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著書「自宅出産を経て」を全ページ公開しました【第二章:自宅出産】

第二章 自宅出産


 さて、ここからは自宅出産体験記です。

 自宅出産や妊娠から出産のお話がメインですが、私たちの身体にある素晴らしい働きについても書いていきますので、出産に興味ない方もぜひ読んでいただきたいです。

 一、お産はうんちと一緒

 この言葉は妻が二人目を妊娠した時の言葉です。
普通に考えて頭どうかしたん?って言いたくなる言葉ですよね。でも、僕はこんな言葉を普通に言える妻をとても尊敬しています。
 僕自身、現代医療でどっぷり活動してきたので、「妊娠したら病院に行くもの」と思い、無自覚に妊娠は病気に近いものという認識を持っていました。
でも、妻にこう言われて「確かにな~」という納得しかありませんでした。

 当たり前のことですが、妊娠は病気ではありません。今でこそ僕は、妊婦さんをたくさん施術させていただきますが、妊婦さんを施術し始めた十年ほど前は「妊婦」というだけで、施術をすることに抵抗を覚える自分がいました。
 だけどよく考えれば、なぜ「妊婦さん」を施術するのは気構えるのに、それ以外の人は気構えることなくいつも通り施術できるのか。よく考えると矛盾だらけでした。
「何かトラブルがあって自分のせいにされたら嫌だから?」当時を振り返るとそのくらいしか理由が思い付きません。とても無責任なことです。

 結果として流産などがあっても「妊娠成立」される方は夫婦ともに健康体で、そういう方の施術をする時に一体何を恐れていたんだろう?と今では思います。
妻に「お産はうんちと一緒」と言われた時に、改めてこのことを再認識させられました。

 私たちは日常を過ごす中で、

 「病気にはできるだけなりたくない」「できるだけ健康でいたい」

そんなふうに考えていますが、

「そもそも病気ってなに?」「健康ってなに?」

と言われると、途端に【?】になりませんか?
僕自身も医療現場にいたにも関わらず、「健康とは何か?病気とは何か?」と、ある時期まで考えることすらありませんでした。

 当たり前のように、
 「病気は治すべき悪い事で病気を治すことが人の役に立つこと」
 「病気にならないことが健康」
疑うこともなく、そんなふうにしか考えていなかった時期があります。

 健康を目指し、病気を治す職業なのに、健康や病気について真剣に考えることもなく、治療と称して整体を行っていて、これほど無責任なことはありません。車屋さんなのに、車のことを全く知らないのと同じです。

 自宅出産を通してたくさんのことを学びましたが、最大の学びは、

「なにか特別なことをしなくても、身体はうまくいくように働いてくれている」

ということでした。

 そのことを我が家の三人のお産を振り返りつつ、お話します。

 二、第一子『岳(がく)』


 ●思い出深い一人目の妊娠

 「妊娠したっぽい」

 二〇一六年の夏。帰宅後に妻からそんな言葉を言われ一瞬頭が「?」に。
「俺が親になる?」という戸惑いも多少はあったものの、それよりも喜びの方が大きかった記憶があります。

 長男、岳の出産は妻の実家が奈良なので、実家近くの産婦人科で行いました。
 一人目だったこともあり、産後は妻の実家で一ヶ月ほど過ごす予定だったことと、妻の妹もこちらの産婦人科で出産したとのことだったのでとりあえずここでいいか、と、特別なこだわりもなく産婦人科を選びました。
 初診の時は、僕に内緒で妻だけ健診に行き、帰宅後に「妊娠したみたい」と言われたのですが、正直、自分が親になった実感が出てきたのは、長男と家族三人で暮らすようになってからで、妊娠したと言われたときも、出産直後もすぐには親になった実感はありませんでした。男はそんなものなんですかね?
 妊婦健診では、ありがたいことに大きなトラブルもなく順調に進み、お互い仕事をしており、なんだかんだバタバタと過ごして、気づけば出産間近…という感じでした。
 僕たちの通った産婦人科は、五十代くらいの先生が一人で切り盛りしている小さな産院で、健診に行っても特に待たされることもなく、スムーズに進みます。
「この産婦人科は大丈夫なのかな?」とも思いましたが、後々うっすらその理由を知ることになります。
 とある健診の日、その日はちょうど親子教室だったので、妻と二人で産婦人科へ行きました。
 「親子教室って一体何をするのだろう?」
詳しくは知らなかったのですが、内容はお産前後の簡単な流れと、産み方、先生に怒られないための注意点のような解説を助産師さんがされていました。
 その指導内容を簡単にまとめると次の通りです。

・分娩中どんなに痛くてもしんどくても身体を真っ直ぐに保つ
・痛みが強くても叫ばない(先生がイライラするので)
・骨盤は少し後傾(腰を反らさない)に保つ 
 ※たぶん先生の視点から見えにくくなるから

 この三点でした。

 助産師さん曰く、
「この三点を守れないと先生が怒って機嫌が悪くなるので、絶対に守ってください」だそうです。
「いや、出産真っ最中の妊婦には全部無理やろ??」
「そもそもなんで、あんたらに気遣って産まなあかんねん??」
 この教室なんや?という違和感を感じつつ、僕は無限の彼方へ。(居眠り)
目覚めたら親子教室は終わっていました。

「産婦人科での出産ってこんな窮屈なん?」

 もちろん産婦人科ごとにスタイルは全然違いますし、先生との相性もありますので、たまたま通った産婦人科のスタイルが僕たちにとっては窮屈に感じただけなので、産婦人科での出産全てが嫌だというわけではありません。ちなみに僕らが通った産婦人科も実は人気があるようで、そのスタイルが心地よい方々もいます。
 あくまで僕たち家族の感じ方ですので、そこはご理解いただきたいですが、この時点で感じた産婦人科での出産に対する正直な気持ちでした。

 その時は、「次、子どもができたら自宅で出産しよう」という考えにはなりませんでしたが(選択肢として無かった)、今思えば、病院を窮屈に感じていなければ自宅出産しようとは思わなかったので、長男の岳を取り上げてくれた先生、産婦人科の皆さんには心から感謝しています。


 ●産気づく

 大きな問題もなく毎回「問題なし」が続く妊婦健診ですが、健診日は妻が基本一人で大阪から奈良の産婦人科まで車で一時間ほどかけて通っており、親子教室がある時や、僕の仕事が休みの時は妻と一緒に産婦人科へ行っていました。当時は、整体院の開業準備中だったこともあり、開業準備以外は基本的には暇していたんですね。
 出産予定日が四月四日だったので、約一か月前の三月初旬から妻は実家に泊まり、僕は大阪の家に残り仕事をしていました。
 岳が生まれる前日の三月十五日、妻から連絡があり、
「夕方頃から少しお腹が張る感じがあって産婦人科に電話したらとりあえず来てって言われた」
とのことで、大阪から急いで奈良の妻の実家へ直行し、そのまま妻と義母を車に乗せ産婦人科へ向かいます。
 病院に到着したのが二十一時半頃。この時点で子宮口は五センチほど開いていました。(子宮口全開は十センチです)
 しかし、深夜十二時をまわってもなかなか陣痛が強まる気配がないので、もろもろ相談の上で陣痛促進剤を使用することになりました。
 陣痛促進剤の錠剤を一時間おきに六回ほど飲むも、陣痛は強まらず…
 三月十六日の午前六時すぎから陣痛促進剤の点滴を行うことになります。そのおかげか子宮口七センチまで開くも陣痛は微弱のまま。
妻と一緒に僕も徹夜で、時々仮眠をとりつつ過ごしてました。義母は百貨店に買い物に行くほど余裕がありました。(義母にとっては当時で三人目の孫なので)

 なんだかんだで、その日は早朝からずっと陣痛促進剤の点滴が続き、結局三月十六日の二十時半ごろに先生が「赤ちゃんが疲れてきているみたいだから、破水させよう」ということで、先生の手によって破水させました。
破水とは、子宮の中にある赤ちゃんを羊水とともに覆っている「卵膜」という膜が破れることで、通常は自然に破れて赤ちゃんが生まれますが、今回は赤ちゃんの心拍が少し下がってきていたので、早めに出産した方が安全という先生の判断で、破水させましょうということになりました。
 破水させると一気に陣痛が進み、どんどん痛みが強くなっていきます。
陣痛が強まり妻が苦しんでいるのをサポートしてくれたのは義母で、その時僕は病室で睡眠中でした。

「そろそろ産まれそうかな?」というタイミングで起こしてくれたのも義母で。
起きると、まるで僕を待っていたかのようにどんどんとお産は進み、
妊娠三十七週二日の三月十六日二十二時六分に無事出産となりました。
 

 結果的に、お産にかかった時間は約二十四時間。妻も相当体力を消耗してたので、その日はぐったりしており、もう動きたくないという感じでした。
一旦僕は帰宅しましたが、翌日に妻から「病院のご飯が少ないからお米を持ってきて」との連絡が来て一安心。大量の白米と、産後の出血を補う「ごま塩」を作って翌日に産婦人科に行きました。

