勉強と練習をしていて「知らないことはない!」と調子に乗っていました。

 それから十年。医学ではなく「人」を学び始めて十年、その結果辿り着いたのは「十年前よりはるかにわからないことが増えた」だけでした。
二十歳過ぎの頃よりも、圧倒的に今の方がわからないことだらけで、今でもわからないことが多過ぎて、投げ出したくなる時があります。経験すればするほど、わからないことが増えるのが身体のおもしろさで、身体がやってくれていることは僕たちの人知をはるかに超えています。その働きに触れるたびに「身体ってすごいな」と感動の連続です。

 医療そのものに力があるわけではなく、医療の力を利用できる「身体の働き」があって初めて、医療は医療としての効能を発揮することができる。僕たち医療者がみるべきは検査数値や診断基準ではなく、目の前の「人」です。向き合うべきは電子カルテではなく、目の前の「人」です。
 現代は病気ではないけれど、どことなく元気がなく、健康不安に怯え、生きるために生きている人をよくみます。医療が結果として、そういう人を増やしてしまった責任があると思っています。本来の医療は病気を治すためではなく、その人の活き活きとした身体を育むためのもので、そのことを医療を施す側も施される側も忘れてしまっているのかもしれません。もしかしたら「施す・施される」という言葉にも落とし穴があるかもしれません。
 こういう話をすると「人の治癒力を信じろってことでしょ?」「ちょっとオカルトじみてる」と言われることも多々あります。
でも決して、考え方や宗教でもなく、非科学的なオカルトの話でもなく、今この時も、僕にも、あなたにも身体が働いているからこそ、こうして生きることができています。薬を飲んで、身体が良くなるのは薬の効能ではなく、薬を活かすあなたの身体があってこそ、薬が薬として作用できています。
 本書の話をにわかに信じることができなかったとしても、無理に信じようとする必要もありません。なぜなら、この内容は信じられるかどうか?は全く関係なく「そうでしかない」働きのことを書いているにすぎないからです。

 新型コロナウイルスの影響で生活が激変し、健康不安を感じる方がかつてないほどに増えた現代でした。二〇二二年もコロナが終息するのか不透明な状況です。
「どうすれば健康を保てるか?」早期検査、予防医学、ごまんとある健康法の「手法」では、もはや健康不安が解決する日が来ないことは誰しも感じているのではないでしょうか?
そんな時代を生きる僕たちだからこそ、当たり前になりすぎて実感することもない「身体の働き」を、改めて考えられる時がきています。

 健康法では健康になれる日は来ません。健康法がなぜ健康法として成り立つのか?この働きを知って初めてスタート地点ではないでしょうか?

 本書は入門編として身体のことを知らない方にも極力読みやすいよう工夫して書きました。この本をきっかけに、本来身体が持っている働きに触れるきっかけになれば執筆者として嬉しい限りです。
 皆さん自身の日常生活で、少しずつ「身体の働き」に触れてみてください。それを感じるほどに、身体に対する信頼が生まれるはずです。本書がそのきっかけになればこの上ない幸せです。
 最後までお読みいただきまして、本当にありがとうございました。

二〇二二年三月七日

大空 下大前陽介


(おしまい)


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