 ●入院生活

 初産婦の産後の入院日数は通常約五日~六日間程度で、入院生活はタイムスケジュールがある程度決められています。母子の体調管理や、沐浴(赤ちゃんのお風呂)、母乳指導(前後の体重測定)など、とにかくやることが盛りだくさん。結構忙しくて、もっとゆっくりさせてくれるものだと思ってました。
 しかも、すべてが初めてのことだらけなので、どれが大丈夫でどれが異常なのかも判断がつかず、「分からないことが分からない!」といった状況。
その上、産後の身体でそれをこなすわけだから、本当に本当に大変なことなんです。

 そんな管理された入院生活が妻にとっては窮屈で仕方なかったようで。妻は誰かに何かを管理されたり、こうしなきゃいけないと言われることが本当に嫌いな人です。
 通常、授乳前後に体重を測定してミルクを何グラム飲んだか、何時に起床して、何時にミルクをあげ、何時にうんちが出たか…という記録を残すらしく、産婦人科から記録用のノートをいただいたのですが、そのノートを病棟のゴミ箱に捨てて帰るくらいでした。
 ご飯はめちゃくちゃ美味しかったそうですが、妻にとっては決して居心地のいい入院生活ではなかったみたいです。
僕も沐浴指導を受けたのですが、助産師さんにとても厳しく指導されました。当時は新生児の抱っこもままならない状態なので、うまく沐浴できるはずがありません。「首の持ち方はこう!」「その手はこっち!」みたいな感じで厳しかったです。
そのおかげで、今は沐浴が得意ですが。


 ●「産まされた」という感覚

 岳の出産を振り返ると、「産んだ」という感覚よりも正直「産まされた」という感じが強かったです。(表現がよくないですが)
 前述の通り、産婦人科での出産を全て否定したいわけではもちろんありません。赤ちゃんの心拍が低下してきたため、安全を優先して先生が判断してくださったことは間違い無いですし、結果的には母子とも無事なので、産婦人科への不満は一切ありません。
 しかし、「もし、陣痛促進剤を使わなかったとしたらどうなっていたんだろう?」と思うことはあります。
 微弱陣痛が続いたのは、「もしかするとまだ産まれるタイミングではないから陣痛が強まらなかったのかな?」と思うこともあり、病院での出産を実際に体験すると、色々と疑問に感じることも出てきました。後々、岳は出産時に臍の緒が首に巻きついていたことがわかり、それもあってお産が長引いたのかもと説明がありました。
 結果的に無事に生まれてるからいいじゃないか?とも思いますが、どことなく違和感の残る出産でした。



 ●病院以外で出産したい

 これは、岳の出産を終えた僕たち夫婦が感じたことです。
病院で出産することがすべて悪いとは全く思いませんし、その考えは今でも変わっていません。病院出産のメリットはたくさんあって安心感もありますし、何よりトラブルがあったときは絶対に頼るべき場所であり存在です。

 それは間違いないのですが、一方で、妊娠して出産するということが自然な現象ですし、身体が本来「妊娠して出産する」という働きを持っているのであれば、

【その働きに任せてみてもいいじゃない?】

という考えに夫婦でたどり着きました。

 この時はまだ「自宅で産む」という選択肢はなく、次は助産院で出産したいという考えで、とにかく病院じゃない場所で出産をしたいという思いは確信的でした。

 

三、第二子『藍(らん)』

 

 ●自宅出産を断られる

 二人目、藍の妊娠が分かったのは二〇一八年の初夏。
夫婦で迷わず「今回は病院以外で出産する」という選択をしました。当時はまだ、病院以外で出産する場所としては助産院しか知らず「自宅で産む」という発想自体ありませんでした。
なんなら「自宅で出産」と聞くと、訳ありで家族に言えない妊娠や、事情があって病院に行けないケースなどをニュースでみかけることしかなく、無自覚のうちに少し偏見すらもっていたかもしれません。

 なので、まずは助産院を探すことにしたのですが、家の近くで助産院なんて聞いたこともないし、インターネットで検索しても、出てきた助産院はそこそこ自宅から遠い。
調べていくうちに、病院を含め、普段と違う空間で出産することに、
「妻自身にストレスがある」ということがわかりました。

「もし自宅に助産師さんがきてくれるなら、いつもの空間で、家で産みたいな~」
という感じだったので、「東大阪 自宅出産」というキーワードで調べたのですが、
二〇一八年当時、ほとんど情報らしい情報はありませんでした。

 「どうしようかな?」「その前にホンマに自宅で出産とかできるの?」

と諦めかけていた時、たまたま僕の『大空』に患者様としてこられていた助産師さん(Hさん)がいたので聞いてみることにしました。
 Hさんに聞くと、「この近くで自宅出産のサポートをされている助産師さん知ってるよ」ということだったので、早速お名前と連絡先を教えていただき連絡を取ってみることにしました。この方が後に二人目と三人目の出産をサポートしていただいた、ゆっこ助産院の、かわちのゆきこさん(ゆっこさん)です。

「自宅で出産したいんです。」

と妻がゆっこさんに相談し、僕は普通に受けてくれるものと完全に思い込んでいました。

 しかし、答えはそうではなく、返事を聞くと「断られた」とのこと。
「ホンマに??」と一瞬思いました。
 お返事の内容は次の内容でした。

=========

「先程は、お電話で失礼しました。
気になる助産院さんがあればご連絡くださいね。

まだ時間がありますし、来週でも再来週でも、病院の初診には間に合います。
色々な助産師さんと会ってみて下さい。
フィーリングも大事ですしその助産院の雰囲気やこだわり、嘱託医のことも聞いてみてください。

当院と、ご縁がありました際は、お力になれるように寄り添わせていただきます。
舞さんのリラックスできる、楽しくベストな妊娠、出産になりますように~。」

(原文まま)

=========

 ゆっこさん、やんわり断りすぎ。笑

 その前に妻と電話で話していたそうで、ざっくり断られた理由をまとめると、前述のような内容でした。

「申し訳ないのですが、他の助産院のサポートとして自宅出産介助の経験はありますが、自分がメインでのお産介助はまだやったことがなく、自信もないので、他の助産院を紹介しますから、そちらに依頼してもらえませんか?」                          

 「あれ?自宅出産をしている助産院さんだと聞いてたのにな?」と思ったのですが、どうやら助産師さんは近隣の助産院同士、横のつながりがあってお産を介助するメインの助産師さんと、それをバックアップする助産師さんがいるようで、「そう言う意味だったのかな?」と思いつつ、でも、なんとなくこの人にお願いしたいなという直感が働く僕。


後で知ったことですが、ゆっこさんは助産院として開業こそされていましたが、自宅出産の依頼が当時はまだなかったそうです。僕らもですが、そもそも現代では自宅で産む選択肢がほぼなかったので、当然と言えば当然です。

「そうかあ~じゃあ仕方ないな~」とも思いましたが、なんとなく「この人がいいな」と感じてたので、もう一度頼んでみようということになりました。
なぜ僕がそう思えたのかわかりませんが、正直に「自信がない」と言えるゆっこさんに安心感があったのだと思います。

 出産する時は、無事に、そして当たり前に産まれてくるものだという認識を持ちがちですが、実際の産婦人科領域は原因がわからない流産や死産もあります。
僕も患者様で過去にお二人死産され、産後のケアに携わったことがあります。
親友の奥さんにも妊娠後期での死産がありました。三人ともはっきりした原因は分からず、ただそこに死産という事実があるだけ。

「何があるか分かるようで産婦人科医ですら分からないことが起こる」

それがお産なんだと痛感していました。なので、自信満々な助産師さんより「自信がないと言える助産師さん」の方が安心できたのかもしれません。

「初めてのお産でも構いませんので、自宅出産のサポートをお願いできませんか?」

再度、そうお願いしたところ、了承していただけました。
 僕らが相談した当時のゆっこさんは開業以来自宅出産の依頼がなく、助産院を畳んで、もとの産婦人科勤務に戻ろうかどうかを悩んでいたそうで、僕らが依頼しなければ、もしかしたら助産院をやめていたかもしれないそうなんです。実際引き受けるかどうかもかなり悩んでくれたそうで、助産師さん仲間にも相談して「道具も貸すしサポートもするからやってみなよ」と後押しもあって、引き受けてくれることになりました。
この時ゆっこさんが引き受けてくれて本当によかったです。

 自宅でのお産介助経験も少なく、出産に必要な道具もない。だから断ったのに、それでもしつこくお願いする僕たち。かなりうざい奴らだったかもしれません。笑
 ゆっこさん、あの時はごめんね。そして、ありがとうございます。


 ●いざ、自宅出産へ

 さて、自宅出産をお願いしたものの、正直「自宅で産む」という以外、自宅出産がどんなものか全く分かっていませんでした。
それもそのはずで、今の日本では自宅出産がほとんどなく、時代劇で産婆さんが「お湯沸かして!」みたいなイメージしかありません。

 ゆっこさんに自宅出産とは具体的にどんなもので、どう進めていくのかの説明を受けていくにつれ色々と分かってきました。
説明内容をごく簡単にまとめると…

・自宅出産とはいえ、妊娠の確定診断・初期・中期・後期は嘱託病院に行く必要がある
 (各種検査のため)
・病院での妊婦健診の結果次第では自宅で産めないこともある(逆子など)
・妊婦健診は助産院に行くかゆっこさんに来てもらい自宅で行うかのどちらかを選べる
 (往診の場合は往診費用が少しかかる)
・妊婦健康診査受診券(補助券)は病院と同じく使える
・出産後五日間はゆっこさんが毎日健診に来てくれるが、身の回りの家事などは家族で行
 うためその準備をしておく必要がある

 概ねこんな感じでした。
 我が家の場合は、岳もいたのでゆっこさんが来てくれた方が楽なのと、いざ出産するときに家までの道順や、家の間取りなどをゆっこさんに知ってもらうため、妊婦健診は往診に来てもらうことにしました。

 妊娠中は、妊娠の確定診断と初期・中期・後期とそれぞれ病院にて所定の検査項目があります。自宅から十分ほどのところにNICU(新生児のための集中治療室)のある大きな病院があり、ゆっこさんが以前助産師として勤めていた病院でもあったので産婦人科の先生とゆっこさんが顔見知りのため意思疎通が取りやすいことから、そちらの病院に通いました。



 ●順調に進む二人目の妊娠生活

 妊娠経過そのものは岳の時に続き、大きなトラブルもなく順調に進んでいきました。

 ですが、今回問題だったのは家族や親族に「自宅で産む」ということを伝え、理解と協力を得ることでした。
僕たち夫婦だけで解決できることなら、周囲の理解を得られなくても突き進めますが、自宅で出産するとなると、家族の協力なしでは難しいので、自宅で産むことをきちんと伝えて理解と協力を得る必要がありました。

 結果的には、お互いの家族も理解してくれて、十分すぎる協力をしてもらうことができましたが、「自宅で産む」と言った当初は、困惑の顔色でした。
 僕たちがわざわざ自宅で産む理由って「そうしたいから」ということでしかなく、当然病院で産んだ方が安全なのになぜ?という意見があります。

 僕たちに直接「病院で産んだ方がいいんじゃない?」と言ってくれるなら、そこで理由を伝えることもできますが、遠回しに言われることもあり、なかなか全員の理解を得ることは難しかったなと思います。
 とはいえ、直接的に産前と産後にお世話になる家族の理解は得られましたし、特に産後はお互いの親や兄弟姉妹が自宅を出入りして協力できたり、今までにはないくらいお互いの家族同士で会話があったりと、普段はない状況が生まれたことも自宅で産んで良かったことの一つです。

 僕も産後は二週間ほど仕事のお休みをいただいて、家事をしようと準備をしていましたが、有難いことに、義母や義妹、僕の両親が食事を作ってくれたり、家の掃除や赤ちゃんの沐浴までやってくれたりと、僕はほとんどやることがありませんでした。
(あまりに暇すぎて一人登山に行った程)

 自宅出産を希望される方で問題になるのが次の二点です。

 ・大きな病院が家からできるだけ近い距離にあるか?

 ・家族や親族、家事代行サービスにサポートしてもらえるか?

  とくにサポートについてはご両親が遠方であったり、ご高齢でサポートを得るのが難しい、上のお子さんがいる場合は旦那様の勤務時間などいくつか問題が出てきますが、
ここをクリアできる方であれば、病院での検査をしっかり行って挑む自宅出産は、病院出産と比べてもリスクはそこまで高いわけではないので、選択肢の一つとしてありだと思います。


 ●僕らの両親の不安

 前述の通り、自宅出産を行うには、両親をはじめ親族のサポートが欠かせません。

妻の母には自宅で産むことを伝えるとすんなり了承してくれ、産後の手伝いにもきてくれるということになりました。
 一方で僕の母は、了承はするし産後のサポートもしてくれるとのことでしたが、やはり現代においてわざわざ自宅で出産することへの不安はあるようでした。
 また、僕の知らないところで親族からも「自宅で産む危険性」を言われることもあったようで、僕から説明するよりも、ゆっこさんと話してもらおうということになりました。

 自宅での妊婦健診の日、僕の両親も来てもらい不安に感じることをたくさん質問してもらい、リスクのこと、妊娠中にトラブルがあれば自宅出産は不可になることなどいろいろな説明を受けてもらいました。
 

 やはり、自宅出産=危険なもの。というイメージがどうしても先行しています。そこには正しく自宅出産を知らないということが理由になっているので、自宅出産に興味があるけど不安という方は、ぜひ助産師さんに不安なことを質問するのがいいかなと思います。

 人生に何度かしかない出産なので、実際に出産する家族の希望をできる限り実現できればいいかなと思います。



 ●長女「藍(らん)」出産

 二〇一九年二月六日、午前二時五十一分に藍が誕生。
予定日は二〇一九年二月十九日でしたが、三十八週と一日で出産になりました。
 二人目の余裕なのか、前日の二月五日は先輩の家でカニすきを食べて遊んでいたんです。「カニでも食べてお産に備えたらええやん」みたいな感じでワイワイ遊んで、二十一時頃に帰宅しました。

 帰宅後、お風呂に入った後に妻の身体を施術すると、いつにもない「お尻と腰からの圧力」を感じました。数日に一度くらいの頻度で、妻の身体を観察するために施術をしていたのですが、この二月五日の二十二時すぎに背中へ触れた時は、今までとは明らかに違う感覚がありました。とはいえ、この時点で妻に伝えると、ソワソワして寝られなくなるかなと思ったので、伝えずにそのまま就寝。
 後日談ですが、実はその夜の入浴時におしるし(少量の出血)があったらしく、妻も今日かな?という感じがあり、寝る前にゆっこさんに一応連絡は入れていたそうです。
 病院出産のときはこの時点で病院へ連絡して行くことになると思うので、この状況でも家でゆったり過ごすことができるのも、自宅出産の安心感です。

 二十三時頃に就寝しましたが、二月六日の深夜一時二十分頃「少しお腹が張る」という妻に起こされて、しばらく様子を見ていました。まだ余裕のある感じですが、ゆっこさんに連絡を入れます。

 そしてここから僕も働きます。
僕の最初の仕事は部屋の温度を上げることでした。二月の深夜なので大阪といえども室温は一桁。あらゆる暖房を入れて室温を二十五度まであげて、出産後に着せる新生児用の衣服も温めます。
お腹の中はとても温かいので、お腹の外に出てくると赤ちゃんにとって寒暖差がすごいのです。二十五度まで室温が上がると、僕は暑くて半袖短パン。
 お産用の布団に防水シーツを敷く頃には、妻はお腹の痛みで動けなくなっていました。一時四十五分頃にゆっこさんが自宅に来てくれた時には、うつ伏せでぐったり状態に。
 その後、ゆっこさんの妹さんである助産師のまきさんも到着。
 (北海道中標津町から、僕らのお産のために来てくださいました)

 お産で妻が苦しんでいる時に、「助産師さんがきてくれた!」という安心感たるや半端ではないです。お産で頑張っている妻にも、サポートしていただいている助産師さんにも本当に頭が上がりません。

 皆さんの支えがあったおかげで、お産に要した時間は岳の時よりはずいぶん早い約四時間。
二月六日の午前二時五十一分に無事出産となりました。

 よく経産婦(二人目以降)はお産の進みが早いと言うのですが、今回は産気づく二時間前まで先輩の家にいたので、危うく先輩宅で出産になるところでした。
 二人目はお産の進みも早いし、ちょっと余裕もあり油断しがちなので、気をつけないといけませんね。とはいえ無事に生まれて何よりです。
 自宅出産をして感じたことの一つに、当たり前のことかもですが、助産師さん(産婦人科の先生も)は、予定日近くになると常に待機状態になるので本当に大変で、お産に関わる仕事は過酷で、半端な気持ちではできないことです。心からの感謝と尊敬しかありません。
 病院であれ、助産院であれ、お産を支えてくださる方々は、その分犠牲にしなければいけないことはたくさんあるのに、僕たちサポートしてもらう側は、当然のように受けてしまいます。一つ一つのサポートが本当にありがたいなと感じました。

 一人目の岳は病院で、二人目の藍は自宅で、それぞれのお産を体験してみて、今後も可能であれば自宅で産みたいし、もし次に妊娠する縁があればゆっこさんにお願いしようと話し合うこともなく夫婦で決まっていました。



 ●自宅出産の費用
 

 時々「自宅出産って保険は使えるんですか?」と尋ねられることがあるので、出産の費用について簡単にお話します。

 自宅出産とはいえ、妊娠初期・中期・後期と病院健診が必要になります。それ以外の通常妊婦健診は助産院に行くか助産師さんに来てもらい自宅で行うかのどちらかを選べますが、どちらにしても妊婦健康診査受診券(補助券)は病院同様使えます。

 出産費用についても、出産一時金四十二万円が使えます。それ以内の費用で収まっていれば返ってきますし、はみ出た分だけ支払うというのも病院出産と同じです。(我が家の場合は五万円程の支払いでした)

 費用の設定は助産院ごとに異なるので、負担金など詳細に関しては、近隣助産師さんに確認してください。


 四、第三子『穂(すい)』


 長男岳は四歳、長女藍は二歳になる二〇二〇年初冬、三人目、穂の妊娠がわかりました。
 三人目ともなると、今後の流れもなんとなく想像できるし、今回も妻と相談するまでもなく自宅出産希望でゆっこさんにお世話になることは決まっていました。

 ゆっこさんに連絡を入れると同時に、以前通院していた産婦人科に行き妊娠の確定をしてもらいました。予定日は二〇二一年十月一日でした。
ゆっこさんにお伝えすると、僕たちのご近所さんで二週間程早い九月中旬が予定日で自宅出産希望の方がいらっしゃるとのことで、もしかすると九月予定日の方が遅れ、僕らが早いお産になると、時期が被るかもしれないということでした。
「それ、大丈夫ですか?」と聞くと、時期が被ることを想定してサポートの助産師さんにも数人声かけしてくれるらしくなんとかなるそうなので一安心。
 今回の三人目のお産を通して助産師さん同士の横のつながりはとても強固だなと感じました。
お産サポートをお願いしている僕たちからすると、とても安心感があります。

 今回はお産当日までにゆっこさん以外に三人、助産師さんが健診の時から来れるときには来てくださり、お産にむけて準備してくださいました。北海道中標津町で助産院を開業されたゆっこさんの妹さんのまきさんも、予定日頃に合わせて大阪に来てくれていましたが残念ながらお産のタイミングが合いませんでした。

 お産当日に介助してくださる方々以外にも、僕たちのお産を陰で支えてくれている皆さんがいて僕たちは自宅出産に望めました。お産当日まで待機してくださっていた助産師さんも、お産当日サポートしていただいた助産師さんにも、本当に感謝しかありません。人は人に迷惑をかけないと生きていくことはもちろん、生まれることすらできません。迷惑をかけずに生きれないので、僕は困っている人がいればできることを探して応援したいなと思います。


 ●自宅出産の準備

 自宅出産ってどんな準備がいるの?と疑問に思う方もおられるので、自宅出産の具体的な準備や流れを詳しくお話します。あくまで僕たちが体験した自宅出産のお話ですので、担当する助産師さんや、出産される環境、季節、ご家族の希望などで大きく変わります。より具体的なことは近隣で自宅出産をサポートされる助産師さんにお尋ねください。

まず自宅出産に必要な準備物です。
次の表はゆっこさんが毎回くれるお産準備表です。


自宅出産時の準備物

 
基本的な準備物は写真の通りです。
病院でのお産と比べるとやや多いですね。

病院出産であれば病院で準備してくれるものでも、自宅出産だと自分たちで用意しておく必要があります。例えばお産の際に使用するコットンや赤ちゃんの衣服やおむつなどです。(病院出産では用意してくれていることが多い)

 意外と重要な準備物が、出産準備とは直接関係ないのですが、自宅で普段使う洗剤やトイレットペーパー、おむつやお尻拭きなどの日用品のストックです。普段はそこまで多くストックしていなくても、必要になったら妻が買いに行ってくれますが、しばらくはいけないので、数週間分を事前にストックしておきました。


ついでに冷凍食品も多めにストックしましたが、義母が食事の準備をしてくれていたので、こちらはあまりお世話になりませんでした。病院出産でも産後はなにかと大変なので、近くに頼れる方がいないケースでは冷凍食品や宅配サービスなどは積極的に活用したいですね。


 病院であれば分娩台で出産し、その後は病棟に移りますが、自宅出産ではお産した布団の上で休むことが多いです。なので布団が羊水や血液で濡れないために防水シーツや、替えの清潔なシーツの準備が必要です。また妻の着替え、産まれた直後に赤ちゃんに着せる衣服などは、今回秋口の寒くなり始めた頃のお産だったこともあり、湯たんぽの上で温めて用意しました。


 時代劇でよくみる産婆さんが「お湯を沸かして!!」というのは今も昔も重要な仕事で、二〇二一年の自宅出産でも、妻が産気づいたとき僕がはじめにやった仕事はやっぱり「お湯を沸かす」でした。(思いのほかお湯使います)
 湯たんぽで服を温めたり、妻の飲み物を作ったり。今回は梅醤番茶(出血を抑える働きがある飲み物)を飲みつつお産していたので、そこにもお湯を使いました。

 なにより一番重要な準備は、産後数週間、妻が動けない間の家事や上の子たちの送り迎えなどの育児関係の準備です。僕たちの場合は、義母が三週間ほど泊まってくれたり、僕の両親が時々来てくれたり、僕が仕事をお休み&時短で育児家事をする予定でいました。それでももし足りない部分は家事代行などの有料サービスを利用するつもりでしたが、幸いそこまで必要なかったです。でも必要に応じて頼るのはありだと感じました。


 ●物より環境が大切

 毎回自宅で出産する度に、いろいろな人のお世話になっていて、本当にありがたい限りなんですが、僕自身の仕事はいつも少ない(ほぼないレベル)んですよね。

 しかし仕事が少ないことと、全てこなせるかは別問題で、普段はほとんどの家事や幼稚園の準備を妻がやってくれているので、それを全てやるとなると結構大変です。

普段からしっかり家のことをやってらっしゃる方なら問題ないですが、僕は普段ほぼやってないダメ夫なので、息子の幼稚園の用意ひとつでも手間取ることだらけでした。

でも、僕が家のことをなんとか出来たのは、妻がやってくれている育児家事の詳細を、紙に書き出して事前に共有してくれてたおかげです。(妻、ありがとう)
 

 二度目となる今回の自宅出産では、

 「出産後の身体が回復するまでの間、妻にしっかり休んでもらえる環境を作る」

ことを目標にしました。
 前回の自宅出産でもここは大切にしていましたが、初めての自宅出産ということもあり、右も左も分からない不安もあって頭が忙しく、もっとこうすればよかったなと思うこともありました。
 当時は自覚がなくても、前回の自宅出産後の過ごし方と比較すると今回は頭を使うことは少なかったと思います。ここが産後の回復にとても重要なポイントです。
お産時の準備物も大切ですが、それよりも産後を過ごす環境を事前に準備していくことが大切で、ここに関しては病院出産でも、自宅出産でも変わりません。

 以前、ベテランの助産師さんに「お産を重ねるほどお母さんが元気になるもんなんだよ」と言われたことがあります。あまり信じられない言葉ですよね。僕もよく意味がわからなかったです。出産するたびに元気がなくなっていくお母さんも多いので…。
【お産はデトックス】と言われ、その言葉を知識的には理解していましたが、今回の出産でそれを初めて経験することになります。

 ●流れに任せる

 もう十年以上前に、救急法の講習会で「溺れた人の救助法」を学んだことがあります。
実際にプールで実技練習をしたのですが、溺れる人はパニックを起こしていて、前から近づくとものすごい力で救助者にしがみつこうとして救助者もろとも溺れてしまいかねないので、後ろからソッと近づけと習いました。ちなみにまだ溺れた人を飛び込んで救助した経験はないです。
 そこで、もし自分が溺れた時の対処法も先生が教えてくれたのですが、

「大きく深呼吸して、大の字にリラックスすると自然に浮くから溺れない」

だそうで、溺れている人は、死ぬかもしれないという恐怖で全身が緊張し、少しでも足掻いて水上に上がろうとしたり、懸命に呼吸しようとしたりと必死だから沈むんだそうです。

 これと似たような感覚で、妻曰く、
 「初めての自宅出産の時は、いついきめばいいんだろう?」
 「次はどうしたらいいんだろう?どんな呼吸が正解なの?」と必死で、
 「出産するために何をすればいい?」を出産前もお産中も考えていたそうです。

 今思えば、
「トイレでうんちするときに必死に出そうとしても出ないけど、いいタイミングでトイレに行くとスッと出るやん?その感覚と全く同じやで。だから産もうとなんかする必要はない」
だそうで。出産の感覚をとにかく「うんち」を使って説明するあたりがさすが妻です。笑

 「なにかをしなきゃ!」と思って色々足掻いて努力することが、かえって緊張を生んでしまうんですよね。産むためになにかをしたり、なにかをしないようにすることは頭も身体にも緊張を生みます。
 よく出産時に産道が裂けて出血することがあり、妻も二人目、藍のときは産道が少し裂けて出血しました。
病院出産だと、裂けるのは比較的よくあることで、自然に裂ける前に先生が切って産道を確保することも多いです。(その方が傷口がきれい)
しかし、今回三人目のお産は、産道が裂けることもなくスムーズに赤ちゃんが出てきてくれ、産後の妻の顔色も良く、身体をみても大きなダメージもないどころか、むしろ出産後の背骨がスッキリ整ってリラックスしているんですよね。これにはとても驚きました。

 【お産はデトックスになる】にわかに信じがたい言葉でしたが、今回のお産を通して、
「いいタイミングでその流れに任せてみることの大切さ」を学ぶことができました。

 いかに頑張るかではなく、自然の流れに身を任せることが大切で、そのためには身体の働きを信頼しきっていることが大切です。だけど、こういう話を聞くと、どうしても流れに身を任せよう!としてしまいがちですよね。

 そこには落とし穴もあって、流れに身を任そうとすることよりも、まずは足掻く経験の方が大切な気がします。
何かを必死でなんとかしようとした経緯があるからこそ、流れに身を任せることの意味もまた深くわかり、流れに身を任せることは間違いではなくても、身を任せようと頑張ってしまっては全く違う意味になってしまいます。

 体験としてまず重要なのは、足掻いたり、努力してもうまくいかずに悩むことではないでしょうか。一人目の出産からリラックスしたお産はなかなか難しいでしょうし、力む経験も悪いものではないですね。

 ●日常に溶け込むお産

 そんなこんなで、三人目の妊娠経過も出産もありがたいことに、驚くほど無事に進んでくれました。しかも、僕らが出産する二週間前に、ゆっこさんが自宅出産を担当されていたIさんも無事に出産されて、Iさん宅から僕の家にお産道具一式(酸素ボンベや体重計など大切な道具たち)を運び終わった直後に妻が産気づくという最高のタイミング。

 二〇二一年九月二十七日の午前三時頃に産気づき、本格的な陣痛は四時を回ってから。そこからお産が進み午前五時四十一分に出産となりました。
 今回は、妊娠経過もタイミングもお産もスムーズで問題らしいことも起きずにとてもありがたい出産で、妻の「お産はうんちと同じ」という言葉の如く、日常の中に当たり前にお産が溶け込んでいて不思議な感覚でした。妻自身も今回のお産はもちろん痛いんだけど、とても心地よかったそうです。病院で長男を出産したときは妊娠と出産がとても非日常で、だからこそ何か特別なことをしなければ…となったり、自分が親になった実感もなく、なんだか居心地悪く感じていました。

でも、当たり前の日常の中で出産することで、何かをしようとしなくても産まれてくれ、親として気張らなくても子どもは成長していくものであることを、はじめて実感できました。これは医療に携わる人間としても大切な経験で、医学を学ぶ中で正常と異常を区別し、病気を学び、医療者はいつしか人そのものをみることをやめて、検査結果や電子カルテはしっかりみても、目の前の患者さんをみなくなりました。その結果、元気なのに病気な人や、病気ではないのに元気がない人が生まれ、人はいつしか本来の身体の働きを忘れて知識でしか生きられなくなっているように思います。

 そして現代医学は、病気の不安に対し一時的な安心と引き換えに、長期的な不安を与えるためのものと化してしまっています。医療は特別な知識や技術を持った人や、免許を持っている人だけが行えることと思われますが、本来は特別なものではなく、科学的根拠という概念が生まれるだいぶ前から身近にあり、誰にでも当たり前に備わっている働きです。

 その働きの上にしか、現代医学も成り立つことが出来ないわけで、安心できる治療薬を開発するよりも、新しい病気を発見して不安を煽り続けることよりも、今の医学に求められていることはもっと別にある気がします。
 医学が本来やるべきことは、病気を作ることではなく医学を必要としない世の中に変えていくことだと思います。そのための身体の働きを僕たち家族が体験した「自宅出産」の中で垣間見れたことでそれを今本書を手に取ってくださった方と共有できれば嬉しいです。



 五、自宅出産の長所・短所


 前書きでもお話した通り、本書は自宅出産を推奨する本ではありません。

 僕たち家族は病院出産と二度の自宅出産を体験しましたが、それぞれの良さがあるので、どちらの選択でも正解です。
 それでも、「自宅出産ってどんな感じなの?」と興味を持った方から頻繁に聞かれるので、興味がある方も増えているのかもしれません。

 立ち会いが容易な自宅出産は、コロナで一変した世の中でも、きちんとした手順さえ踏めば、病院とほぼ同等のリスクでできる出産スタイルでもあります。
 自宅出産はあくまでお産スタイルの一つですが、僕たち家族が感じている「こんな方におすすめしたい、おすすめできないかも」というところも偏見混じりですが、述べてみたいと思います。

 ●自宅出産がおすすめな方

 僕らが個人的に感じる自宅出産をおすすめできる方は次の通りです。

  ① 出産から産後、その時の気分を大切にして自由に過ごしたい方

  ② 家族や親族と出産を共有したい方

  ③ 自宅が好きな方

  ④ 産後の骨盤や身体の回復に不安がある方

 それぞれ、お話します。


 ①出産から産後、その時の気分を大切にして自由に過ごしたい方

 なんといっても自宅出産のメリットは「自由さ」です。病院では方針やマニュアルが少なからずあるので、出産後もある程度のスケジュールは決まっています。(比較的自由な病院もあり、病院ごとに異なります)
 自宅出産の場合は、お産の場所やお産スタイルの希望、産後の過ごし方などかなり多くの面で、リスクが大きくならない範囲で自由にできます。
妻の場合は「病院の窮屈さが無ければとりあえず良し」という感じでしたので、多くの要望はなく、強いて言えばいつもの家の和室で、いつもの家族に見守られつつお産がしたい。といった感じで、その時の気分を大切に、自由に過ごせる雰囲気は何よりリラックスにつながりました。「バースプラン」といって、お産の希望を事前に申し伝えて、できる限りそれに沿ってくれる産院はありますが、いざお産となると、理想通り(想像通り)に進むとは限りませんから、お産中や産後の気分で「○○が食べたい」など、いろんな変化はあるので、それにも柔軟に対応できる(その日食べたいものを作ってあげられるなど)のは自宅出産のメリットだと思います。


 ②家族や親族と出産を共有したい方

 この本を書いている二〇二二年は新型コロナウイルス感染防止の理由で、産婦人科での立ち合いは不可か、産まれる時だけ旦那さんが立ち会えるものの、その後ゆっくりする間もなく帰される、上のお子さんに出産を見せてあげたいという希望もなかなか叶わない…、
そんな厳しい時期です。どうなるかはわかりませんが、もしかすると新型コロナ問題が落ち着いた後もこの流れはスタンダードになるかもしれません。
その点で自宅出産は、助産師さんの考え方次第ですが、比較的自由に立ち合いができると思います。僕たちも三人目の出産では、義母、子ども達二人と一緒に見守ることができ、とてもありがたく思っています。
 長男に関しては、妹、弟と二度の自宅出産を見ており、はっきりと覚えてくれているみたいです。中には、お母さんが苦しんでいる姿をみてトラウマになるお子さんもいるそうですが、人生に何度もない貴重な機会ですから、僕は子ども達と出産を一緒に迎えられて本当によかったと思っています。大切な方々と出産を共有したいという方には、自宅出産はおすすめですね。
 また互いの親同士が交流する機会って意外と少なくありませんか。我が家では自宅出産をするにあたってお互いの両親にはとても頼りましたので、自然と顔を合わせる機会も増え出産を通して互いの親同士たくさん交流を持てました。ここも良かったと思える点です。

 ③自宅が好きな方

 シンプルに自宅が大好きな方。妻もこれが一番の理由でした。
 妊婦健診は病院での検査以外は助産師さんが自宅に来てくれますし、産気づきそうな時は、助産師さんに連絡を入れればОK(本当に助かります)なので、大好きな空間で気楽に過ごすことができます。
 ホテルのような空間で、シェフの豪華な料理にエステやマッサージ…といった非日常感が好きな方にはあまりおすすめできないですが、僕ら家族はそういったサービスには全く興味がない(むしろいらない)ので、自宅でその日に食べたいものを好きな時間に食べて、産後も家族みんなで適当に食事をする。両親や兄妹など身近に家事を手伝ってくれる人がいるからこそ実現できることですが、可能であれば、自宅が大好きな方にとって、とてもリラックスした産後を過ごせると思います。


 ④産後の骨盤や身体の回復に不安がある方

 詳しくは第三章で述べますが、産後の骨盤を無駄なくきれいに戻すために最も大切にしたいことは、整体に通うことでも体操を頑張ることでもなく、産後数週間の「安静」です。
病院出産では、入院中から沐浴などの助産師さんによる指導やタイムスケジュールで意外と忙しいことも多いですが、自宅出産では、お母さんは出産した布団で休みつつ授乳をするだけ。その他身の回りのことは皆で協力して行うので、安静を保ちやすいです。
 実はこれは子宮や骨盤を戻す上では重要なプロセスで、産後すぐに骨盤に体重をかけないことが大切です。このプロセスを踏むだけで、後々整体に行かなくても骨盤は綺麗に戻ります。産後の骨盤矯正などは、この安静を保てず、骨盤が戻りきらなかった状態への対処です。
 なので、僕は普段施術をしていて妊娠中の方にアドバイスをさせていただくのは、
「産後数週間をできるだけゆっくり過ごせる環境を準備すること」です。
(ここが一番むずかしいのですが)

 自宅出産の場合、この環境が揃っていて、退院のときに身体がしんどいまま歩いて帰るということもないので、産後は動きたくなってくるまでゆっくり過ごせるのも良い点です。現状、環境作りが難しいこともありますが、夫の立場としても、産後の妻のために、できる限り準備したいなと思うことですね。


 ●病院出産がおすすめな方

 一方で病院出産がおすすめな方は次の通りです。
 僕の勝手な独断に過ぎませんので、その点はご理解ください。

  ① 医師がそばにいてくれることに安心感がある方

  ② 非日常感がリラックスになる方

  ③ 持病などがあり体調面が心配な方

  ④ 無痛分娩を希望する方

 それぞれ、お話します。



 ①医師がそばにいてくれることに安心感がある方
 

 病院出産の最大の利点は、なんといっても出産中にトラブルが発生した時、即座に救命処置など医療手当が行える点です。医師は必ずおられますし、助産師さんや看護師さんもおり、医療器具も充実していて、お産中に胎児の元気がなくなってきたときには帝王切開や吸引分娩(赤ちゃんの頭を引っ張る分娩方法)など、様々な処置が可能です。
 とはいえ、病院でのお産だからといっても一〇〇%安全ではありません。出産そのものに絶対安全というのはないので、少しでも安心して出産したい方にとっては、当然ですが病院出産がおすすめです。
 最近では無痛分娩も主流になりつつあるので、無痛分娩が安心できるという方も断然、病院出産がおすすめです。僕の職業柄もあるかもしれませんが、「自然分娩=自宅出産」で、薬を使わないことが身体に良いという方も多いです。
 でも、僕は一概にそうは思いません。場合によって薬や医療技術はとても重要な役割を担います。第一章で話しましたが身体に薬を利用できる力があってこその医療で、「医療に頼らないことが自然である」という方が不自然な理屈だと思います。一番はお母さん初め、ご家族が安心して出産を迎えることなので、ここは大切にしたいですね。


 ②非日常感がリラックスになる方

 病院出産の一つの利点は、ホテルのような病棟、手厚いサービス、シェフが作る本格料理などがあります。(産婦人科にもよりますが)特に二人目さん以降では、上のお子さんと一時的に離れてゆっくり過ごしたい方もおられるはずで、その点は病院出産は入院中にリラックスして過ごすこともできますし、上のお子さんを預ける人が近くにいないという方向けに、産院によっては「家族部屋」という部屋もあります。
家族部屋では旦那さんやお子さんたちと一緒に入院できるので、お母さんが入院中に子どもを預けられないといったケースにも柔軟に対応してくれますね。
 その他にも、エステやマッサージ、整体なども受けられる産婦人科もあり、本当に手厚くアフターフォローをしてくれるので、こういったアフターサービスが癒しになるお母さんにとっては嬉しい限りだと思います。
 ちなみに妻はこういうサービスが基本苦手で、この辺りは個人の価値観なので、非日常な空間で産後の数日間をゆっくり過ごしたいという方には病院がおすすめです。


 ③持病などがあり体調面が心配な方

 ①とも通ずる部分ですが、持病をお持ちの方、なんらかの理由で体調面で不安な方、そういうケースでは病院出産が安心感があります。
病院の中でも個人の産婦人科よりも、地域の大きなNICUを備えた総合病院などがいいかもしれません。一般の個人産婦人科でも、妊婦健診で出産に影響するトラブルが見つかったり産後に重度のトラブルが発生した場合は産婦人科から総合病院へ転院になるケースがあります。
 事前に持病があるなど体調面に不安な方は、一度産婦人科や地域の助産師さんに相談されてみるのがいいと思います。


 ④無痛分娩を希望する方

 近年とても増えている出産方法なので、少しお話させてください。
無痛分娩は体力の消耗が少ない点で、とてもメリットの多い出産方法だと思います。
ヨーロッパでは全出産数の七割以上が無痛分娩とのことで、安全性にも問題ありません。
とてもおすすめな出産方法なのですが、一つだけデメリットだと感じるのは、出産後の骨盤が経腟分娩や帝王切開と比べて戻りにくく、回復がゆっくりという印象があることです。
これについてはまだ僕自身も無痛分娩後の方を数例みただけなので、あくまで現段階の印象でしかありませんが、痛みが少ないお産では、産後にある骨盤周囲を中心としての筋緊張が少なく、体力の消耗という観点では、筋緊張が少ない方がメリットはあるのですが、産後の骨盤は筋緊張によって骨盤が安定して回復する側面もあり、回復ペースがゆっくりな傾向があるのかもしれません。
 ここはまだあくまで仮説なので、今後観察していきたいところです。ただ、産後の整体や体操でアフターフォローは可能ですし、無痛分娩は非常にメリットが多い方法だと思います。痛みが少ないのは安心したお産にもつながるので、とてもいい選択肢です。



 ●自宅出産してみたいなと思ったらチェックしたいこと

 前記を読んで、もし自宅出産に興味があるなと感じた方は、次のことをチェックしてみてください。僕らが自宅出産を体験した上で、リスクを減らす意味でもこのあたりがあると安心できるなというポイントをまとめました。自宅出産に興味のない方は読み飛ばしてくださいね。

 ① 近隣に自宅出産を介助してくれる助産師さんがいるかどうか。

 ② 自宅出産で万が一の際、近隣で搬送を受け入れてくれる病院はあるか。
   (助産師さんと提携している病院があるので、助産師さんに確認してみましょう)

 ③ 家族の理解を得ることができるか。
   産後の育児家事サポートを家族や家事代行サービスなどにお願いできるかどうか。
   (助産師さんが代行サービスなどを紹介してくれることもあります)
 ①はネットで「地域名 自宅出産 助産師」などで調べるとヒットすると思いますし、助産師さんは横のつながりが深いので、人づてに助産師さんが近所にいるかどうかを聞いてみてください。
 また、地域の産婦人科とも密に連携をとっている助産師さんがほとんどなので、産婦人科に「自宅出産をサポートしてくれる地域の助産師さんはいませんか?」と聞いてみるのもいいと思います。

 ②については、助産師さんが見つかれば尋ねてみると教えてくれます。助産師さんは必ず何かトラブルがあった時のための搬送先を確保されているので、説明を受けて安心できるかどうかをご自身で判断されるのをおすすめします。

 ①と②をクリアできると③が課題になります。
サポートをお願いする前に、まず家族や親族の理解を得られるか?を相談しつつ、出産後のサポートをどうするか?と考えるのがいいと思います。

 場合によっては、助産師さんから家族や親族さんに説明してもらうことも可能だと思いますので、そのあたりも含めて助産師さんにまずは相談してみてください。
実際、僕ら夫婦の両親も妊婦健診に同席しました。

 色々と考え、最終的に病院出産を選択する結果になっても、まずはお住いのエリアの助産師さんに相談することは悪いことではありません。そこで助産師さんと知り合いになることができれば、産後の体調や育児で困ったときに気軽に相談することも可能です。育児で悩んだときにも色々な悩みを相談できる人がいると助かるので、積極的に地域の助産師さんとコミュニケーションを取っておくのはおすすめですね。


 六、自宅出産を通して学んだ「身体の働き」

 ●妊娠は日常のなかに

【妊婦さんなら安心して整体できるでしょ?】

 尊敬する産婦人科の先生に言われた言葉です。
僕は以前に五年間ほど産婦人科で整体をしていた時期がありました。当時は整骨院を開院していたこともあり、午前中は整骨院で中高年から高齢の方をみて、午後から、産婦人科で妊婦さんや産後の方々ばかりみるというちょっと特殊な環境で整体をしていました。
 その時の僕は妊婦さんを施術した経験もほとんどなく、自分に子どもがいるわけでもなく、正直言って妊婦さんを施術することは、妊婦さんをよくわからないが故の不安がありました。

 そんな時、産婦人科の先生から、

 【普段は高齢の方の患者さんが多いでしょ?それなら持病がある人も多いし   
  不安だよね。その点、妊婦さんは健康だから安心して施術できるでしょ?】

と言われました。この言葉を言われた時にとても「ハッ」とした記憶があります。
産婦人科の先生曰く、
「たとえ流産したとしても、妊娠成立できる人はまず健康体だよ」
ということだったんですね。

 今思えば当たり前の話なんですが、当時の僕は「妊婦さん=未知数」だったので、
未知数なことに不安を感じていました。産婦人科の先生からすると高齢の方の施術の方が、
「いや、普段平気で施術してる高齢の方が持病もあるし怖いよ」というふうにみえるわけです。
 これと似たようなことって皆さんの日常でも体験したことありませんか?
自分としては当たり前のように毎日やっているけど、他の人からみると実は簡単にはできない特殊なことだったり、めちゃくちゃ危険なことだったり、毎日やっているとその危険さを忘れたりもします。その割に自分が知らないことや、未知数なことに関しては、客観的に安全でも不安に感じたりもします。僕は常々、わからないことを体験もせずに否定してはいけないと考えていますが、そんな思いを抱くようになったのは、この体験がキッカケだったかもしれません。
 当時の僕は、妊娠という「よくわからないこと」に壁を作り、勝手に不安を感じていました。産婦人科の先生の言葉と、数年間産婦人科領域の基礎知識を学び、ひたすら妊婦さんの整体を経験したことで、過剰な不安が適度な不安に変化していきました。施術をしていると妊娠中の患者様から、
「妊娠中にいい体操とかありますか?」
「妊娠中にやめておいた方がいいことや、行った方がいいことはありますか?」
と質問されることがあります。この質問に対する答えを一つ挙げるとすると、
「体操はしてもいいけど、特別しなくても大丈夫ですよ」です。
もしかすると「これが安産体操ですよ」といって何かしらの体操を指導する方が、患者様のメンタルを考えるといいのかもしれません。
「体操しなくてもいい」というと冷たく聞こえるかもしれませんが、厳密には、

「そんな体操などしてもしなくても、あなたの身体は大丈夫」

ということです。
そして、まだ妊娠している段階なのに、「何か子どもにやってあげられることはないか?」と心配になるお母さんは、とても優しいお母さんなので、そんなお母さんなら何をやっても、やらなくてもその優しい心があるだけで充分に赤ちゃんは幸せで健全に発育します。
多くの妊婦さんを施術させていただき、僕たち家族で自宅出産を体験するにつれて、そんなふうに感じるようになりました。

 妊娠かな?と思った時点で、まず産婦人科に行って、当たり前のように病院で出産するのが現代のお産の基本です。

選ぶとすれば、どこの病院の評判が良いか、NICU(新生児集中治療室)がある大きな病院がいいか、無痛分娩ができるかどうか、二人目以降であれば家族部屋があるか?など「病院」という枠組みの中でどこにしようかなと選択することがほとんどだと思います。
そこに価値を感じる方であれば、もちろん選ぶべきは良き病院であって、実際、僕のところに来られている妊娠初期の方にも聞かれればそんなふうにお話をしています。しかし一方で、妻のように「病院って窮屈だし、リラックスできないな…」と感じている方もおられるかもしれません。

 出産=病院でするもの。それが現代では常識ですが、妊娠して出産すること自体は、もともと日常の出来事であり、産婦人科の先生の言葉通り「妊娠=健康体」なはずですよね。
 我が家も二人目の妊娠が分かった時、自宅で出産したいという妻の理由は、前述の通りで「出産ってうんちと一緒やん。家で産んでもええやん」でした。

誰だって自宅のトイレでうんちはするはずで、日常的にうんちしに病院に行く人は多分いないですよね。でも、明らかに排便の調子が悪かったり、数週間も出ないとなれば話は変わり、病院に相談に行くと思います。
 出産とうんちを一緒にするな!という声も聞こえてきそうですが、出産もうんちも、正常な身体の働きです。


 ただし、何かトラブルがあったり、危険な時には、医療行為が必要になることもあるので、医療機関に相談してみるという流れです。少なくとも僕たち夫婦はそう考えています。
 改めてですが、もちろん医療はとても重要です。僕たちの生活には欠かせないし、何かトラブルがあった時や大きなケガや事故のときには心強い味方であることは間違いありません。僕も時として病院に行くこともあるし、患者様に信頼できるお医者さんを紹介させていただくこともあります。

 しかし、勘違いすると大きな落とし穴にもなるのが第一章でもお話した医療によって僕たちの身体が維持されているのではなく、医療が「医療としての効能」を発揮するためにはまず「身体」が欠かせないことを忘れてはいけません。それなしに医療は医療として成り立つことができないことを僕たちは自宅出産でより明確に感じることができました。


 ●自然分娩って?

 僕は職業柄なのか、「自宅出産だったんです」というと、「薬を使わない自然な自宅出産を選んだんですね」と言われることがあります。
 僕たち家族が自宅出産を選んだ時に、自宅出産をされた方の体験やお話を下調べすることは全くなかったのですが、改めて自宅出産について色々と調べてみると、陣痛促進剤などの薬剤を用いることへのリスクや、医療的行為を積極的には希望しないという理由から、自宅出産を選択する方が多いようでした。確かに、本来不必要な医療行為なのであれば、それは必要ないなと僕も思います。
 しかし、僕たちが自宅出産を選んだのは、薬剤や医療行為を避けたいということでも、自然な出産が母子に良いからということではなく至ってシンプルな理由です。

「家が一番リラックスできる空間だから、そこでお産したい。」

そもそも「自然分娩」とは一体何をもって「自然」と言うんだろうという疑問があります。
 みなさんは「自然」をどう考えていますか?
 自然分娩とはなんだと思いますか?

 一般的に自然分娩は、医療的な行為が極力ない分娩方法ということだと思いますが、これもよく考えると矛盾です。人が手をかけることが不自然だとするなら、人間は自然ではない動物なんでしょうか?
一般的には「人工的=不自然」というイメージですが、人間がそもそも自然の動物であるのに、その人間がやることや、作った道具や技術が不自然というのは、ちょっと無理がある気がします。
 僕の自論ですが「人が人の生み出した知恵や技術で、介助しながら人を出産する」という時点で、家で産んでも、病院で産んでも、無痛分娩や帝王切開でも、産み方で変わることはなくて、全てが「自然分娩」だと僕は思います。
人が自然界の動物であれば、その人が生み出した医療技術、知恵を使って人の出産を支えるという意味では全て自然といえるし、何より人が生み出した知恵や技術が成り立つには、そもそも「身体」がベースになければいけません。
そう考えると、僕たちは自然の中でしか生きていなくて、それ以下でもそれ以上でもない存在です。

 薬剤成分も容量を間違えると毒になり、毒は薬にもなりますが、それは薬だけでなく、食べ物やお酒などの飲み物にも共通することで、地球上で生み出せる成分を使用している点で考えれば、薬も含め全て「自然の物質」だと思います。
 医療的に介入のあった分娩を不自然な分娩として、それが母体や胎児に影響がもしあるとしたらどうなるでしょう。出産中にトラブルがあってやむなく薬剤や、医療行為を用いて出産となったお母さんは無事出産できたとしても、誰のせいでもないのに、医療行為に頼ったことを後悔して先の人生を生きることになります。

 不自然があるとすれば、この偏った思考ではないでしょうか?

 時々「出産が帝王切開になってショックでした。できれば自然に産んであげたかった」とお話される方がおられます。こういう話を聞くたびに思うのは、
「こんなに子どもを想うお母さんの元に生まれただけで、なにか特別なことをしなくても子どもはしっかり成長するだろうな~」

ということ。
産み方にまで想いを馳せられるってすごく優しくないですか。産み方うんぬんよりも、子を想う心がこんなにあるお母さんであれば、何か特別な子育てをしなくても、子どもは健全に育ちます。
 繰り返しですが、出産方法に自然も不自然もなくて、出産方法によって、子どもの将来が幸せになるかどうかなんて決まりません。それで決まるのであれば、人は生まれた瞬間から、幸せかどうかが決まっていることになるので、矛盾まみれです。

 お母さん自身が「リラックスできる、安心できる」

そういう環境で出産に臨めるのが一番いいのではないでしょうか?

 妻のように「お産はうんちと同じだから」というスタンスで自宅出産することも条件が揃えば可能だし、何かあればすぐに医療処置ができる病院で出産するのも自由に選択することができると思います。一つの正解があるわけではなく、病院、自宅、助産院、その他色々な選択肢の中から出産方法を選んでもいいし、状況によっては病院でしか出産できないというケースであっても、それも自然分娩です。

 妊娠から出産においては、「こうした方がいい情報」や「すべきでない情報」がたくさんあり、これらの情報に支配されてしまった結果、なにか特別なことをしたり、リスクを避けないとあたかも妊娠出産できないと思い込んでいないでしょうか?
もともと、知識や情報などなくても、妊娠出産して、自然と骨盤も戻るはずなのに。
もし、本当に○○しないと妊娠を維持できないことがあったとしたら、そういう情報がない時代にはどうやって僕たちは命を繋いできたのでしょうか?知識や情報のない犬や猫は、なぜ知識もないのに妊娠出産し、子を育てられるのでしょうか。
 健康情報過多の時代において、情報を取捨選択する力も大切ですが、情報の必要のなさを知るために情報を利用したり、身体ってそんなことまでできるの?!ということを知るために情報を活用することが大切です。



 ●お腹を痛めないと愛情が湧かない?

 つい先日、とある方との会話で「僕らは自宅で出産した」という話になり、「お腹を痛めて自然に出産するから子どもは可愛いんだよね」と言われました。
 本当にそうでしょうか?僕はそんなことないと思います。
もちろんこの方に悪気はなくて、僕もこの方とケンカしたわけでは全くないのですが。笑
おそらくこの言葉は、過去お腹を痛める出産方法しかなかった時代の言葉で、当時は「出産とは、お腹を痛めること」だったはずで、よその子も可愛いけど、お腹を痛めた自分の子どもはより可愛いよね。って意味だと思うんですよね。
 現在では、無痛分娩という方法が確立されて、この言葉の意味を少し間違って認識した一部の人が、「お腹を痛めないと愛情が湧かないから無痛分娩はダメだ!」となっているかもしれません。あくまで僕の想像ですが。
「お腹を痛めないと子どもに愛情は湧かない」というのは以前からよく聞きますが、もしそうならお腹を痛めて産んだ子どもを愛せない(虐待など)人がいるのは何故でしょうか?
無痛分娩でも帝王切開でも子どもは可愛いし愛情たっぷり育児されている方は大勢います。
 僕ら旦那の立場からすればお腹を痛めることはないですが子どもはもちろん可愛いです。僕は自分に子どもができるまで、正直子どもは苦手でした。でも生まれてみると、不思議と子どもの可愛さが少しずつわかってきて、今では子どもに対する見方が昔とは随分変わって、自分の子ども以外も可愛く思えるようになってきました。
 「産み方で子どもへの愛情が変化するのか?」とても疑問ですし、先ほどもお伝えしましたがアメリカやカナダなど欧米での無痛分娩や帝王切開の割合を合わせると出産全体の七割なので、お腹を痛めないと子どもに愛情が湧かないのであれば、今頃欧米では虐待などで大変なことになっているはずです。当然ですが、児童虐待数とお腹を痛めて産んだかどうかは関係はありませんし、前述した「帝王切開になってショック。できれば自然に産んであげたかった」というお母さんも、もしかすると「お腹を痛めることが愛情である」という考えをお持ちだったかもしれません。それが前提としてあることで「帝王切開になってしまったことがショックだった」という問題が生まれます。
 何かしらの問題を解決するには、「問題を問題とするのはなぜか?」という前提の部分に目を向けることが大切です。ここは出産だけでなく日常的にも大切なことなので、先ほどの「帝王切開になってショック」を例にあげてみますね。
 「帝王切開になってしまったことがショックだった」という相談された方とお話をしていると、例えばこんな「前提」を持たれています。

・経膣分娩(下からのお産)が良いお産だ。
・お腹を痛めることが愛情の始まりだ。
・お腹に傷をつけるお産は良くないお産だ。

 
などが前提としてあるので「帝王切開になってしまってショック…」と思われているかもしれません。帝王切開になってしまったものを元へ戻すことはできないですが、その出来事をどう捉えていくかは自由に変えていくことは出来ると思います。
 問題に対処することで一見解決したように感じても、それは根本的な解決にはなっていなくて、また同じ悩みに必ず遭遇するので、問題が生じた時には、その問題の前提になっている部分に目を向けてみてください。その前提がそもそも間違っていたり、矛盾があることも少なくないと思います。 
 みるべきは問題よりもその前提にある「思考」です。



 ●出産はリスクゼロにはならない

「病院で産めば安全なのに、なんでわざわざ危ない家で産むんだ?」
 自宅出産をする人に対してそんな声も多いと思います。実際に僕らもそういわれることがありました。
 自宅出産をする理由はご家庭それぞれかと思いますが、妊娠して出産すること自体に「絶対大丈夫」とは言えず、どんなお産であっても「リスクゼロ」にはなりません。
流産や早産、そして死産。理由がわかっているケースもありますが、医学的に原因が解明できないものも多くあり、産婦人科領域には(そもそも身体には)医学的によくわからないことも多々存在します。
 例えば「悪阻(つわり)」。
(胎盤が形成される妊娠初期から十二週頃まである。場合によってはそれ以降も続くことがある)。
 その原因はhCGというホルモンが関係しているとされますが、医学的に説明できる根拠はありません。hCGというホルモン変化は妊娠すれば誰しも共通してありますが、実際にはつわりがない人もいるので、それでは説明がついていません。
(更年期障害と女性ホルモンも同じような関係です)
 一般の産婦人科で出産すればお医者さんもいるし絶対安全だろうと思われますが、一般産婦人科から救急車でその地域の大きな病院に搬送することもあります。
 自宅出産では出産中にトラブルがあったときには病院までの搬送時間がかかる点と、自宅では医師がいない事による処置の遅れが生じやすい点では、病院よりはリスクが上がりますが、それでも病院だから百パーセント安全ということはありません。
その上で、少しでもリスクを下げたいという方は病院出産を選ぶべきですし、どちらにせよリスクゼロにはならないなら、お母さんが一番リラックスできる出産方法も選択肢としてはありなのかなと思います。(僕たち夫婦はこの考えです)
 僕たちの場合は、「リスクゼロ」にはならないことを理解した上で、自宅で出産する。
その中できちんと助産師さんに相談して病院健診にいくことで、何か医療処置が必要になった時に備えてのリスクを軽減するというスタイルをとりました。
 一つの絶対的な正解はないので、正解を探すことに意味はありませんが、自分たちにとっての正解は大切にしたいなと思いますね。



●日常に彩りを

 妻が自宅で出産したかった理由は「病院よりも家の方がリラックスできるから」であったことを前述しましたが、もっとシンプルにいうと「なんとなく病院よりも家が良い」という感覚です。
「そんないい加減な理由で、病院出産よりリスクの高い自宅で産むなんて信じられない!」
そんなふうにいう方もいらっしゃいましたが、僕はこの「なんとなく」という感覚を、もっと大切にした方がいいと思ってます。
僕自身も何かを判断するときに、損得感情や、「正解かどうか?人にどう思われるか?」という部分をつい気にしてしまいます。
だからこそ、積極的に「なんとなく」という感覚を大切にしたいなと思っていて、自分自身の感覚や感情をまず大切にしています。(それを分析することも大切にしています)
 現代社会で大切にされていることは、「時短、損得、映え」で「好きや嫌い」といった感覚的なことは「信用ならない」とされがちです
「なんとなく」という感覚の中には、自分の本音が多く含まれている気がします。
 その本音を大切にしたり、時にはその本音すら疑ってみたりと、「なんとなく」という一見、信用できない感覚を大切にすることでしかみえないことはたくさんあるのではないでしょうか。

 最近は、日々の睡眠の質を評価するためのアプリや、その日一日の幸福度を数値化するようなアプリなどもあるそうです。僕は使ったことがないので、否定も肯定もできないのですが、本来であれば、睡眠の良し悪しや幸福度は、自分自身の感覚としてキャッチできることなんじゃないのかなと思います。(とはいえ、アプリは一度使ってみます)
 しかしそういった感覚は、はっきりと目にも見えないので「目に見える形」でないと自分の感覚を信用できなくなっていることが、こういったアプリに人気が出る背景なのだろうと考えます。目に見える形として表示されないと自分の感覚を信頼できなかったり、そもそも自分の感覚は信用できないから、大勢の人が選んでいることを正解として捉えたくなったりするわけで、情報が多すぎる現代社会だからこそ「自分の感覚」を大切にすべきかなと思っています。

「そうはいっても自分の感覚がわからないんです」
という方は、まずは日々の中で「気分が上がる」ことを大切にしてみてはどうでしょうか。例えば、同じ仕事にいく日にしても、お気に入りの服で出勤するというだけでも気分は大きく異なりますよね。仕事上それができない人は、お気に入りの音楽を聞く、髪型や髪色をイメチェンしてみる、部屋を模様替えしてみる…例をあげればキリがありませんが、皆さん自身の「気分が上がる」ことを、できる限り日常から大切にしてみるというのがいいかなと思います。
 日常が「気がつくと、同じことの繰り返しになってる…」という方、忙し過ぎて気分が上がるとか下がるとか意識している暇はないという方もいらっしゃるでしょう。忙しいというのは字の如く「心を亡くす」ことです。ご自身の亡くした心を取り戻すために、不安症やパニック障害、うつ病などのメンタル的な病気を引き起こすケースもあります。
 綺麗な空をみている余裕すらない時は、少し心を亡くし始めているのかもしれません。
日常は大切ですが、追われて心を亡くすことは気をつけたいですね。

 何のために「今」を過ごしているのか?僕は大切にしたいと思っています。



 ●不快に敏感である方がいい

 痛みを始め、不快な感覚をストレスに感じる方は多いと思いますが、こういった感覚を敏感に感じられることは「身体を守る」ためにとても重要なことです。
 施術中に僕の目からみて身体が変化したなと思った時に、患者様にも「この動きさっきと比べて動きやすいのはわかりますか?」と尋ねることがあります。その時に「わかる」という人と「わからない」という人がおられて、僕の感覚値ですが、客観的に身体が変化していても、その変化を感覚的に「わからない」という人の割合が年々増えている印象です。


特に二〇二〇年以降にかけて急増した印象があります。もちろん主観的な変化なので、緊張してお越しいただき、施術後に「どうですか?」と聞かれるとイマイチでも「よくなっています」としか言えないよ、という方もおられると思います。(気を遣わせってしまった方、すみません)
 それはさておき、自分が「なんとなく」動きやすいとか、動きにくいと思えることはとても大切な感覚です。「私そういうの苦手…」という方も感覚が無いわけではなく必ずあるのですが、頭で思考することがクセになって感じにくくなってるだけで大切にしていけば少しずつ感じられます。

 余談ですが、感覚的な「動きやすさ」は重要ではないと思っている方も多いかもしれませんが、どんな施術を受けるか?というよりも、受ける側(患者様側)の感受性も施術効果を左右する大切な要素です。なので、出来るだけ患者様の感性を敏感にすることも僕の施術の目的のひとつです。

 話を戻しますね。

客観的にみても明らかに身体が変化している時、患者さんに聞いても、自分の感覚がわからないか、わかっていてもその感覚が信じられないので「よくわからない」とおっしゃられることもあります。こういう場合、床までの指の距離や、センチやキログラムで数値化したり、画像や動画で自分の動きを客観的に見てもらったりなど、視覚的な指標で初めて、自分の身体が施術や体操で大きく変化していることに気づかれます。


 この感覚がわかると、反対に「自分の身体が動きにくい」という感覚も感じることができます。「痛い」とか「動きにくい」という感覚があると不快だしストレスに感じるので、そういう感覚はできる限り感じたくないという方もいらっしゃるかと思いますが、不快を「不快」と感じることができるのは身体を健全に保つ上では非常に重要な感覚です。身体が動きにくくなっているのに「動きにくい」と感じることができないと「動きやすい感覚」のまま動いてしまい、実際の動作と感覚にギャップが発生してケガを引き起こします。
 野球選手のイチローさんは、

【身体の痛みをなくしてはいけない。そこに敏感になることが大切】

ということをおっしゃっていましたが、まさにその通りです。

薬などを使って痛みを消す技術が役に立つこともありますが、日常的には、自分の不快や、無理してる感覚、痛みなどのいわゆる「マイナス」な感覚に敏感になりつつ、大切に扱ってあげるのがいいと思います。そしてその痛みを利用して、より自分にとってスムーズでバランスの良い動きへと進化させることもできます。
 こういうふうにお話しすると、特殊な感覚を大切にしてくださいと言われているようにも感じるかもしれませんが、
「普段のお洋服でも、なんとなく着心地が良い悪いとか、部屋の居心地が良い、空気が良い、食べ物が美味しい、不味い」など、日々いろんな感覚を感じていると思います。
 そういった、日常の中に普通にある「なんとなく」を大切にされてみてください。

(第三章へ続く)


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